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九章
5、帰り道
校門を出て、高瀬先生はわたくしの旦那さまに戻られました。
でも、今日は教室でも「旦那さま」として振る舞われたので、とてもびっくりです。しかも文子さんの前でですよ。
「驚きました。わたくし達のことは、誰にも言わないと思っていましたから」
「うん。言わずとも皆月先生の様に勘付く人もいるしな。深山さんもその一人だ。口外しないと思ったから、教えたんだよ」
西日に向かって進むものですから、視界が橙色に染まり、眩しいです。
「翠子さんも、これまでよく耐えたな。友人に隠し事があるのは、心が重かっただろう」
「わたくしのために、お教えになったんですか?」
「さぁ、どうだろうな」
わたくしを振り返る旦那さまの微笑みが、金色の夕日に溶けていきそうです。
明白な答えはいただけませんでしたけど。以前、二人の関係を公言する必要はないと旦那さまは仰っていましたから。
やはり、わたくしを気遣ってくれたのだと思います。
旦那さまはさりげない優しさと、溢れんばかりの愛情を、いつもわたくしに注いでくださいます。
いつもの角を曲がり、小路に入った時。わたくしは小走りに進んで、旦那さまの肘に手をかけます。
「少しだけこうして歩いても、よろしいですか?」
「どうぞ、お嬢さま。お気の済むまで」
片手で風呂敷包みを抱えて歩いていると、しだいに包みが下へとずり下がっていきます。
それをなんとか持ち上げようと腕を動かしていると、旦那さまが風呂敷包みを持ってくださいました。
「朝よりも、この時間の方がいいな」
旦那さまは、辺りを見回しながらそう仰いました。人通りが少ないからでしょうか。
朝は登校時間が同じくらいなので、うちの学校とは別に学生さんも多いですからね。
時々、前を見て歩いていないのか、大学生が飛び出してくることがあります。
もう少しでぶつかりそうになったことも、何度か。
大柄な大人の男性に突進されれば、わたくしは突き飛ばされて転んでしまいます。
でも、そんな時は旦那さまが前に立ちふさがってくださいます。
まるで防波堤みたいで、とても心強いんです。
けれど、前方も確認せずに突進してくる大学生なんて、怖すぎです。山から下りてきた猪でもあるまいに。
それともわざとぶつかって「おら、われぇ。何しとんじゃ。怪我してしもたやないか。いてもぉたろか」なんて、脅されるのでしょうか。
あら? 男性にぶつかられて怪我をするのは、わたくしの方では?
では、彼らは何のために猪突猛進してくるのでしょう。
「なんやねん、われぇ」
「翠子さん。急にどうしたんだ?」
「あ、いえ。その……大学生にぶつかられて怪我をした時に、こう言えばいいんですよね」
「何かの呪文かと思ったよ」
旦那さまは肩を小刻みに震わせていらっしゃいます。
「そういう科白を習いたいなら、それこそ琥太郎兄さんのところの舎弟に頼めばいい」
「い、嫌です。会いたくないです」
「それに、いくら口調を真似ても声がなぁ、可愛すぎるんだよ」
肩を震わせるだけでは我慢できなくなったのか、旦那さまはとうとう吹き出してしまわれました。
そこ、笑うところじゃないですよ。怖がるところです。
◇◇◇
夕ご飯の前、俺は部屋にある棚の引き出しを開けていた。
そこには以前、海岸通りの文具店で買った便箋と封筒がある。
青と水色の小花の押し花が散りばめられた、それはもう愛らしい便箋だ。
いつか翠子さんに手紙を書いてやろうと買ったものだが、ほぼ一緒にいるので、手紙をしたためる機会もない。
この便箋を買う時は、本当に恥ずかしかったし勇気がいったのだが。
「贈り物ですか?」と店員に尋ねられ「いや、自宅用だ」と返すと、妙な顔をされた。
客商売の人間が、露骨に顔に出してはいかんだろ。
だから俺は「うちの者に頼まれたので」と言い訳すると、ようやく店員は「これをお選びになるとは、趣味のよい妹さんですね」と納得した。
なんでだ? そこに翠子さんがいないのに、どうして俺には妹がいるように見えるんだ?
俺は「うちの者」と言ったんだぞ。だったら別に妻でもいいじゃないか。
それとも何か? 俺の顔は結婚に向いていないのか?
