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八章
4、宵祭り【2】
夕暮れが過ぎるのを待って、わたくし達は家を出ました。
「今は風がありますけどね。凪の時間になったら蒸し暑いですよ」と、お清さんが扇子を渡してくださいました。
西の空は夕日の名残が紫と茜の色に染まっています。東の空には昇ったばかりの、真円に少しばかり届かない月。
太陽と月がちょうど交代する時間です。
海からの風が、白い紙垂を一斉にひらめかせます。空はまだ明るさを残しているのに、町中は薄闇に沈んでいて。幻想的な絵画のような風景の中を、わたくし達は進みました。
「迷子にならないように、俺から離れるんじゃないぞ」
「はい」
「本当は人ごみの中で手をつないだ方がいいんだろうが……」
「迷子になるほど子どもではありませんよ」
旦那さまは帽子を目深にかぶっていらっしゃいますが、背の低いわたくしからは、渋い表情がよく見えます。
「これ以上、兄妹扱いされてはたまらん」
まだ地味に気にしていらしたんですね。
「大丈夫ですよ。迷っても一人で帰れますから」
「だから、それが危ないと言ってるんだ。あなたが夜道を一人で歩くなど、もう考えただけでも……」
そう仰ると、旦那さまは身震いなさいました。そして肩を落としてため息をつきます。
大げさですと言えないところがつらいです。
先日、わたくしが達比古おじさまに追いかけられた時。旦那さまはどれほど心配なさったでしょう。
「そうです。扇子があります」
わたくしは扇子の要の部分を、旦那さまは閉じた扇面の部分をお持ちになります。
白檀の雅な香りが、二人の間で漂いました。
「まぁ、迷子になるよりはいいな。これで我慢するか」
神社の参道に着くとすでに提灯に火が灯されていました。参道の両側と、頭上で揺らめく光に期待は増します。
人出も多く、子どもたちがはしゃぎながら下駄を鳴らして走っています。
「よぉ、欧之丞」
前方から男性が旦那さまの名を呼んで、軽く手を挙げました。柔らかそうな栗色の髪、ネクタイにベストという、洒落た出で立ちの紳士です。
「珍しいなぁ、お前が宵祭りに来るやなんて。ああ……」
その方はお一人で納得したようにうなずくと、わたくしに視線を向けました。静かそうに見えるのですが、瞳は鋭くて、どこか刃物を思わせます。
少し怖くなり、わたくしは挨拶代わりに頭を下げると旦那さまの後ろに隠れました。
「そのお嬢さんか。お前が待ち望んどったっていう花嫁は」
「琥太郎兄さん。そう、笠井翠子さんだ。翠子さん、こちらは三條琥太郎さん。俺の幼馴染みだよ」
「ええな。旦那さんと若妻っていう風情や」
旦那さまは不思議そうに小首をかしげると、共に手にしている扇子を持ち上げました。
「この状態でも兄妹に見えないか?」
「見えへんな」
隠れていては失礼ですよね。そう思って琥太郎さんの顔を見るのですが、やはり脅えてしまいます。
なぜでしょう。穏やかそうな風貌でいらっしゃるのに。
「ははーん。勘の鋭い子ぉやな」
「いや、翠子さんはどちらかというと勘は鈍いと思うぞ」
「おいおい、好いた相手に失礼なことを言うたんなや。これやから、欧之丞は。男爵家の令嬢やけど、いろいろ苦労してきとぉから、嗅覚が優れとんやろ。お嬢さん、私が怖いか?」
琥太郎さんは身をかがめて、わたくしの方へ近づいてきました。
わたくしは反射的に一歩引いてしまいます。
するとさらに、琥太郎さんが近づいてきました。
ひーっ。やめてください。
「そんな蛇蝎のごとく嫌わんといてぇや」
「いえ、嫌っていませんし怖がってもいません」
「強がるねぇ。声、震えとうで」
はは、と琥太郎さんは小さく笑いました。
わたくしは、文子さんほど怖がりではありません。なのに、この方に近づかない方がいいと本能が警告しています。
「あんまり翠子さんを虐めないでくれよ。琥太兄」
旦那さまは擁護してくださるのですけど、どうして顔がにやけているんですか? 声が嬉しそうなんですか?
