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七章
18、うれしくて
旦那さまは、すぐには首に巻かれたものが何か分からなかったようです。
少し手で引っ張って確認して、それでも信じられないのか、二度見ていらっしゃいます。
「これは俺の」
「はい、お兄ちゃんのマフラーです」
マフラーをするりと解くと、旦那さまは穴が開きそうなほどにじっと見つめていらっしゃいます。
そんなに凝視されては、マフラーも恥ずかしいのではないかしら。
「銀司さんは燐寸。わたくしはマフラー。どちらも旦那さまが……わたくしの場合はお兄ちゃんでしたけど、くださった宝物なんですよ」
「ずっと持っていてくれたのか」
「はい」
旦那さまは手にした淡い黄色のマフラーを、わたくしの首にかけました。さらに口も鼻も隠れるほどにぐるぐる巻きにされます。
「ああ、あの日の翠子さんだ」
あまりにも嬉しそうに旦那さまが微笑むので、わたくしもつられて笑顔になってしまいました。
困った顔も朗らかな顔も、不意に目にするとどきりとします。
「ね、旦那さまはかわいいんですよ」
「いや、俺は、そういう範疇には入らないから」
「わたくしにとっては、ですよ。だって特別な人ですもの」
「あー、夏のマフラーはさすがに暑いよな」
旦那さまはわたくしから顔を背けると、なぜか両手で顔を覆っていらっしゃいます。
「わたくしが旦那さまのどこをかわいいと思うのか、一つ一つ説明してさしあげますね」
「うん。それはもういいかな」
旦那さまはわたくしからマフラーを外すと、立ち上がって、箪笥へと向かいました。そして引き出しにしまいます。あまりにもそっけないです。
「はい、終了。この話は終わりだ」
「え、どうしてですか? 家で聞くと、今日職員室で仰ったじゃないですか」
わたくしは、箪笥の前に立つ旦那さまの浴衣の袖を引っ張りました。でも背中を向けたまま、なかなか振り返ってくれません。天井ばかりを見上げていらっしゃいます。
◇◇◇
困った。
俺は涙がこぼれそうになって、下を向くことができずにいた。
最近ついたばかりの、天井の電気のランプが眩しくてならない。
とうに失くしただろうと思っていたあの日のマフラーを、翠子さんは今も大事にしていて。しかもあの「お兄ちゃん」が俺だと気づいてもいなかったのに、笠井の家から持ってきてくれていた。
そういうのを何というか知っている。片時も離さず持っている、というんだ。
翠子さんは、うちに来た時、必要最低限の物だけしか持ってこなかった。その中に、俺のマフラーが入っていたなんて。
借金のかたに金で買われたと思い込み、下働きとしてこき使われることを覚悟して我が家にやって来たあなたは、きっとつらい思いをすると覚悟していたはずだ。
あのマフラーを心の支えにして、生きていくつもりだったのか。
二人の思い出を、そんなにも大事にしてくれていたのか。
ずっと愛されていたという事実が、こんなにも嬉しいなんて。
確かに「お兄ちゃん」が初恋だとは聞いていた。けれど、聞くのと実際に見るのとでは、その深さが違う。
銀司の燐寸を懸命に拾って集める翠子さんを、心から優しいと思った。でも、それだけではない。彼女には分かっていたんだ。
肌身離さずに持っている宝を失くすことが、如何につらいかを。
翠子さんは物ではない。それは当たり前だし、重々分かっている。けれど銀司にとっての燐寸、翠子さんにとってのマフラーがそうであるように。
俺にとっては、片時も離したくないのは翠子さんなんだ。
「旦那さま、こちらにいらしてください」
翠子さんに呼ばれて、俺は拳で滲む涙をぬぐった。
嬉しくて泣けるなんて、この年になるまで経験のないことだ。いや、翠子さんだから経験させてくれたんだ。
振り返ると、縁側に座った翠子さんが手招きをしている。
涙ぐんだ俺の目はきっと充血している。縁側はまだ西日が差しているし、部屋の奥は電燈が明るい。
いっそ電気の明かりではなく、行灯ならと思った。今になって薄暗い方を好む翠子さんの気持ちが分かるなんて。
翠子さんの隣に腰を下ろすと、浴衣の袖をくいっと引っ張られた。
これは、もたれなさい。ということか?
