131 / 247
八章
15、夕暮れの汽車
俺は流れていく夕暮れの景色を眺めていた。
ちょうど海の近くを汽車が走っているから、開いた窓から、湿った風が流れ込む。西日が海面を輝かせ、まるで金銀砂子で細工をしたように見える。
すぐに自分の住む街を通り過ぎ、汽車は郊外を進む。俺は知らぬ内に木の窓枠を指でとんとんと叩いていた。
「欧之丞。あんまり寂しがらんときや」
「俺は別に寂しくなど」
「まーた、強がって」
「うるさいな。琥太兄は」
俺の物言いが気に食わなかったのだろう。護衛がぎろりと俺をにらんでくる。その視線だけで女性なら失神してしまいそうだ。
うちの生徒、とくに深山さんは俺のことをすぐに怖がるが。その筋の人の怖さを知らんからなんだろうな。
「斉川」
琥太郎兄さんが、ぴしりと短く苗字を呼んだだけで、その斉川という護衛は「申し訳ございません」と頭を下げた。
「琥太郎兄さんも窮屈になったもんだな」
「昔みたいに、お前と気楽に山にも登られへんな。ぞろぞろとうちの若い衆がついてきてしまうからな」
「……清々しさのかけらもない登山だな」
「はは、そうやな。まったく窮屈極まりないわ」
琥太郎兄さんは前に座る俺を一瞥した。
「せやけど、お前の翠子さんも窮屈な思いをしとんやろ。一人で外出もさせてへんらしいな」
「そうだな。かわいそうだと思う」
あの人は聞き分けがいいから。おそらくは友人に誘われても、出かけるのを断っているのだろう。
もし、今後身の安全が確保されたなら。もっと自由にどこへでも出かけるのだろうな。
「まぁ、明日までの我慢やな。ちゃんと話をしてきたんやろ?」
俺は静かにうなずいた。
先日の宵祭りで琥太郎兄さんから手紙を渡された。
郵便では心もとないから、手ずから渡したいとお清が伝言を預かっていたのだ。ならば宵祭りの時に、偶然出会った風を装えばいいだろう。その旨を、またお清から伝えてもらうこととなった。
といっても、三條組の組員が八百屋に買い物に来ている時に、立ち話をしてもらっただけだ。
そして直接手渡された手紙には、こう書いてあった。
――うちの舎弟に、お前の嫁を攫ってほしいとの依頼があった。依頼人は、お前から動向を探るように言われとった三木という男や。逆にいうたらこれは好機。蠅は追い払った方がええやろ。
琥太郎兄さんの言い分は正しい。だが、そのためにまず翠子さんを差し出さなければならないという事実に、胸が苦しくなる。
突然、轟という音が響いたと思うと、辺りが暗転した。
最初は煉瓦で組まれた隧道の内部が見えていたが、すぐに視界は暗く閉ざされてしまう。
「いてっ」
急にひたいに痛みを感じて、俺は声を上げた。
隧道を抜けると、琥太郎兄さんがにやにやと笑みを浮かべていた。
若頭のそんな顔を見ることは滅多にないのだろう。斉川は、驚いたような表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「そんな情けない顔をするな。うちの者は、翠子さんを傷つけたりせぇへんから」
「琥太郎兄さん」
「もっと出るところが出てる娘なら、危なかったぞ。よかったな、分かりやすい色気がある子やのうて」
なんだよ、それ。俺は対面する琥太郎兄さんの足に膝をぶつけた。琥太郎兄さんも当然のごとくにやり返してくる。斉川が、おろおろとした表情を浮かべたが、それだけだった。
「すみませんね、兄さん。俺、足が長いもんで」
「いやー、気にすることないよ欧之丞は。うん、全然長くないからな。私の方こそ足が長ぅて。邪魔になって申し訳あらへんな」
引きつった笑顔を突き合わせつつ、互いの足で攻撃を繰り返す。
なんか、子どもの頃に戻ったみたいで、思わず笑ってしまった。
「よかった。ようやく笑顔になったな」
膝をさすりながら琥太郎兄さんが静かに微笑むから。
ああ、なんだ。やっぱり兄さんは昔のままで優しいんだと実感した。
◇◇◇
今日のお夕飯は、お清さんと銀司さんも一緒に食卓を囲みます。
旦那さまの席だけが、ぽつんと空いているのが寂しいですけど。それを言ってはいけませんね。
今日は茄子の鍋しぎに、蒸し上げた翡翠色の茄子にひき肉のそぼろ入りの餡をとろりとかけたもの、湯葉のお吸い物。それにデザートにはさくらんぼもあります。
「お清さん、ありがとうございます。わたくしの好物ばかりです」
「ええ、ええ。旦那さまがいらっしゃらなくとも、たんと召し上がってくださらないと」
蒸した茄子は、箸を入れるとすっと切れます。そぼろは鶏肉のようで、生姜がしっかりと効いた味付けです。
「済みません。わたくしのために、お二人とも泊まっていただくことになって」
「いいんすよ。お清さんの美味しい料理も食べられますし」
「ええ、ええ。今夜は頑張ってくださいね、翠子さん」
本当に皆さんに大事にしていただいて。わたくしには、勿体ないほどありがたいです。
それに、この後起こることを考えると、しっかりと食べておかねばなりません。
ちょうど海の近くを汽車が走っているから、開いた窓から、湿った風が流れ込む。西日が海面を輝かせ、まるで金銀砂子で細工をしたように見える。
すぐに自分の住む街を通り過ぎ、汽車は郊外を進む。俺は知らぬ内に木の窓枠を指でとんとんと叩いていた。
「欧之丞。あんまり寂しがらんときや」
「俺は別に寂しくなど」
「まーた、強がって」
「うるさいな。琥太兄は」