妹という言葉自体に罪はないが。妹という言葉を嫌いになりそうだ。
しかし琥太兄は、よく似たような便箋を買うことができたよな。買う勇気があったというべきか。
ああ、若い衆に買いに行かせたのか。いや、遣いに行かされた奴も相当恥ずかしかっただろう。三條組にはほとんど強面しかいないからな。
でも、今日は教室でも「旦那さま」として振る舞われたので、とてもびっくりです。しかも文子さんの前でですよ。
「驚きました。わたくし達のことは、誰にも言わないと思っていましたから」
「うん。言わずとも皆月先生の様に勘付く人もいるしな。深山さんもその一人だ。口外しないと思ったから、教えたんだよ」
西日に向かって進むものですから、視界が橙色に染まり、眩しいです。
「翠子さんも、これまでよく耐えたな。友人に隠し事があるのは、心が重かっただろう」
「わたくしのために、お教えになったんですか?」
「さぁ、どうだろうな」
わたくしを振り返る旦那さまの微笑みが、金色の夕日に溶けていきそうです。
明白な答えはいただけませんでしたけど。以前、二人の関係を公言する必要はないと旦那さまは仰っていましたから。
やはり、わたくしを気遣ってくれたのだと思います。
旦那さまはさりげない優しさと、溢れんばかりの愛情を、いつもわたくしに注いでくださいます。
いつもの角を曲がり、小路に入った時。わたくしは小走りに進んで、旦那さまの肘に手をかけます。
「少しだけこうして歩いても、よろしいですか?」
「どうぞ、お嬢さま。お気の済むまで」
片手で風呂敷包みを抱えて歩いていると、しだいに包みが下へとずり下がっていきます。
それをなんとか持ち上げようと腕を動かしていると、旦那さまが風呂敷包みを持ってくださいました。
「朝よりも、この時間の方がいいな」
旦那さまは、辺りを見回しながらそう仰いました。人通りが少ないからでしょうか。
朝は登校時間が同じくらいなので、うちの学校とは別に学生さんも多いですからね。
時々、前を見て歩いていないのか、大学生が飛び出してくることがあります。
もう少しでぶつかりそうになったことも、何度か。
大柄な大人の男性に突進されれば、わたくしは突き飛ばされて転んでしまいます。
でも、そんな時は旦那さまが前に立ちふさがってくださいます。
まるで防波堤みたいで、とても心強いんです。
けれど、前方も確認せずに突進してくる大学生なんて、怖すぎです。山から下りてきた猪でもあるまいに。
それともわざとぶつかって「おら、われぇ。何しとんじゃ。怪我してしもたやないか。いてもぉたろか」なんて、脅されるのでしょうか。
あら? 男性にぶつかられて怪我をするのは、わたくしの方では?
では、彼らは何のために猪突猛進してくるのでしょう。
「なんやねん、われぇ」
「翠子さん。急にどうしたんだ?」
「あ、いえ。その……大学生にぶつかられて怪我をした時に、こう言えばいいんですよね」
「何かの呪文かと思ったよ」
旦那さまは肩を小刻みに震わせていらっしゃいます。
「そういう科白を習いたいなら、それこそ琥太郎兄さんのところの舎弟に頼めばいい」
「い、嫌です。会いたくないです」
「それに、いくら口調を真似ても声がなぁ、可愛すぎるんだよ」
肩を震わせるだけでは我慢できなくなったのか、旦那さまはとうとう吹き出してしまわれました。
そこ、笑うところじゃないですよ。怖がるところです。
◇◇◇
夕ご飯の前、俺は部屋にある棚の引き出しを開けていた。
そこには以前、海岸通りの文具店で買った便箋と封筒がある。
青と水色の小花の押し花が散りばめられた、それはもう愛らしい便箋だ。
いつか翠子さんに手紙を書いてやろうと買ったものだが、ほぼ一緒にいるので、手紙をしたためる機会もない。
この便箋を買う時は、本当に恥ずかしかったし勇気がいったのだが。
「贈り物ですか?」と店員に尋ねられ「いや、自宅用だ」と返すと、妙な顔をされた。
客商売の人間が、露骨に顔に出してはいかんだろ。
だから俺は「うちの者に頼まれたので」と言い訳すると、ようやく店員は「これをお選びになるとは、趣味のよい妹さんですね」と納得した。
なんでだ? そこに翠子さんがいないのに、どうして俺には妹がいるように見えるんだ?
俺は「うちの者」と言ったんだぞ。だったら別に妻でもいいじゃないか。
それとも何か? 俺の顔は結婚に向いていないのか?
妹という言葉自体に罪はないが。妹という言葉を嫌いになりそうだ。
しかし琥太兄は、よく似たような便箋を買うことができたよな。買う勇気があったというべきか。
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