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十章
6、昼食を一緒に
「あれ? どうして高瀬先生がいらっしゃるの?」
裁縫室に戻ってきた文子さんが、入り口で立ち止まりました。
元々、先生のことを怖がっていた彼女ですが。わたくしと先生が一緒に暮らしていることを知ってから、どうやら慣れたみたいです。
ええ、怖くないんですよ。高瀬先生は、お優しいのです。
先生とわたくしは、窓辺に椅子を置いて並んで座っていました。
そろそろお昼なので、文子さんが戻ってくるのを待っていたんです。
わたくしは、紙の包みを取りだしました。海岸通りのパン屋さんで買ったサンドウィッチです。
胡椒の利いたハムや野菜が挟んであり、もう一つはゆで卵を潰してマヨネーズで和えたものが挟んであります。文子さんも同じものです。
だって、パン屋さんでもうわの空で、到底選べる状況じゃなかったんですもの。
先生のお弁当は、お清さんお手製です。
今日は、おにぎりとだし巻き玉子に、鮭の塩焼きです。
「ああ、お清からこれを預かって来たんだ。二人でどうぞ」
先生が差し出してくれた容器には、切り分けられた桃とフォークが入っていました。
水蜜桃です。まさか、デザートがいただけるなんて。
お清さんは、優しすぎです。
「いただきます」と言って、わたくしはまず桃を一切れいただきました。
口の中で果肉がほどけて、果汁が広がって。甘くて、それはもう桃のジュースを食べているような、素敵な心地でした。
もう一つと思ってフォークを伸ばすと、先生が容器をさっと退けてしまいます。
「駄目だよ、翠子さん。これはあくまでもデザートであって、主食ではない」
「ちゃんとサンドウィッチも全部食べますよ。順番は、あまり関係ないんじゃないでしょうか」
「嘘っぽいから、駄目」
そう仰ると、先生はご自分の鮭をお箸で割って、わたくしに差し出します。
「パンには合わないと思うんですけど」
「魚や肉は大事だぞ。夏バテしたらどうする」
これは拒み続けると「あーん」なんて、させられてしまいます。仕方ないので、わたくしは卵サンドの間に、鮭を挟んでもらいました。
だって、文子さんがいる前で「あーん」は、ないですよね。常識的に考えて。
「……驚いた」
呆然とした様子で、文子さんが呟いています。
え? 驚くようなことは何もしていませんよ。だって、いつもの先生……というか旦那さまほど甘くありませんし。
むしろ、普段よりも随分とあっさりしています。
「人って見かけによらないものですね」
「君は、何が言いたいのかな?」
しみじみと呟く文子さんに対して、先生はちょっぴり臨戦状態です。
いえ、文子さんは嫌味を言ってるわけではないと思いますよ。
「だって、高瀬先生に数学を受け持ってもらって四年目だけど。そんな優しいまなざしを見るのは、初めてです」
「普通だろ?」
「いえ、普通ではなくて異常です」
先生は、わたくしをご覧になり「普通だよな」と仰います。ですから、わたくしも「普通ですね」と答えました。
「それに、先生が誰かを気にかけているというのも、初めてです。あ、でも写生大会の時は違いましたね。うーん、誰かじゃないですね。翠子さん限定で気にかけてるんですよね」
「……一応、受け持ちの生徒全員は気にかけているぞ。これでも教師だからな」
渋い表情を浮かべつつ、先生はだし巻き玉子を召し上がります。
「じゃあ、先生。取り巻きのお姉さまの名前を、五人でしたっけ。当然言えますよね」
「取り巻きのお姉さま? ああ、上級生のことか」
「そうそう。いつだって『高瀬せんせーぇ』って、黄色い声を上げてるじゃないですか」
先生は、だし巻き玉子を咀嚼しながら天井を見上げました。
あの、そこに答えは書いてありませんよ。
「正直なところ、見分けがつかないんだ」
「え、でも。生徒ですよ?」
文子さんは驚いたのか大きな声を上げました。
「俺は、上級生の授業を受け持っていないからな」
「いやいや。毎日、顔を合わせているじゃないですか」
「うーん。じゃあ深山さん。君は牧場で羊の群れを見たとしよう。毎日すり寄ってくるが、餌をもらったらすぐに去っていく羊が五頭だ。全部同じくらいに羊毛がくりくりしていて、色も体格も同じ。見分けがつくか?」
「要するに興味がないんですね」
「端的に言えば、そうなる。あいつら、俺のことを腹の底では馬鹿にしているからな」
先生は、さも面白くもなさそうに吐き捨てました。
そういえば、お姉さま方は宵祭りで先生の悪口を言ってました。たかが教師が、自分たちと結婚できるはずがない、とか。輿入れまでのアバンチュールで、声をかけてあげているんだとか。
本当に失礼です。
先生はこんなにも素敵ですのに。なのに、構ってあげているなんて、何様なんですか。
