84 / 247
六章
11、ケーブルカー
エッグスタンドにのったゆで卵は半熟で、ちぎったパンをとろりとした黄金色の黄身につけて頂きます。
塩とまろやかな卵黄は、よく合います。
でも、しばらくお茄子が食べられないと思うと、寂しくなります。
お清さんが「体を冷やすから、良くないんですよ」と仰いますし、以前にもそう聞いたことがありますが。
小さくため息をつくわたくしを、旦那さまがちらっと窺いました。
「翠子さん、元気を出しなさい。旬の間にはまた茄子も食べられるだろうから」
「……はい」
「あー、そうだ。気分転換に山にでも行こうか。さすがに登山は……厳しいな」
山行を提案した旦那さまを、お清さんがぎろりと睨みつけます。珍しいことです。
「欧之丞坊ちゃま。これ以上、翠子さんに無理をなさらないでください」
「おい、お清。これ以上って」
「ご自分の胸に手を当てて訊いてごらんなさい。お清はびっくりしましたよ。夕ご飯も召し上がっていらっしゃらないんですから」
「そういえば、食べてなかったかな?」
お清さんが、また旦那さまを睨みつけました。
「お坊ちゃまは別によろしいんです。一食抜こうが、どうなさろうが。でも、翠子さんにそのような無体を強いてはなりません」
「いえ、その。お清さん、わたくしも特に……その……」
お夕飯をいただくことすら忘れて、旦那さまにひたすら抱かれていたなんて、わたくしの口からは言えませんよね。
「スープは昨夜の物ですけど。手つかずのお夕飯は、お清と銀司でいただきましたからね」
「……以後気をつける」
こんなにぴしゃりと言い放つお清さんを、初めて見ます。旦那さまは面食らったようでしたが、反論はなさいませんでした。
「冷静になれないんだよな、抑えが効かないというか……翠子さんに対しては」と、ぶつぶつと仰っています。
ですが、香り高いコーヒーを一口飲んで落ち着かれたのか、旦那さまがわたくしの方に向き直りました。
「今日はケーブルカーに乗ろうか。山頂を散歩するくらいなら、気分もいいだろう」
「ケーブルカーですか。乗ったことがありません」
汽車や軽便鉄道のように平地の街をつなぐ乗り物ではなく、山を登っていくのですよね。素敵な提案に、わくわくします。
◇◇◇
ケーブルカーの駅は、人で賑わっておりました。今日はわたくしは髪を一つに結び、藤色の細いリボンをつけ、歩きやすいスカートとブラウスを身に着けています。旦那さまも洋装に帽子をかぶっていらっしゃいます。
「素敵ですね。鉄の箱ですよ、おもちゃみたいです」
一両だけのケーブルカーは、深緑色に塗ってあり、森になじむ色です。車体は武骨なのに、その色は静謐で上品です。
改札で切符を見せて入ると、汽車の駅とは違い、ケーブルカーの駅は階段状になっています。
緑の車体のケーブルカーは、発車するとがたごとと音を立てながら登っていきます。
座席は木製ですが、感覚的に階段に並んで座って、そのまま体が上へと運ばれていくようです。
がたん、と車体が揺れて、わたくしは左隣に座る老紳士にもたれかかる格好になりました。
「す、すみません」
慌てて体を老紳士から離そうとするのですが、断続的な揺れにうまくいきません。
「しまった。考えが及ばなかったな」
右隣に座る旦那さまが立ち上がると、わたくしと老紳士の間に腰かけました。
「失礼。うちの者が、ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。面倒見のよいお兄さんだ」
「お兄……さん」
会釈をなさる老紳士の言葉に、旦那さまは軽くショックを受けられたようでした。ですが、見ず知らずの方に二人の関係を説明するわけにもいかず、旦那さまも会釈を返しておられます。
「翠子さん、これで存分にもたれかかっても大丈夫だから」
そう仰ると、わたくしの肩に手をまわし、ぐいっと引っ張ります。今は揺れてもいないのに、常に旦那さまに寄り添う形になり、これはこれで恥ずかしいです。
「あの、平気ですから」
「いや、君はすぐによろけるから。危ないだろう?」
「過保護です」
「うん、君はそう見るだろうな。だが、他の人に迷惑をかけてはいけないと、思う俺は間違っているかな?」
「……間違ってません」
すでにお隣の老紳士に迷惑をかけてしまった以上、言い返すことはできません。
「お兄さんは心配性ですね。でも、妹さんがガラス窓に頭をぶつけては危ないですからね」
ほら、老紳士も呆れて苦笑なさっているではないですか。
塩とまろやかな卵黄は、よく合います。
でも、しばらくお茄子が食べられないと思うと、寂しくなります。
お清さんが「体を冷やすから、良くないんですよ」と仰いますし、以前にもそう聞いたことがありますが。
小さくため息をつくわたくしを、旦那さまがちらっと窺いました。
「翠子さん、元気を出しなさい。旬の間にはまた茄子も食べられるだろうから」
「……はい」
