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一章

26、夕餉【2】

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 お行儀が悪いですけど、わたしはお膳の向きを反対側に変えました。
 そうすれば、蒼一郎さんに背中を向けつつ、おいしい食事を味わうことができるんだもの。

 意味ありげな笑みを浮かべている蒼一郎さんの顔を見ながらだと、味も分からなくなってしまいますからね。

 塩味だけの簡単な味付けで焼いた鯛は、皮がぱりっとして、しかも身はふっくらと脂がのっています。
 ああ、生麩とお豆腐の田楽は、どちらから食べればいいかしら。

 ふと、背後を振り返ると、蒼一郎さんが綺麗な箸使いで、田楽を召し上がっていました。

「上手にお箸を使うんですね」
「へ? 当たり前やろ。こんなん」

 そんなことないですよ。だってわたしは下手だもの。
 一応それらしい形では持てるのだけれど、柔らかい物を食べようとすると、崩れることが多くて。やはり洋食中心の食生活をしているからかしら。

「見してみ」

 促されて、わたしはお箸を持った右手を蒼一郎さんに差し出したの。
「ああ、なるほど」と呟きながら、蒼一郎さんは、わたしの指の角度や指をどう添えるかを直してくれました。

「これでいけるんとちゃうか。練習してみ」

 わたしは、自分のお膳に載っている筍ご飯をお箸ですくいました。
 あら、まぁびっくり。普段よりも自分の手の形がとてもきれいに見えます。
 そのまま、ご飯を口に運ぼうとすると「ちゃうで」と声をかけられました。

「間違ってましたか?」
「せやな。俺の口に入れた方がええな」

 え? それって、あの……わたしが蒼一郎さんに食べさせるってことなの?
 混乱していると、蒼一郎さんは人差し指でご自分を指さしました。

 ええい。ままよ。
 わたしはにじり寄って、蒼一郎さんの口許にお箸を近づけます。
 蒼一郎さんは、木の芽ののった筍ご飯を咀嚼すると「うまいな」と仰います。

 はーぁ、緊張しました。
 急に力が抜けて、お箸を持った手を下げると、今度は「ほら、絲さんの番やで」と促されます。
 顔を上げた私の目に入ったのは、筍ご飯を差し出す蒼一郎さんでした。

「あの、まさか」
「ほら、早よ食べな。冷めてまうで」

 人に……蒼一郎さんに食べさせてもらっても、きっと味なんて分かりませんよ。
 自分でしみじみと味わいたいんです。

 でも、蒼一郎さんは諦める様子がありません。
「あー、箸をずっと持って腕が疲れてきたな」なんて、嫌味を仰るんだもの。
 
「一回だけですよ」
「うん、そうやな」

 意を決して、蒼一郎さんの差し出すご飯を口に入れます。やっぱり味がしませんよ。絶対においしいはずなのに。
 
「ほら、もう一口食べ」
「え? 一回だけって言いましたよね」
「ヤクザの言うことを、真に受けたらあかんで。絲さんは食が細そうやからな、ちゃんと食べなあかん」

 しつこいです。そしていつまでも解放されそうにありません。
 とてもおいしい料理のはずなのに。どうして罰みたいになっているの?

カシラ。何、遊んではるんですか」

 いつの間に座敷に入って来たのでしょう。波多野さんが呆れた顔をして、立っていました。

 み、見られてしまいました。
 わたしは恥ずかしさのあまり、思わず波多野さんに背中を向けました。

「いや、別に絲さんのことを責めてるわけやないです。えーと、組長の児戯めいた行動につきあったってください」
「波多野!」

 蒼一郎さんの短い叱責を、波多野さんは涼しい顔で聞き流します。

「組長がこの家で楽しそうにしとるのを見るのは、みんな嬉しいんで。いつも、すぐにふらりと家を出て行ってしまう人やさかいに」

 その言葉に頬を染めたのは、蒼一郎さんでした。
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