わたくしは怒りに任せて、サンドウィッチにかじりつきました。
裁縫室に戻ってきた文子さんが、入り口で立ち止まりました。
元々、先生のことを怖がっていた彼女ですが。わたくしと先生が一緒に暮らしていることを知ってから、どうやら慣れたみたいです。
ええ、怖くないんですよ。高瀬先生は、お優しいのです。
先生とわたくしは、窓辺に椅子を置いて並んで座っていました。
そろそろお昼なので、文子さんが戻ってくるのを待っていたんです。
わたくしは、紙の包みを取りだしました。海岸通りのパン屋さんで買ったサンドウィッチです。
胡椒の利いたハムや野菜が挟んであり、もう一つはゆで卵を潰してマヨネーズで和えたものが挟んであります。文子さんも同じものです。
だって、パン屋さんでもうわの空で、到底選べる状況じゃなかったんですもの。
先生のお弁当は、お清さんお手製です。
今日は、おにぎりとだし巻き玉子に、鮭の塩焼きです。
「ああ、お清からこれを預かって来たんだ。二人でどうぞ」
先生が差し出してくれた容器には、切り分けられた桃とフォークが入っていました。
水蜜桃です。まさか、デザートがいただけるなんて。
お清さんは、優しすぎです。
「いただきます」と言って、わたくしはまず桃を一切れいただきました。
口の中で果肉がほどけて、果汁が広がって。甘くて、それはもう桃のジュースを食べているような、素敵な心地でした。
もう一つと思ってフォークを伸ばすと、先生が容器をさっと退けてしまいます。
「駄目だよ、翠子さん。これはあくまでもデザートであって、主食ではない」
「ちゃんとサンドウィッチも全部食べますよ。順番は、あまり関係ないんじゃないでしょうか」
「嘘っぽいから、駄目」
そう仰ると、先生はご自分の鮭をお箸で割って、わたくしに差し出します。
「パンには合わないと思うんですけど」
「魚や肉は大事だぞ。夏バテしたらどうする」
これは拒み続けると「あーん」なんて、させられてしまいます。仕方ないので、わたくしは卵サンドの間に、鮭を挟んでもらいました。
だって、文子さんがいる前で「あーん」は、ないですよね。常識的に考えて。
「……驚いた」
呆然とした様子で、文子さんが呟いています。
え? 驚くようなことは何もしていませんよ。だって、いつもの先生……というか旦那さまほど甘くありませんし。
むしろ、普段よりも随分とあっさりしています。
「人って見かけによらないものですね」
「君は、何が言いたいのかな?」
しみじみと呟く文子さんに対して、先生はちょっぴり臨戦状態です。
いえ、文子さんは嫌味を言ってるわけではないと思いますよ。
「だって、高瀬先生に数学を受け持ってもらって四年目だけど。そんな優しいまなざしを見るのは、初めてです」
「普通だろ?」
「いえ、普通ではなくて異常です」
先生は、わたくしをご覧になり「普通だよな」と仰います。ですから、わたくしも「普通ですね」と答えました。
「それに、先生が誰かを気にかけているというのも、初めてです。あ、でも写生大会の時は違いましたね。うーん、誰かじゃないですね。翠子さん限定で気にかけてるんですよね」
「……一応、受け持ちの生徒全員は気にかけているぞ。これでも教師だからな」
渋い表情を浮かべつつ、先生はだし巻き玉子を召し上がります。
「じゃあ、先生。取り巻きのお姉さまの名前を、五人でしたっけ。当然言えますよね」
「取り巻きのお姉さま? ああ、上級生のことか」
「そうそう。いつだって『高瀬せんせーぇ』って、黄色い声を上げてるじゃないですか」
先生は、だし巻き玉子を咀嚼しながら天井を見上げました。
あの、そこに答えは書いてありませんよ。
「正直なところ、見分けがつかないんだ」
「え、でも。生徒ですよ?」
文子さんは驚いたのか大きな声を上げました。
「俺は、上級生の授業を受け持っていないからな」
「いやいや。毎日、顔を合わせているじゃないですか」
「うーん。じゃあ深山さん。君は牧場で羊の群れを見たとしよう。毎日すり寄ってくるが、餌をもらったらすぐに去っていく羊が五頭だ。全部同じくらいに羊毛がくりくりしていて、色も体格も同じ。見分けがつくか?」
「要するに興味がないんですね」
「端的に言えば、そうなる。あいつら、俺のことを腹の底では馬鹿にしているからな」
先生は、さも面白くもなさそうに吐き捨てました。
そういえば、お姉さま方は宵祭りで先生の悪口を言ってました。たかが教師が、自分たちと結婚できるはずがない、とか。輿入れまでのアバンチュールで、声をかけてあげているんだとか。
本当に失礼です。
先生はこんなにも素敵ですのに。なのに、構ってあげているなんて、何様なんですか。
わたくしは怒りに任せて、サンドウィッチにかじりつきました。
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