200 / 247
十章
21、閑話 姫さまは眠ってしまわれた ※銀司視点
今日の翠子さまは、情緒が不安定なようだ。
ぼくは、背中を向けてさらに夏布団を頭までかぶってしまわれた翠子さまに視線を向けた。
「旦那さま。何をなさったんです?」
「いや、別に何も」
「嘘ですね」
翠子さまの睡眠の邪魔をしないように、できる限り小さな声で話すように心がける。
まだ時刻は遅くはないけど、まぁ、早く眠りたい夜もあるだろうし。
「そういえば、お姫さまがどうとか仰っていましたね」
「ああ、いいな。翠子さんが姫なら、俺は下僕だ」
「王じゃないんですか?」
「王子じゃなくて?」
旦那さまが、きょとんとした表情をなさるけど。あんた、王子って柄じゃないでしょ。
横暴な王なら分かるけど。そもそもなんで下僕なんですか。
「姫の我儘に振りまわされる下僕って、いいと思わないか? こう、姫から高飛車に命令されてだな。ぞくぞくするだろ」
そこは同意できません。
旦那さまが、マゾヒストだとは思わなかった。
「だが、高飛車なのも一時のこと。夜には……げふん、いや時間はどうでもいいな。姫と下僕の立場が逆転するんだ。楽しいだろ」
「参考までに伺いますが。どこが楽しいんですか?」
「え? 銀司は、そういうの楽しいと思わないのか?」
あ、やっぱりこの人サディストだ。しかも相当、たちが悪い。
それから、夜って言いましたよね。白々しい咳でごまかしても駄目ですからね。
旦那さまは立ち上がって、部屋を出ていかれた。
ん? よくよく考えたら、今はぼくと翠子さまの二人きりじゃないか。
しかも翠子さまは、すでに眠りに落ちておられる。
時計の針の音がやたらと大きく聞こえて。しかも静かな翠子さまの寝息まで、聞こえてくるようで。
ああ、間が持たない。
旦那さま、早く帰ってきてくださいよ。
「う……ん」
布団を頭までかぶるから、暑かったんだろう。翠子さまは寝返りを打って、片手で布団を剥いでしまわれた。
少し汗ばんだ額、上気した頬は薄桃色に染まっている。
やめてくださいよ、そういうの。
俺が布団をめくったみたいに見えるじゃないですか。
翠子さまの元へにじりよって、夏布団を元に戻そうとしたけど。なんか、この人、いい匂いがします。
部屋には菴羅と木瓜の匂いがしているのに。翠子さまからは、茉莉花の香りがして。
なんですか。誘ってるんですか? いや、そんなこと有り得ませんけど。
旦那さまが、いつもすぐに翠子さまを抱いてしまうけど。これは、自制が難しいんじゃないのかな。元々旦那さまは堅物で、他の女性にどれだけ言い寄られても折れることもなかったのに。
俺はなるべく翠子さまを見ないようにして、布団をかけてさしあげた。
「ありがとう、銀司」
いつの間に部屋に戻っていらしたのか、旦那さまが切子のグラスと酒の瓶を持って、ぼくの背後に立っていた。
あぶなー。もう少しで「うわっ」と声を上げるところだった。
「翠子さんは、存外寝相が悪いんだ」
「……そのようですね。初めて知りました」
「ははっ。本人に言ったことはないけどな。すぐに俺の布団に潜り込んできては、さらに布団を奪ってしまうんだ」
旦那さまは縁側に腰を下ろすと、ぼくを手招きした。そして青い切子のグラスに日本酒を注いでくれる。
芳醇な香りが立つ。燗をする必要のない酒だ。
「俺は伏見の甘い女酒よりも、辛口の灘の男酒の方が好みなんだが」
「ぼくは焼酎ですね。島にいた時は子どもだったから、飲んだことなかったのに。不思議です。芋でも麦でも、黒糖でも、結構好きなんです」
温かな土地だから、酔っぱらってそのまま浜辺や道で寝てしまう大人も多かった。
旦那さまがくださった酒は、水のようで。多分、そういうのが上質な酒なんだろうけど。
ぼくは、かっと喉が焼けるようなのが好きだ。
「お前も強そうだよな。銀司とこうして酒を酌み交わすのも、初めてかな」
「ですね。いいんですか? ぼくなんかで」
「なんだよ。謙遜するなって」
夕立で空気が洗われたからか、今夜の星はとりわけ綺麗に見える。
もし、また翠子さんが故郷の島のことを尋ねてきたら、もっと詳細に教えてさしあげよう。
雨の後は蛙で道がいっぱいになって、リヤカーのタイヤで轢いてしまうことや、木を登る凶暴な爪の大きい蟹のことも。
ぼくは、背中を向けてさらに夏布団を頭までかぶってしまわれた翠子さまに視線を向けた。
「旦那さま。何をなさったんです?」
「いや、別に何も」
「嘘ですね」
翠子さまの睡眠の邪魔をしないように、できる限り小さな声で話すように心がける。
まだ時刻は遅くはないけど、まぁ、早く眠りたい夜もあるだろうし。
「そういえば、お姫さまがどうとか仰っていましたね」
