【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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六章

11、ケーブルカー

 エッグスタンドにのったゆで卵は半熟で、ちぎったパンをとろりとした黄金色の黄身につけて頂きます。
 塩とまろやかな卵黄は、よく合います。

 でも、しばらくお茄子が食べられないと思うと、寂しくなります。
 お清さんが「体を冷やすから、良くないんですよ」と仰いますし、以前にもそう聞いたことがありますが。

 小さくため息をつくわたくしを、旦那さまがちらっと窺いました。

「翠子さん、元気を出しなさい。旬の間にはまた茄子も食べられるだろうから」
「……はい」
「あー、そうだ。気分転換に山にでも行こうか。さすがに登山は……厳しいな」

 山行さんこうを提案した旦那さまを、お清さんがぎろりと睨みつけます。珍しいことです。

「欧之丞坊ちゃま。これ以上、翠子さんに無理をなさらないでください」
「おい、お清。これ以上って」
「ご自分の胸に手を当てて訊いてごらんなさい。お清はびっくりしましたよ。夕ご飯も召し上がっていらっしゃらないんですから」
「そういえば、食べてなかったかな?」

 お清さんが、また旦那さまを睨みつけました。

「お坊ちゃまは別によろしいんです。一食抜こうが、どうなさろうが。でも、翠子さんにそのような無体を強いてはなりません」
「いえ、その。お清さん、わたくしも特に……その……」

 お夕飯をいただくことすら忘れて、旦那さまにひたすら抱かれていたなんて、わたくしの口からは言えませんよね。

「スープは昨夜の物ですけど。手つかずのお夕飯は、お清と銀司でいただきましたからね」
「……以後気をつける」

 こんなにぴしゃりと言い放つお清さんを、初めて見ます。旦那さまは面食らったようでしたが、反論はなさいませんでした。

「冷静になれないんだよな、抑えが効かないというか……翠子さんに対しては」と、ぶつぶつと仰っています。

 ですが、香り高いコーヒーを一口飲んで落ち着かれたのか、旦那さまがわたくしの方に向き直りました。

「今日はケーブルカーに乗ろうか。山頂を散歩するくらいなら、気分もいいだろう」
「ケーブルカーですか。乗ったことがありません」

 汽車や軽便けいべん鉄道のように平地の街をつなぐ乗り物ではなく、山を登っていくのですよね。素敵な提案に、わくわくします。

◇◇◇

 ケーブルカーのプラットは、人で賑わっておりました。今日はわたくしは髪を一つに結び、藤色の細いリボンをつけ、歩きやすいスカートとブラウスを身に着けています。旦那さまも洋装に帽子をかぶっていらっしゃいます。

「素敵ですね。鉄の箱ですよ、おもちゃみたいです」

 一両だけのケーブルカーは、深緑色に塗ってあり、森になじむ色です。車体は武骨なのに、その色は静謐で上品です。

 改札で切符を見せて入ると、汽車のステイションとは違い、ケーブルカーのプラットは階段状になっています。
 緑の車体のケーブルカーは、発車するとがたごとと音を立てながら登っていきます。
 座席は木製ですが、感覚的に階段に並んで座って、そのまま体が上へと運ばれていくようです。

 がたん、と車体が揺れて、わたくしは左隣に座る老紳士にもたれかかる格好になりました。

「す、すみません」

 慌てて体を老紳士から離そうとするのですが、断続的な揺れにうまくいきません。

「しまった。考えが及ばなかったな」

 右隣に座る旦那さまが立ち上がると、わたくしと老紳士の間に腰かけました。

「失礼。うちの者が、ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。面倒見のよいお兄さんだ」
「お兄……さん」

 会釈をなさる老紳士の言葉に、旦那さまは軽くショックを受けられたようでした。ですが、見ず知らずの方に二人の関係を説明するわけにもいかず、旦那さまも会釈を返しておられます。

「翠子さん、これで存分にもたれかかっても大丈夫だから」

 そう仰ると、わたくしの肩に手をまわし、ぐいっと引っ張ります。今は揺れてもいないのに、常に旦那さまに寄り添う形になり、これはこれで恥ずかしいです。

「あの、平気ですから」
「いや、君はすぐによろけるから。危ないだろう?」
「過保護です」
「うん、君はそう見るだろうな。だが、他の人に迷惑をかけてはいけないと、思う俺は間違っているかな?」
「……間違ってません」

 すでにお隣の老紳士に迷惑をかけてしまった以上、言い返すことはできません。

「お兄さんは心配性ですね。でも、妹さんがガラス窓に頭をぶつけては危ないですからね」

 ほら、老紳士も呆れて苦笑なさっているではないですか。
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