【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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五章

12、くちづけ

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 わたくしは旦那さまの膝に乗る形で、その逞しい胸に顔を寄せています。

「まだ熱っぽいな」

 旦那さまは再び濡らした手ぬぐいを絞り、頬や額に当ててくださいます。けれど、一向に熱は引きません。

「旦那さま」

 愛しい人の胸に手を添えて、背筋を伸ばしました。そのまま唇を重ねます。
 突然だったので驚いたのでしょうか。旦那さまの手から、手拭いが落ちていきました。ちょうど桶の中に落下した手ぬぐいは、そのまま水を含んで頼りなく沈んでいきます。

 どきどきしますが、少しくらいいいですよね。

 呆然とした様子で、旦那さまが手拭いを眺めていらっしゃいます。しだいにその顔が朱に染まっていきました。

「あの、どうかなさいましたか?」
「頭の中がぐるぐるしている」
「目眩ですか?」

「ちょっと待ってくれ」と言い置いて、旦那さまはしばらく瞼を閉じました。眉間に指をあてて「落ち着け、落ち着け、落ち着こうか、俺」とまるで呪文のように唱えていらっしゃいます。

 次に目を開いたとき、旦那さまは冷静な表情を浮かべていらっしゃいました。
 どうやら呪文が効いたようです。

「どうした? そんなことをして。今日は疲れているのだろう?」
「ええ。日差しは体力が奪われますね」
「さすがに今夜は、あなたに無理をさせられないぞ。学業に差し支えるからな」

 うちの学校に限らず、女学校では卒業を待たずに輿入れなさる方もいらっしゃいます。むしろ中退して結婚という方が、女性としては誇らしいようです。
 晴れやかな笑顔で中退なさった方の空いた席が、一つまた一つと増えるたびに、友人ではなくとも少し寂しい気分になります。
 わたくしよりもお出来になるのに、中途で学ぶことを手放しておしまいになるのだ、と。

 でも旦那さまは、わたくしにちゃんと教育を施そうとしてくださいます。お清さんも同じ考えで、わたくしの通学を支えてくれます。
 だから、その気持ちに報いたいのです。

 高瀬先生のお仕事が終わるのを待つ間も、できる限り復習や宿題をしています。今日は古文の復習でした。難しいです『伊勢物語』
「昔男ありけり」は訳せますが、「女のえ得まじかりけるを」ですか。「え」と「得」は違うのですか? 「まじかり」は「マジカル」ですか?
 謎です。
 仕方ありません、勇気を出して明日国語の先生に尋ねましょう。

「あのな、翠子さん。古文は辞書を使った方がいいぞ」
「え、どうしてわたくしの考えが分かったのですか」
「いや、学業の話をしてぼうっとしていたら、今日俺を待っていた時の勉強のことかと思うだろ。古文っぽい内容が帳面に書いてあったからな」

 この察しの良さが、頭の良さの違いにつながるのでしょうか。
 しかも先日も英語の辞書のことを言われたばかりです。
 もしかしてわたくしの勉強法は、正しくないのでしょうか。だから成績が悪いのでしょうか。

 混乱していると、旦那さまがわたくしの右手を取りました。そして指先を丹念にご覧になります。

「あの、わたくしの指がどうかなさいましたか」
「絵の具が取れたな」

 そういえば青い絵の具がこびりついていましたが。お湯を使ったときに、落ちたようです。

「指先まで見られていたなんて、恥ずかしいです」
「それくらいで?」

 言外に込めた意味を察して、また頬が火照りました。
 困りました。まるで季節外れのリンゴみたいで、恥ずかしいです。きっとわたくしにも呪文が必要です。

「今日はキスだけで我慢しておくよ。だが、翠子さんからしてほしい」
「わたくしからですか」
「さっきしただろう?」

 はい、確かに。でも改めて要求されると、なんと破廉恥はれんちなことをしてしまったのだろうと思います。
 でも、口にはできません。きっと旦那さまなら「普段はもっといろいろねだっているだろう」なんて言いかねませんから。

「そんな風に恥じらわれると、抑えが効かなくなるぞ」
「は、はい」

 急かされて、わたくしは旦那さまの肩に手をかけて、くちづけました。軽く触れるだけのキスです。

 旦那さまは、ふっと短く笑いました。少し意地の悪い笑みです。

「男を知らない初心うぶな娘じゃあるまいし」
「なっ!」

 なんてことを仰るんでしょう。ひどいです。だって初心でないようにしたのは、旦那さま自身じゃありませんか。

「そんな下手なキスは却下だよ」

 返事をする前にくちづけられ、口を開くように促されました。旦那さまの舌が、歯列を割って口の中に入ってきます。
 まさに侵入という感じで、わたくしの舌も口腔も蹂躙されるほどの激しさです。

「あ……ふ、あぁ……」

 さっきまでの激しさとは逆に、今度は舌先でそーっとわたくしの舌を弄ります。
 頭がぼうっとして、体の芯が疼いてしまいます。
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