「あー、そうだ。気分転換に山にでも行こうか。さすがに登山は……厳しいな」
山行を提案した旦那さまを、お清さんがぎろりと睨みつけます。珍しいことです。
「欧之丞坊ちゃま。これ以上、翠子さんに無理をなさらないでください」
「おい、お清。これ以上って」
「ご自分の胸に手を当てて訊いてごらんなさい。お清はびっくりしましたよ。夕ご飯も召し上がっていらっしゃらないんですから」
「そういえば、食べてなかったかな?」
お清さんが、また旦那さまを睨みつけました。
「お坊ちゃまは別によろしいんです。一食抜こうが、どうなさろうが。でも、翠子さんにそのような無体を強いてはなりません」
「いえ、その。お清さん、わたくしも特に……その……」
お夕飯をいただくことすら忘れて、旦那さまにひたすら抱かれていたなんて、わたくしの口からは言えませんよね。
「スープは昨夜の物ですけど。手つかずのお夕飯は、お清と銀司でいただきましたからね」
「……以後気をつける」
こんなにぴしゃりと言い放つお清さんを、初めて見ます。旦那さまは面食らったようでしたが、反論はなさいませんでした。
「冷静になれないんだよな、抑えが効かないというか……翠子さんに対しては」と、ぶつぶつと仰っています。
ですが、香り高いコーヒーを一口飲んで落ち着かれたのか、旦那さまがわたくしの方に向き直りました。
「今日はケーブルカーに乗ろうか。山頂を散歩するくらいなら、気分もいいだろう」
「ケーブルカーですか。乗ったことがありません」
汽車や軽便鉄道のように平地の街をつなぐ乗り物ではなく、山を登っていくのですよね。素敵な提案に、わくわくします。
◇◇◇
ケーブルカーの駅は、人で賑わっておりました。今日はわたくしは髪を一つに結び、藤色の細いリボンをつけ、歩きやすいスカートとブラウスを身に着けています。旦那さまも洋装に帽子をかぶっていらっしゃいます。
「素敵ですね。鉄の箱ですよ、おもちゃみたいです」
一両だけのケーブルカーは、深緑色に塗ってあり、森になじむ色です。車体は武骨なのに、その色は静謐で上品です。
改札で切符を見せて入ると、汽車の駅とは違い、ケーブルカーの駅は階段状になっています。
緑の車体のケーブルカーは、発車するとがたごとと音を立てながら登っていきます。
座席は木製ですが、感覚的に階段に並んで座って、そのまま体が上へと運ばれていくようです。
がたん、と車体が揺れて、わたくしは左隣に座る老紳士にもたれかかる格好になりました。
「す、すみません」
慌てて体を老紳士から離そうとするのですが、断続的な揺れにうまくいきません。
「しまった。考えが及ばなかったな」
右隣に座る旦那さまが立ち上がると、わたくしと老紳士の間に腰かけました。
「失礼。うちの者が、ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。面倒見のよいお兄さんだ」
「お兄……さん」
会釈をなさる老紳士の言葉に、旦那さまは軽くショックを受けられたようでした。ですが、見ず知らずの方に二人の関係を説明するわけにもいかず、旦那さまも会釈を返しておられます。
「翠子さん、これで存分にもたれかかっても大丈夫だから」
そう仰ると、わたくしの肩に手をまわし、ぐいっと引っ張ります。今は揺れてもいないのに、常に旦那さまに寄り添う形になり、これはこれで恥ずかしいです。
「あの、平気ですから」
「いや、君はすぐによろけるから。危ないだろう?」
「過保護です」
「うん、君はそう見るだろうな。だが、他の人に迷惑をかけてはいけないと、思う俺は間違っているかな?」
「……間違ってません」
すでにお隣の老紳士に迷惑をかけてしまった以上、言い返すことはできません。
「お兄さんは心配性ですね。でも、妹さんがガラス窓に頭をぶつけては危ないですからね」
ほら、老紳士も呆れて苦笑なさっているではないですか。
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」
まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。
そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。
「…おかえり」
ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。
近い。甘い。それでも――
「ちゃんと付き合ってから」
彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。
嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。
だから一歩手前で、いつも笑って止まる。
最初から好きなくせに、言えない彼女と。
気づいているのに、待っている俺の話。