【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
67 / 247
五章

8、写生大会

 俺の腕の中で、翠子さんは静かに寝入っている。
 けれど、それまでが少し大変だった。
 顔を見せてほしいのに、土鍋の件で間違ったことが相当恥ずかしかったのだろう。
 どれほど頼んでも俺の胸から顔を離してくれない。

「翠子さん、機嫌をなおして。ほら、顔を見せてくれないか?」
「嫌です。翠子はもう眠っています」

 なんとかあごに手をかけて、上を向かせようとするが、どこにそんな力があるんだというくらい抵抗してくる。
 髪の間から覗くうなじは赤く染まり、見ているだけで愛おしくてならない。

「わたくし、格好良くふるまえません」
「俺はあなたに格好良さを求めてはいないが。でも翠子さんはすでに眠っているんじゃなかったのか?」
「……寝言です」

 まぁ、あまり虐めてもかわいそうだ。
 俺は彼女をしっかりと抱きしめて、再び眠りについた。腕に閉じ込めた翠子さんはとても温かくて。まぁ、保温力もあながち間違いではないなと考えながら……。

◇◇◇

 毎朝、お清さんがお弁当を持たせてくださいます。わたくしは、お清さんが作ってくれた料理を、お弁当箱に詰める係です。

 でも、今朝は違いました。
 先生とわたくし、二つ並んだお弁当箱には、別々の料理がすでに詰めてあったのです。

 卵料理は、先生の分はだし巻き卵、わたくしのは炒り卵。煮物は同じですが、わたくしのは人参が花形に抜いてあります。

「お清さん。手間がかかったんじゃないですか?」
「そうでもないですよ。中身は同じですけど、見た目が違うと別の物に見えるでしょう?」
「ええ。ありがとうございます」

 わたくしはお弁当箱に蓋をしてお箸を添えて、風呂敷で包みました。

「今日は校外で写生大会があるのでしょう? 美術の先生と担任の先生が引率すると、欧之丞おうのすけさまに伺いましたよ」
「それで、わざわざ用意してくださったんですね」
「普段は欧之丞さまは職員室で召し上がってらっしゃるでしょうけど。今日は生徒さんもいますしね。担任と生徒が同じお弁当では、いろいろと詮索されてしまいますからね」

 本当にありがたいことです。
 お清さんは、細やかな気配りでわたくしを守ってくださいます。

「おはよう」

 旦那さまがダイニングにいらした時、わたくしは照れて思わず背を向けてしまいました。

◇◇◇

 今日は、一限目から昼にかけて四年生の写生大会がある。

 俺は、晴れ渡る濁りのない青空を見上げた。

 梅雨明けの、こんな暑い時期にしなくてもいいと思うんだが。もっと気候のいい時期にすべきなんじゃないかと、以前、会議で発言したが却下された。
 開校当時からの日程なんだと。

 授業がほとんど潰れるから、生徒たちは呑気なもんだ。昼の弁当もいつものように教室ではなく、野外で食べるので遠足気分で華やいでいる。

 学校裏の丘に移動すると、皆思い思いの場所に座り、画板を膝の上に置いた。
丘に立つと広がる海が見える。
 ちょうど商船が入港するのだろう。水先案内人の乗る小舟が、大型船に向けて湾内を航行している。

「ねぇ、翠子さん。この辺りにしない?」
「はい。いいですね」

 翠子さんは、友人の深山文子みやまふみこさんと丘の中ほどにいた。
 吹き下ろす風に、着物の袂がふわりとなびき、三つ編みにした翠子さんの髪も揺らした。
 
「あら、高瀬先生。どうなさったんですか?」

 腰を下ろした二人の近くにいた俺に、深山さんが声をかける。
 しまった。つい、当たり前のように翠子さんの傍に立ってしまっていた。習慣とは恐ろしい。

「いや、ここは日差しが強いから。木陰に行った方が良くないかと思ってね」
「平気ですよ。ね、翠子さん」

 深山さんが翠子さんに同意を求める。

 いや、君に訊いているわけじゃないんだが。と、担任だから言えるはずもない。ここは教室ではないが、今は授業中と同じだ。生徒を特別扱いしてはいけない。

 俺は他の生徒の様子を見に、周囲を歩いた。

「暇そうですわね、高瀬先生」
「まぁ、引率の俺たちが忙しい方がまずいですから。これでいいんじゃないですか」

 俺に声をかけてきたのは、美術担当の皆月みなつき先生だ。いつもは油絵の具のしみついた白衣を着ているが、さすがに校外なので白衣姿ではない。

 皆月先生の話に適当に相槌を打ちつつ、俺は生徒たちに目を配った。

 ふと視界の端で、翠子さんが深山さんと楽しそうに会話しているのが見えた。
 何を喋っているんだろう。あんな屈託のない笑顔が見られるのだから、きっと学校は楽しいんだろうな。
 あなたが楽しければ、俺も嬉しい。
 俺は自分の頬が緩むのを感じた。

「ここしばらくで、随分とお変わりになられましたのね」

 皆月先生の言っていることが何なのか、すぐには理解できなかった。

「何ですか? 俺が何か?」
「いえ、少し前まで高瀬先生というと、不愛想で融通が利かなくて、目鼻立ちが良くて上背があるものだから、一部の女生徒には人気がありますけど。大半の生徒には恐れられている……という感じでしたのにね」
「分かるように言ってもらえますか。具体例だけ並べられても困るんですが。結論が見えない」
「ああ、ごめんなさい」

 皆月先生は、短い髪からのぞく自分の首筋をてのひらで撫でた。

「可愛らしい恋をなさっているのね」
「はぁーぁ?」

 妙な声が出てしまった。
 皆月先生は俺よりもずいぶんと若い。その相手から「可愛らしい恋」だと?
感想 10

あなたにおすすめの小説

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」

まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。 そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。 「…おかえり」 ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。 近い。甘い。それでも―― 「ちゃんと付き合ってから」 彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。 嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。 だから一歩手前で、いつも笑って止まる。 最初から好きなくせに、言えない彼女と。 気づいているのに、待っている俺の話。