俺の物言いが気に食わなかったのだろう。護衛がぎろりと俺をにらんでくる。その視線だけで女性なら失神してしまいそうだ。
うちの生徒、とくに深山さんは俺のことをすぐに怖がるが。その筋の人の怖さを知らんからなんだろうな。
「斉川」
琥太郎兄さんが、ぴしりと短く苗字を呼んだだけで、その斉川という護衛は「申し訳ございません」と頭を下げた。
「琥太郎兄さんも窮屈になったもんだな」
「昔みたいに、お前と気楽に山にも登られへんな。ぞろぞろとうちの若い衆がついてきてしまうからな」
「……清々しさのかけらもない登山だな」
「はは、そうやな。まったく窮屈極まりないわ」
琥太郎兄さんは前に座る俺を一瞥した。
「せやけど、お前の翠子さんも窮屈な思いをしとんやろ。一人で外出もさせてへんらしいな」
「そうだな。かわいそうだと思う」
あの人は聞き分けがいいから。おそらくは友人に誘われても、出かけるのを断っているのだろう。
もし、今後身の安全が確保されたなら。もっと自由にどこへでも出かけるのだろうな。
「まぁ、明日までの我慢やな。ちゃんと話をしてきたんやろ?」
俺は静かにうなずいた。
先日の宵祭りで琥太郎兄さんから手紙を渡された。
郵便では心もとないから、手ずから渡したいとお清が伝言を預かっていたのだ。ならば宵祭りの時に、偶然出会った風を装えばいいだろう。その旨を、またお清から伝えてもらうこととなった。
といっても、三條組の組員が八百屋に買い物に来ている時に、立ち話をしてもらっただけだ。
そして直接手渡された手紙には、こう書いてあった。
――うちの舎弟に、お前の嫁を攫ってほしいとの依頼があった。依頼人は、お前から動向を探るように言われとった三木という男や。逆にいうたらこれは好機。蠅は追い払った方がええやろ。
琥太郎兄さんの言い分は正しい。だが、そのためにまず翠子さんを差し出さなければならないという事実に、胸が苦しくなる。
突然、轟という音が響いたと思うと、辺りが暗転した。
最初は煉瓦で組まれた隧道の内部が見えていたが、すぐに視界は暗く閉ざされてしまう。
「いてっ」
急にひたいに痛みを感じて、俺は声を上げた。
隧道を抜けると、琥太郎兄さんがにやにやと笑みを浮かべていた。
若頭のそんな顔を見ることは滅多にないのだろう。斉川は、驚いたような表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「そんな情けない顔をするな。うちの者は、翠子さんを傷つけたりせぇへんから」
「琥太郎兄さん」
「もっと出るところが出てる娘なら、危なかったぞ。よかったな、分かりやすい色気がある子やのうて」
なんだよ、それ。俺は対面する琥太郎兄さんの足に膝をぶつけた。琥太郎兄さんも当然のごとくにやり返してくる。斉川が、おろおろとした表情を浮かべたが、それだけだった。
「すみませんね、兄さん。俺、足が長いもんで」
「いやー、気にすることないよ欧之丞は。うん、全然長くないからな。私の方こそ足が長ぅて。邪魔になって申し訳あらへんな」
引きつった笑顔を突き合わせつつ、互いの足で攻撃を繰り返す。
なんか、子どもの頃に戻ったみたいで、思わず笑ってしまった。
「よかった。ようやく笑顔になったな」
膝をさすりながら琥太郎兄さんが静かに微笑むから。
ああ、なんだ。やっぱり兄さんは昔のままで優しいんだと実感した。
◇◇◇
今日のお夕飯は、お清さんと銀司さんも一緒に食卓を囲みます。
旦那さまの席だけが、ぽつんと空いているのが寂しいですけど。それを言ってはいけませんね。
今日は茄子の鍋しぎに、蒸し上げた翡翠色の茄子にひき肉のそぼろ入りの餡をとろりとかけたもの、湯葉のお吸い物。それにデザートにはさくらんぼもあります。
「お清さん、ありがとうございます。わたくしの好物ばかりです」
「ええ、ええ。旦那さまがいらっしゃらなくとも、たんと召し上がってくださらないと」
蒸した茄子は、箸を入れるとすっと切れます。そぼろは鶏肉のようで、生姜がしっかりと効いた味付けです。
「済みません。わたくしのために、お二人とも泊まっていただくことになって」
「いいんすよ。お清さんの美味しい料理も食べられますし」
「ええ、ええ。今夜は頑張ってくださいね、翠子さん」
本当に皆さんに大事にしていただいて。わたくしには、勿体ないほどありがたいです。
それに、この後起こることを考えると、しっかりと食べておかねばなりません。
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」
まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。
そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。
「…おかえり」
ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。
近い。甘い。それでも――
「ちゃんと付き合ってから」
彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。
嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。
だから一歩手前で、いつも笑って止まる。
最初から好きなくせに、言えない彼女と。
気づいているのに、待っている俺の話。