【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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七章

24、蚊のせいで【1】

 蚊帳の中に並べて敷いた布団で、わたくしたちは横になりました。
 前栽せんざいから甘い香りが漂ってきます。
 見れば、白い花が開いているのが分かりました。小さくて儚い、でもとても甘い香りです。

茉莉花ジャスミンだな。あれは夜に咲く種類だ」
「いい香りですね」
「今年の初咲きだ。茉莉花は翠子さんに似ているな」

 そうなのですか? よく分かりませんが。

「夜に咲く花は、かぐわしいんだ」

 旦那さまはそうおっしゃりながら、わたくしの髪をいじります。どう反応していいか分かりかねます。

 ぷーん、と不穏な音が聞こえてきました。蚊です。間違いありません。
 わたくしは立ち上がり、辺りを見定めました。ふわっと耳の辺りをよぎるものがあります。

「旦那さま。緊急事態です。蚊が蚊帳に入っています」

 横になっている旦那さまの体を揺すっていると、ふいに首筋に強烈なかゆみを覚えました。

「蚊帳の中に蚊か。意味のないことになってるな」

 やれやれとため息をつきながら、旦那さまが起き上がりますが、わたくしはそれどころではありません。
 首の横がぷっくりと腫れ、しかも今度は足の甲まで刺されてしまっているのですから。

「か、かゆいです」
「翠子さん、刺されたのか?」

 首筋を掻きむしろうとするわたくしの手を、旦那さまは握りしめて離してくださいません。

「傷が残るぞ。それに黴菌が入る」
「でも……我慢できません」

 首と足だけかと思えば、今度は二の腕まで痒くなりました。浴衣の袂から中に入り込んだようです。

「旦那さまは刺されていないんですか?」
「いや、別に何ともないが」
「ひどいです。どうしてわたくしだけを選んで刺すんですか」
「君、もしかして虫に好かれやすいのか? この前は、蛍もついて来たもんな」
「そんなこと今はどうでもいいんです」

 あっちこもっちもかゆくて、たまりません。なのに、まだ憎らしい蚊の羽音が聞こえるんです。

「やだ、もう。なんとかしてください」

 ずるいです。ご自分だけ平然としていらっしゃるなんて。わたくしの辛さなどまったく意に介さない様子で、旦那さまは蚊を目で追っています。
 もちろん両手を掴まれたままなので、身動きが取れません。

「や……っ、苦しい。かゆいんです」
「蚊遣りに火をつけるから、掻くのを我慢するんだよ」

 わたくしは頷きましたが、旦那さまが燐寸と鋳鉄でできた蚊遣り器を取りに、蚊帳から出たとき、耐え切れずに足の甲を掻いてしまいました。

「こら、言いつけを守りなさい。すぐにかゆみ止めの薬を持ってくるから」
「無理です……、だって三か所も刺されているんですよ」

「参ったな」と呟きながら、旦那さまは帯紐を持って蚊帳の中に戻ってきました。二本、いえ三本でしょうか。燐寸と蚊遣り器を右手に、不穏な帯紐を左手に握っていらっしゃいます。

「あの、なにを……」
「緊急事態です。俺はあなたの肌を、あなたの無粋な指から守らなければなりません。なので反論と抵抗は認めません」
「やだ、冗談はやめてください」
「冗談ではありませんよ、俺の大事なお嬢さま」

 旦那さまは妙に丁寧な言葉で返してきますが、あっという間にわたくしの左右の手首と、左右の足首を縛り上げてしまいました。
 なんで手馴れているんですか。

「縛られる意味が分かりません。それに足は関係ないです」
「うーん、たぶんお嬢さまでしたら、足の指や踵で、器用に足の甲を掻くと思いますよ」
「その丁寧語、やめてください。それにそんなお行儀の悪いこと……」
「しないと誓えるか?」

 多分、無理です。

「先に蚊遣りに火をつけるから、翠子さんはおとなしく縛られていなさい」

 はい、なんて答えられるはずもありません。だって体の前で手を、足首は揃えて縛られて。立つこともできずに、わたくしは布団の上に転がっているんですから。

 ねぇ、旦那さま。これって犯罪の匂いがしませんか?
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