【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
218 / 247
十一章

3、出勤

しおりを挟む
 なぜだか知らんが、俺は翠子さんにお清、そして銀司にまで見送られて家を出た。
 いや、知っているぞ。この後、三人で猫を甲斐甲斐しく世話するんだ。きっとにこにこと全員が相好を崩して、猫なで声を出しつつ、エリスを取り囲むんだろう。

 翠子さんの猫なで声は聞いてみたいが。さすがに銀司のは……勘弁だな。

 ああ、でもいいよな。俺も家にいたい。学校に行きたくない。
 
 普段は翠子さんと日傘を分け合って歩いているせいか、久しぶりに朝の陽ざしが強烈であることに気づいた。
 面倒だが、道の端に移動して影を選んで歩く。
 
 大学生はまだ夏休みではないのだろう。女学校が休みでも、翠子さんは登校していたものだから。大学生が一人、彼女を待ち伏せしているのだが。
 残念だったな。日傘の君は今日はおりません。

 俺一人だけが歩いているのを確認すると、その学生はすぐに自分の大学の方へと歩き出した。

 いつもはうっとうしい大学生だが、なぜだか今日は親近感を覚えた。
 別に、ざまぁみろとは思わん。
 お前も寂しいだろうが、俺も寂しいんだ。

◇◇◇

 深山さんには事前に連絡を入れていたので、今日は裁縫室には誰もいない。
 鍵のかかったままの裁縫室を一瞥して、俺は職員室へと向かった。

 授業がないので校舎内は静かだ。反面、職員室の人口密度が高い。
 
 だが裁縫室を気にする必要がないせいか、今日は仕事の進みが速い。集中していたせいで、気づけばもう昼になっていた。
 むろん、職員室の自分の席で弁当を食う。
 
 授業がある時は、それが当たり前なのだが。なぜだか今日は一人で食うのが、寂しい気がする。
 水筒からカップに注いだ茶も、自分で飲むだけだしな。
 ちなみにあの鈴は、今は家の箪笥にしまってある。

「あら、高瀬先生。今日はお一人で召し上がっているんですか?」

 つんと鼻につく臭いをさせながら、皆月先生が俺に声をかけてきた。油絵の具の溶剤であるテレピン油のにおいだろうか。よく知らないが。

「別に、普通ですよ」
「あらあらー。最近は昼休みになると、裁縫室から楽しそうな声が聞こえていたんですけどね」

 なんだ。気づいていたのか。
 皆月先生は俺と翠子さんの関係を知っているから、まぁ別にいい。こうやって、ちょくちょくからかってくるのが面白くはないが。

「皆月先生は、最近は絵を描いてるんですね」
「そう。上級生にモデルになってもらっているのよ。柴田さん。高瀬先生ならご存じでしょ」
「……名前は聞いたことがある」

 蛸と胡瓜の酢の物を箸で挟んでいると、背後から皆月先生が「信じられない」と声を上げた。

「え、だって。先生の取り巻きの一人じゃないの」
「ああ、それで聞いたことがあるのか」
「いや、普通覚えるでしょ。相当な美人よ。学校一じゃないかしら」
「美人だからという理由で、人を覚えることはないので」

 美術教師は、物事の判断基準が美しいかどうかなのだろうか。ちょっとよく分からん。
 
 テレピン油と酢の匂いがまじりあって、俺の席の近くの教師が咳き込んだ。うーん、申し訳ない。だが、酢の方が食用なだけましだよな。

「皆月先生。わたくし、失礼いたしますわ」
「はい、ご苦労さま。美術室の鍵は、開けたままでいいわよ」

 職員室の入り口から顔をのぞかせたのが、柴田だ。さっき名前を聞いたから分かる。
 巻き髪に、華やいだ大きいリボンをつけている。

「あら、高瀬先生」

 柴田は急に甘ったるい声で、俺を呼んだ。

「こんな所でお会いできるなんて」
「教師が職員室にいるのは、当たり前だと思うが」
「でも、夏休みに入ってから、お昼に何度か職員室に来ましたけど。先生はいらっしゃらなかったわ」

 そうだろうな。男の俺が裁縫室に入り浸っているとは、思わないだろうな。

「ね、先生。わたくし、皆月先生にモデルを頼まれたんですのよ。高瀬先生も、見にいらして」
「なぜ?」

 俺は真顔で答えた。皆月先生の製作現場を覗きに行く必要性が、まったく分からない。そもそも俺に手元を見られたら、皆月先生も描きにくいのではないか?

 俺の隣で、なぜか皆月先生が苦笑しつつ肩をすくめた。

「あー、たぶん高瀬先生の考えと違いますよ。私の描いているところを見学するんじゃなくて、モデルになっている自分を見てほしいと柴田は考えているんですよ」
「なぜ?」

 真顔からさらに、眉間にしわを寄せた。「なぜ?」って言われても、と皆月先生が珍しく困っている。
 魔女でも困惑することがあるんだな。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。 「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」 「脅してる場合ですか?」 ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。 ※なろう、カクヨムでも投稿

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...