「今は風がありますけどね。凪の時間になったら蒸し暑いですよ」と、お清さんが扇子を渡してくださいました。
西の空は夕日の名残が紫と茜の色に染まっています。東の空には昇ったばかりの、真円に少しばかり届かない月。
太陽と月がちょうど交代する時間です。
海からの風が、白い紙垂を一斉にひらめかせます。空はまだ明るさを残しているのに、町中は薄闇に沈んでいて。幻想的な絵画のような風景の中を、わたくし達は進みました。
「迷子にならないように、俺から離れるんじゃないぞ」
「はい」
「本当は人ごみの中で手をつないだ方がいいんだろうが……」
「迷子になるほど子どもではありませんよ」
旦那さまは帽子を目深にかぶっていらっしゃいますが、背の低いわたくしからは、渋い表情がよく見えます。
「これ以上、兄妹扱いされてはたまらん」
まだ地味に気にしていらしたんですね。
「大丈夫ですよ。迷っても一人で帰れますから」
「だから、それが危ないと言ってるんだ。あなたが夜道を一人で歩くなど、もう考えただけでも……」
そう仰ると、旦那さまは身震いなさいました。そして肩を落としてため息をつきます。
大げさですと言えないところがつらいです。
先日、わたくしが達比古おじさまに追いかけられた時。旦那さまはどれほど心配なさったでしょう。
「そうです。扇子があります」
わたくしは扇子の要の部分を、旦那さまは閉じた扇面の部分をお持ちになります。
白檀の雅な香りが、二人の間で漂いました。
「まぁ、迷子になるよりはいいな。これで我慢するか」
神社の参道に着くとすでに提灯に火が灯されていました。参道の両側と、頭上で揺らめく光に期待は増します。
人出も多く、子どもたちがはしゃぎながら下駄を鳴らして走っています。
「よぉ、欧之丞」
前方から男性が旦那さまの名を呼んで、軽く手を挙げました。柔らかそうな栗色の髪、ネクタイにベストという、洒落た出で立ちの紳士です。
「珍しいなぁ、お前が宵祭りに来るやなんて。ああ……」
その方はお一人で納得したようにうなずくと、わたくしに視線を向けました。静かそうに見えるのですが、瞳は鋭くて、どこか刃物を思わせます。
少し怖くなり、わたくしは挨拶代わりに頭を下げると旦那さまの後ろに隠れました。
「そのお嬢さんか。お前が待ち望んどったっていう花嫁は」
「琥太郎兄さん。そう、笠井翠子さんだ。翠子さん、こちらは三條琥太郎さん。俺の幼馴染みだよ」
「ええな。旦那さんと若妻っていう風情や」
旦那さまは不思議そうに小首をかしげると、共に手にしている扇子を持ち上げました。
「この状態でも兄妹に見えないか?」
「見えへんな」
隠れていては失礼ですよね。そう思って琥太郎さんの顔を見るのですが、やはり脅えてしまいます。
なぜでしょう。穏やかそうな風貌でいらっしゃるのに。
「ははーん。勘の鋭い子ぉやな」
「いや、翠子さんはどちらかというと勘は鈍いと思うぞ」
「おいおい、好いた相手に失礼なことを言うたんなや。これやから、欧之丞は。男爵家の令嬢やけど、いろいろ苦労してきとぉから、嗅覚が優れとんやろ。お嬢さん、私が怖いか?」
琥太郎さんは身をかがめて、わたくしの方へ近づいてきました。
わたくしは反射的に一歩引いてしまいます。
するとさらに、琥太郎さんが近づいてきました。
ひーっ。やめてください。
「そんな蛇蝎のごとく嫌わんといてぇや」
「いえ、嫌っていませんし怖がってもいません」
「強がるねぇ。声、震えとうで」
はは、と琥太郎さんは小さく笑いました。
わたくしは、文子さんほど怖がりではありません。なのに、この方に近づかない方がいいと本能が警告しています。
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