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三章

30、突然の来客【1】

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 結局、絲さんはあれから三日、床に就いたままになってしもた。
 反省しきりや。今後は、あんな無茶な抱き方はせんとこ。
 
 ようやく起き上がれるようになった絲さんは、二本の三つ編みに、総絞りの浴衣姿で縁側に座っている。
 丹念に一つずつ絞りを作り、淡い水色と桃色に染め上げた生地の浴衣は、色の白い絲さんによう似合とう。
 彼女の肌は弱く、蚊に刺されたらすぐに赤く腫れるので、蚊取り線香も焚いとう。

 ブタの蚊遣りから(ブタやんな? ウサギやクマとちゃうよな)細い煙が立ちのぼり、夏特有の香りが漂っている。

 そして、やはり今も俺が書いた恋文を読んでは「うふふ」と微笑むのだ。
 これは困る。
 愛らしい絲さんを眺めていると心が弾んで、こっちまで嬉しなるんやけど。
 でも、仕事の手は止まってしまうし。しかも、もう暗記しとうはずの内容を読み返されるんも、恥ずかしい。

「ねぇ、蒼一郎さん。百貨店にはいつ連れて行ってくださるの?」
「ん? いつでもええで。欲しいもんがあるんか?」

「ええ」と絲さんは頷いた。けど、その後があかんかった。

「また可愛い便箋を買って、そして恋文をいただきたいの」

 ちょお待て。簡単に言いなや。便箋を買うんはやぶさかではないけど、恋文は百貨店には売ってへんやろ。
 勘弁してくれよと頭を抱えた、その時やった。

「ごめんくださーい。入るわよぉ、勝手に」

 玄関というか庭の方から声が聞こえて、俺は万年筆を持つ手を止めた。
 ざっざっ、と庭の玉砂利を踏む音。それが徐々に近づき、今度は普通の土の庭に移動したからか、足音も変わって近づいてくる。

「あら。あらあら。かわい子ちゃん、見つけちゃったわぁ」

 白檀の扇子の匂いをぷんぷんとさせながら現れたのは、名原組のお嬢、名原冬野なばらふゆのだ。
 会合の時に、組長についてくる時くらいしか顔を会わさへんけど。たまーに、こうして家に突然やって来る。
 この前うちに来た時は、絲さんの短靴ブーツを玄関で見つけて、なんや騒いどった。

 なんで来んねん。俺は多分苦虫を噛み潰したような顔をしたやろう。
 
 冬野は、涼し気な灰青の絽の着物を粋に着こなしている。年はよう知らんけど、二十五にはなってへんくらいやろ。
 絲さんより四つほど上か。

「あぁ、私は麦茶で。冷たいのがいいわ」
「遠慮しとうようで、全然遠慮になってへんからな」

 まぁ、料理番が気ぃ利かして盥に張った水に麦茶を沸かしたヤカンをつけとうやろけど。

「こ、こんにちは」と、絲さんは脅えつつも三つ指をついて頭を下げる。

「ふーん、この子ね。噂のお嬢さま」
「噂ですか?」

 か細い声で尋ねる絲さんに、冬野は「そうなのよー」と、白檀の扇子でブンブンと仰ぐ。
 湿気の多い季節に、そのにおいはあかんやろ。
 俺は縁側に向かい、絲さんを背後に隠した。

「まぁ、過保護っ」

 こいつ、いちいちムカつくんやけど。

「絲さんよね? 貴女がご実家に帰っている時に、この辺りのヤクザの会合があったのよぉ。シマが隣接しとうから、組長やら若頭やらが参加して、小競り合いを起こさへんように取り決めをして……っていう話し合いを定期的に行っているんだけど」
「はぁ」

 なんで俺の背後から顔を出すんや、絲さん。
 そう思たけど、行儀のええ子やからな。自分に話しかけとう冬野に顔を見せんわけにもいかんのやろ。
……俺は嫌やけど。

 けど、続く冬野の言葉に俺はぎょっとした。
 いっそ、こいつの口を封じてしまおうかと思たほどや。
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