少し手で引っ張って確認して、それでも信じられないのか、二度見ていらっしゃいます。
「これは俺の」
「はい、お兄ちゃんのマフラーです」
マフラーをするりと解くと、旦那さまは穴が開きそうなほどにじっと見つめていらっしゃいます。
そんなに凝視されては、マフラーも恥ずかしいのではないかしら。
「銀司さんは燐寸。わたくしはマフラー。どちらも旦那さまが……わたくしの場合はお兄ちゃんでしたけど、くださった宝物なんですよ」
「ずっと持っていてくれたのか」
「はい」
旦那さまは手にした淡い黄色のマフラーを、わたくしの首にかけました。さらに口も鼻も隠れるほどにぐるぐる巻きにされます。
「ああ、あの日の翠子さんだ」
あまりにも嬉しそうに旦那さまが微笑むので、わたくしもつられて笑顔になってしまいました。
困った顔も朗らかな顔も、不意に目にするとどきりとします。
「ね、旦那さまはかわいいんですよ」
「いや、俺は、そういう範疇には入らないから」
「わたくしにとっては、ですよ。だって特別な人ですもの」
「あー、夏のマフラーはさすがに暑いよな」
旦那さまはわたくしから顔を背けると、なぜか両手で顔を覆っていらっしゃいます。
「わたくしが旦那さまのどこをかわいいと思うのか、一つ一つ説明してさしあげますね」
「うん。それはもういいかな」
旦那さまはわたくしからマフラーを外すと、立ち上がって、箪笥へと向かいました。そして引き出しにしまいます。あまりにもそっけないです。
「はい、終了。この話は終わりだ」
「え、どうしてですか? 家で聞くと、今日職員室で仰ったじゃないですか」
わたくしは、箪笥の前に立つ旦那さまの浴衣の袖を引っ張りました。でも背中を向けたまま、なかなか振り返ってくれません。天井ばかりを見上げていらっしゃいます。
◇◇◇
困った。
俺は涙がこぼれそうになって、下を向くことができずにいた。
最近ついたばかりの、天井の電気のランプが眩しくてならない。
とうに失くしただろうと思っていたあの日のマフラーを、翠子さんは今も大事にしていて。しかもあの「お兄ちゃん」が俺だと気づいてもいなかったのに、笠井の家から持ってきてくれていた。
そういうのを何というか知っている。片時も離さず持っている、というんだ。
翠子さんは、うちに来た時、必要最低限の物だけしか持ってこなかった。その中に、俺のマフラーが入っていたなんて。
借金のかたに金で買われたと思い込み、下働きとしてこき使われることを覚悟して我が家にやって来たあなたは、きっとつらい思いをすると覚悟していたはずだ。
あのマフラーを心の支えにして、生きていくつもりだったのか。
二人の思い出を、そんなにも大事にしてくれていたのか。
ずっと愛されていたという事実が、こんなにも嬉しいなんて。
確かに「お兄ちゃん」が初恋だとは聞いていた。けれど、聞くのと実際に見るのとでは、その深さが違う。
銀司の燐寸を懸命に拾って集める翠子さんを、心から優しいと思った。でも、それだけではない。彼女には分かっていたんだ。
肌身離さずに持っている宝を失くすことが、如何につらいかを。
翠子さんは物ではない。それは当たり前だし、重々分かっている。けれど銀司にとっての燐寸、翠子さんにとってのマフラーがそうであるように。
俺にとっては、片時も離したくないのは翠子さんなんだ。
「旦那さま、こちらにいらしてください」
翠子さんに呼ばれて、俺は拳で滲む涙をぬぐった。
嬉しくて泣けるなんて、この年になるまで経験のないことだ。いや、翠子さんだから経験させてくれたんだ。
振り返ると、縁側に座った翠子さんが手招きをしている。
涙ぐんだ俺の目はきっと充血している。縁側はまだ西日が差しているし、部屋の奥は電燈が明るい。
いっそ電気の明かりではなく、行灯ならと思った。今になって薄暗い方を好む翠子さんの気持ちが分かるなんて。
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