「ああ、いいな。翠子さんが姫なら、俺は下僕だ」
「王じゃないんですか?」
「王子じゃなくて?」
旦那さまが、きょとんとした表情をなさるけど。あんた、王子って柄じゃないでしょ。
横暴な王なら分かるけど。そもそもなんで下僕なんですか。
「姫の我儘に振りまわされる下僕って、いいと思わないか? こう、姫から高飛車に命令されてだな。ぞくぞくするだろ」
そこは同意できません。
旦那さまが、マゾヒストだとは思わなかった。
「だが、高飛車なのも一時のこと。夜には……げふん、いや時間はどうでもいいな。姫と下僕の立場が逆転するんだ。楽しいだろ」
「参考までに伺いますが。どこが楽しいんですか?」
「え? 銀司は、そういうの楽しいと思わないのか?」
あ、やっぱりこの人サディストだ。しかも相当、たちが悪い。
それから、夜って言いましたよね。白々しい咳でごまかしても駄目ですからね。
旦那さまは立ち上がって、部屋を出ていかれた。
ん? よくよく考えたら、今はぼくと翠子さまの二人きりじゃないか。
しかも翠子さまは、すでに眠りに落ちておられる。
時計の針の音がやたらと大きく聞こえて。しかも静かな翠子さまの寝息まで、聞こえてくるようで。
ああ、間が持たない。
旦那さま、早く帰ってきてくださいよ。
「う……ん」
布団を頭までかぶるから、暑かったんだろう。翠子さまは寝返りを打って、片手で布団を剥いでしまわれた。
少し汗ばんだ額、上気した頬は薄桃色に染まっている。
やめてくださいよ、そういうの。
俺が布団をめくったみたいに見えるじゃないですか。
翠子さまの元へにじりよって、夏布団を元に戻そうとしたけど。なんか、この人、いい匂いがします。
部屋には菴羅と木瓜の匂いがしているのに。翠子さまからは、茉莉花の香りがして。
なんですか。誘ってるんですか? いや、そんなこと有り得ませんけど。
旦那さまが、いつもすぐに翠子さまを抱いてしまうけど。これは、自制が難しいんじゃないのかな。元々旦那さまは堅物で、他の女性にどれだけ言い寄られても折れることもなかったのに。
俺はなるべく翠子さまを見ないようにして、布団をかけてさしあげた。
「ありがとう、銀司」
いつの間に部屋に戻っていらしたのか、旦那さまが切子のグラスと酒の瓶を持って、ぼくの背後に立っていた。
あぶなー。もう少しで「うわっ」と声を上げるところだった。
「翠子さんは、存外寝相が悪いんだ」
「……そのようですね。初めて知りました」
「ははっ。本人に言ったことはないけどな。すぐに俺の布団に潜り込んできては、さらに布団を奪ってしまうんだ」
旦那さまは縁側に腰を下ろすと、ぼくを手招きした。そして青い切子のグラスに日本酒を注いでくれる。
芳醇な香りが立つ。燗をする必要のない酒だ。
「俺は伏見の甘い女酒よりも、辛口の灘の男酒の方が好みなんだが」
「ぼくは焼酎ですね。島にいた時は子どもだったから、飲んだことなかったのに。不思議です。芋でも麦でも、黒糖でも、結構好きなんです」
温かな土地だから、酔っぱらってそのまま浜辺や道で寝てしまう大人も多かった。
旦那さまがくださった酒は、水のようで。多分、そういうのが上質な酒なんだろうけど。
ぼくは、かっと喉が焼けるようなのが好きだ。
「お前も強そうだよな。銀司とこうして酒を酌み交わすのも、初めてかな」
「ですね。いいんですか? ぼくなんかで」
「なんだよ。謙遜するなって」
夕立で空気が洗われたからか、今夜の星はとりわけ綺麗に見える。
もし、また翠子さんが故郷の島のことを尋ねてきたら、もっと詳細に教えてさしあげよう。
雨の後は蛙で道がいっぱいになって、リヤカーのタイヤで轢いてしまうことや、木を登る凶暴な爪の大きい蟹のことも。
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」
まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。
そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。
「…おかえり」
ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。
近い。甘い。それでも――
「ちゃんと付き合ってから」
彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。
嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。
だから一歩手前で、いつも笑って止まる。
最初から好きなくせに、言えない彼女と。
気づいているのに、待っている俺の話。