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七章
13、燐寸の思い出【2】
銀司は南国の生まれだ。彼の育った島は産業に乏しく、本州に出てきて働く人が多い。
うちの使用人として働き始めた銀司は、すでにいくつかの邸をクビになっていた。
家の主人に対して乱暴な口をきくし、薪割りなどの仕事はそつなくこなすが、何しろ風呂を沸かすのが遅いのだ。
これはもう五、六年も前のこと。
俺が仕事から戻ると、斧を手に暮れてゆく空を見上げてぼんやりしている銀司の姿がよくあった。
「銀司。風呂に入れるか?」
「す、すんません。まだです」
風呂を沸かすための薪を釜に突っ込んで、さらに庭で剪定した小枝や新聞紙を焚き付け用に入れる。
うん、手順は間違っていない。
だが、とにかく燐寸を擦るのが下手だ。すぐにペキッと折ってしまうのは、力が入りすぎているのだろう。何度擦っても火がつかないのは、擦り皮の角度が悪いのだろう。
「貸してみなさい」
俺は裏庭に下りて、銀司の隣にしゃがみ込んだ。燐寸に火をつけた俺を、銀司はきらきらした目で眺めている。
「マッチの軸は三本の指で、しっかりと支えるんだ」
丁寧に教えてやると、すぐに銀司はコツを掴んだ。だがその火は一瞬で消えてしまう。
「ああ」と名残惜しそうに、銀司は細い煙の立つマッチの軸を見つめている。
その様子はまるで途方に暮れた犬だ。
「ほら、銀司。自分の手を見てごらん。火のついた部分を上に向けているだろう」
「はい」
「上にすると火はすぐに消える。横に向けるとゆっくり燃える。下には向けるんじゃないぞ。一気に燃えて火傷するからな」
「え、そうなんすか」
「炎は先端の温度が高い。だから木でできた軸が炎の先端に触れると、一気に燃え移るんだ。だから決して火のついた燐寸を下に向けないようにな」
銀司は目を丸くした。
「初めて聞きました」と呟きながら。
「『そうなんすか』じゃなくて『そうなんですか』だな。あと、火を消すときは軸を振るなよ。火が飛んで、火事になってしまうからな」
うんうん、と銀司は何度もうなずいた。
何だよ、素直な子じゃないか。あちこちクビになったと聞いたが、誰も初歩的なことを教えてやらなかっただけなんだろうな。
「そんなことも知らないのか」と罵る人間がいるが「そんなことすら、教えられないんだろ」と俺は、そいつらに言い返してやりたい。
「うちの島は燐寸が貴重で、ぼくは火打石と付け木を使っていたんっす……いたんです」
「じゃあ、あれだな。もし今後『燐寸も擦れないのか』と叱られることがあったら。『あんたは火打石で火が起こせるのか? できもしないくせに』と言うといい」
「……そんなことを言ったら、またクビになりますよ」
「まぁな。図星をさされると大概の人間は怒るからな。けど燐寸よりも火打石で火を点けられる方が、すごいと俺は思うぞ」
俺は胸ポケットに入っていた小さな燐寸箱を取りだした。椰子の木のシルエット、南国をイメージしたデザインだ。
「うわぁ。うちの島みたいだ。すげぇ。こんな風に真っ赤な夕暮れに、椰子の木が影になって見えるんです」
「それで燐寸の練習をするといい」
「無理っす」
なんで?
