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七章
20、初めまして【1】
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今日こそは琥太郎さんに会えるのだわ。
そう思って、どきどきして待っていると看護婦さんを伴ってお医者さまが入っていらっしゃいました。
もう処置室から自分の病室に戻っても良いそうです。
その言葉に起き上がろうとすると、お腹に激痛が走りました。
む、無理です。こんな状態では。
歯を食いしばって耐えるのですが、すぐに蒼一郎さんに背中を支えられました。
「無理せんと、横になっとき」
「でも、赤ちゃんが。琥太郎さんが」
きっとわたしを待っています。
お医者さまは小さく肩をすくめると「無茶をなさらないでください」と注意なさいました。
はい、ごめんなさい。
「遠野さん。歩いて戻っていいとは言ってませんよ」
「済みません、つい」
看護婦さんが慌てて車輪のついた担架のようなものを、処置室に運んできました。
重湯もいただけたので、つい元気になったと勘違いしてしまいました。
いけませんね。わたしはもうお母さんになったのですから、落ち着かないと。
「まぁ、そんなに慌てんでもええんとちゃうかな」
のんびりとした口調で、蒼一郎さんが仰います。
でも蒼一郎さんは、もう琥太郎さんと出会ってるんですよ。
わたしはまだ顔も見ていないんです。お腹の中では十か月いたのですけど。
手術室に入るまでは大きかったお腹が、今はぺたんこです。
もうここに琥太郎さんがいないことが、妙に寂しく感じるのはおかしいのかしら。それとも彼の顔を見れば、そんな寂しさは消えるのかしら。
廊下に出ると、北に面しているからでしょうか。窓から涼しい風が吹き込んでいました。
まぁ、出たといっても横になったまま運ばれている状態なんですけど。
入院なさってる女性たちが、振り返ってわたしを見ています。
恥ずかしいわ。わたしだけ重病人みたいですもの。
お部屋に戻ると、そこは明るい光に包まれていました。
南に広がる海。そう、海の匂いを強く感じるんです。
日差しが強いのか、松林は影絵のように暗く。そして木々の間から垣間見える海は、それはもう息を呑むほどに美しい青でした。
蒼玉を溶かし込んだかのような水。木々が暗いからこそ、その澄んだ美しさがひときわ際立っています。
そして、その清らかな光の中に、蒼一郎さんとわたしの赤ちゃんが……琥太郎さんが眠っているのです。
「とてもおとなしい、いい子ですよ」
「綺麗な顔立ちをしていますね」
いつの間にか看護婦さんが増えています。
そして琥太郎さんが眠っている、籠のような小さな寝床に集まっているんです。
「あまり泣かないのよね。普通は泣き止まなくてギャンギャン言うんですけど」
「遠野さんは、子育てが楽かもしれませんよ」
そうなのかしら。
赤ちゃんと接することが、これまでほとんどなかったので。何が普通なのか、わたしには分かりません。
看護婦さんに抱っこされて、琥太郎さんは目を覚ましたのですけれど。それでも、ぐずりもしません。
まばゆい海の青を背景に、まるで彼は光に祝福されているかのようです。
わたしは寝台に移されて、それから恐る恐る手を伸ばしました。
「はい、琥太郎くん。お母さんが来ましたよ」
看護婦さんから琥太郎さんを渡されたのですが。落としやしないかとひやひやして。
だって、首がすわってないんですもの。ほんの少しでも手がずれたら、ぐらっとするんです。
でも、温かいのね。小さいのね。小さいのに、ちゃんと重いのね。
「初めまして、琥太郎さん」
わたしの声が聞こえているようで、腕の中の琥太郎さんはぱっちりと目を開いて、わたしを見つめてきました。
そう思って、どきどきして待っていると看護婦さんを伴ってお医者さまが入っていらっしゃいました。
もう処置室から自分の病室に戻っても良いそうです。
その言葉に起き上がろうとすると、お腹に激痛が走りました。
む、無理です。こんな状態では。
歯を食いしばって耐えるのですが、すぐに蒼一郎さんに背中を支えられました。
「無理せんと、横になっとき」
「でも、赤ちゃんが。琥太郎さんが」
きっとわたしを待っています。
お医者さまは小さく肩をすくめると「無茶をなさらないでください」と注意なさいました。
はい、ごめんなさい。
「遠野さん。歩いて戻っていいとは言ってませんよ」
「済みません、つい」
看護婦さんが慌てて車輪のついた担架のようなものを、処置室に運んできました。
重湯もいただけたので、つい元気になったと勘違いしてしまいました。
いけませんね。わたしはもうお母さんになったのですから、落ち着かないと。
「まぁ、そんなに慌てんでもええんとちゃうかな」
のんびりとした口調で、蒼一郎さんが仰います。
でも蒼一郎さんは、もう琥太郎さんと出会ってるんですよ。
わたしはまだ顔も見ていないんです。お腹の中では十か月いたのですけど。
手術室に入るまでは大きかったお腹が、今はぺたんこです。
もうここに琥太郎さんがいないことが、妙に寂しく感じるのはおかしいのかしら。それとも彼の顔を見れば、そんな寂しさは消えるのかしら。
廊下に出ると、北に面しているからでしょうか。窓から涼しい風が吹き込んでいました。
まぁ、出たといっても横になったまま運ばれている状態なんですけど。
入院なさってる女性たちが、振り返ってわたしを見ています。
恥ずかしいわ。わたしだけ重病人みたいですもの。
お部屋に戻ると、そこは明るい光に包まれていました。
南に広がる海。そう、海の匂いを強く感じるんです。
日差しが強いのか、松林は影絵のように暗く。そして木々の間から垣間見える海は、それはもう息を呑むほどに美しい青でした。
蒼玉を溶かし込んだかのような水。木々が暗いからこそ、その澄んだ美しさがひときわ際立っています。
そして、その清らかな光の中に、蒼一郎さんとわたしの赤ちゃんが……琥太郎さんが眠っているのです。
「とてもおとなしい、いい子ですよ」
「綺麗な顔立ちをしていますね」
いつの間にか看護婦さんが増えています。
そして琥太郎さんが眠っている、籠のような小さな寝床に集まっているんです。
「あまり泣かないのよね。普通は泣き止まなくてギャンギャン言うんですけど」
「遠野さんは、子育てが楽かもしれませんよ」
そうなのかしら。
赤ちゃんと接することが、これまでほとんどなかったので。何が普通なのか、わたしには分かりません。
看護婦さんに抱っこされて、琥太郎さんは目を覚ましたのですけれど。それでも、ぐずりもしません。
まばゆい海の青を背景に、まるで彼は光に祝福されているかのようです。
わたしは寝台に移されて、それから恐る恐る手を伸ばしました。
「はい、琥太郎くん。お母さんが来ましたよ」
看護婦さんから琥太郎さんを渡されたのですが。落としやしないかとひやひやして。
だって、首がすわってないんですもの。ほんの少しでも手がずれたら、ぐらっとするんです。
でも、温かいのね。小さいのね。小さいのに、ちゃんと重いのね。
「初めまして、琥太郎さん」
わたしの声が聞こえているようで、腕の中の琥太郎さんはぱっちりと目を開いて、わたしを見つめてきました。
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