問い返そうとしたら、銀司の瞳が煌めいた。表情も明るく輝いている。ああ、銀司が家で働き出してから、笑顔を見るのは初めてだな。
お前、こんな風に笑える子だったんだな。
「家宝にします。わぁ、燐寸の軸もいろんな色がある。虹を閉じ込めたみたいだ」
喜んでくれて何よりです。だが、燐寸を家宝にする家はないと思うぞ。
◇◇◇
「数日後、銀司は嬉しそうに燐寸を擦って見せてくれたよ。ああ、徳用の大箱の奴な」
そう仰る旦那さまこそ、嬉しそうに笑っていらっしゃいます。
人にあまりお見せすることのない笑顔は、格別です。
その旦那さまに気遣ってもらえることが、どれほどに嬉しいことか。旦那さまが微笑んでくださることが、いかに尊いのか。
旦那さまは、ご自分では気づいていらっしゃらないのです。
「旦那さまは、寂しい子をお救いになるのが上手なのですね」
「そんなことを誰にも言われたことはないが」
「ええ。救われた者でないと分からないと思います。でも銀司さんとわたくしは気づいています」
わたくしは袂からハンカチを取り出すと、その上に拾った燐寸を並べていきました。
家宝にしようと決めたほど大事な物を、銀司さんはわたくしのために使ってくださったのです。
その優しさを、銀司さんと旦那さまの思い出を、一本だって無駄にはしたくありません。
白い滑らかなレースのハンカチの上で、色とりどりの燐寸はそれぞれが寄り添っているかのようです。
うちの使用人として働き始めた銀司は、すでにいくつかの邸をクビになっていた。
家の主人に対して乱暴な口をきくし、薪割りなどの仕事はそつなくこなすが、何しろ風呂を沸かすのが遅いのだ。
これはもう五、六年も前のこと。
俺が仕事から戻ると、斧を手に暮れてゆく空を見上げてぼんやりしている銀司の姿がよくあった。
「銀司。風呂に入れるか?」
「す、すんません。まだです」
風呂を沸かすための薪を釜に突っ込んで、さらに庭で剪定した小枝や新聞紙を焚き付け用に入れる。
うん、手順は間違っていない。
だが、とにかく燐寸を擦るのが下手だ。すぐにペキッと折ってしまうのは、力が入りすぎているのだろう。何度擦っても火がつかないのは、擦り皮の角度が悪いのだろう。
「貸してみなさい」
俺は裏庭に下りて、銀司の隣にしゃがみ込んだ。燐寸に火をつけた俺を、銀司はきらきらした目で眺めている。
「マッチの軸は三本の指で、しっかりと支えるんだ」
丁寧に教えてやると、すぐに銀司はコツを掴んだ。だがその火は一瞬で消えてしまう。
「ああ」と名残惜しそうに、銀司は細い煙の立つマッチの軸を見つめている。
その様子はまるで途方に暮れた犬だ。
「ほら、銀司。自分の手を見てごらん。火のついた部分を上に向けているだろう」
「はい」
「上にすると火はすぐに消える。横に向けるとゆっくり燃える。下には向けるんじゃないぞ。一気に燃えて火傷するからな」
「え、そうなんすか」
「炎は先端の温度が高い。だから木でできた軸が炎の先端に触れると、一気に燃え移るんだ。だから決して火のついた燐寸を下に向けないようにな」
銀司は目を丸くした。
「初めて聞きました」と呟きながら。
「『そうなんすか』じゃなくて『そうなんですか』だな。あと、火を消すときは軸を振るなよ。火が飛んで、火事になってしまうからな」
うんうん、と銀司は何度もうなずいた。
何だよ、素直な子じゃないか。あちこちクビになったと聞いたが、誰も初歩的なことを教えてやらなかっただけなんだろうな。
「そんなことも知らないのか」と罵る人間がいるが「そんなことすら、教えられないんだろ」と俺は、そいつらに言い返してやりたい。
「うちの島は燐寸が貴重で、ぼくは火打石と付け木を使っていたんっす……いたんです」
「じゃあ、あれだな。もし今後『燐寸も擦れないのか』と叱られることがあったら。『あんたは火打石で火が起こせるのか? できもしないくせに』と言うといい」
「……そんなことを言ったら、またクビになりますよ」
「まぁな。図星をさされると大概の人間は怒るからな。けど燐寸よりも火打石で火を点けられる方が、すごいと俺は思うぞ」
俺は胸ポケットに入っていた小さな燐寸箱を取りだした。椰子の木のシルエット、南国をイメージしたデザインだ。
「うわぁ。うちの島みたいだ。すげぇ。こんな風に真っ赤な夕暮れに、椰子の木が影になって見えるんです」
「それで燐寸の練習をするといい」
「無理っす」
なんで?
問い返そうとしたら、銀司の瞳が煌めいた。表情も明るく輝いている。ああ、銀司が家で働き出してから、笑顔を見るのは初めてだな。
お前、こんな風に笑える子だったんだな。
「家宝にします。わぁ、燐寸の軸もいろんな色がある。虹を閉じ込めたみたいだ」
喜んでくれて何よりです。だが、燐寸を家宝にする家はないと思うぞ。
◇◇◇
「数日後、銀司は嬉しそうに燐寸を擦って見せてくれたよ。ああ、徳用の大箱の奴な」
そう仰る旦那さまこそ、嬉しそうに笑っていらっしゃいます。
人にあまりお見せすることのない笑顔は、格別です。
その旦那さまに気遣ってもらえることが、どれほどに嬉しいことか。旦那さまが微笑んでくださることが、いかに尊いのか。
旦那さまは、ご自分では気づいていらっしゃらないのです。
「旦那さまは、寂しい子をお救いになるのが上手なのですね」
「そんなことを誰にも言われたことはないが」
「ええ。救われた者でないと分からないと思います。でも銀司さんとわたくしは気づいています」
わたくしは袂からハンカチを取り出すと、その上に拾った燐寸を並べていきました。
家宝にしようと決めたほど大事な物を、銀司さんはわたくしのために使ってくださったのです。
その優しさを、銀司さんと旦那さまの思い出を、一本だって無駄にはしたくありません。
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