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十一章
6、相合傘で【2】
俺の腕を叩き疲れたのか、翠子さんは小さくため息をついた。
もっと叩いてくれても、よかったんだけどなぁ。
「翠子さん」
「なんですか?」
「こっちを向いてくれないか?」
「いやです。翠子は怒っています」
つんとそっぽを向いて、翠子さんは歩いている。彼女の歩みはゆっくりだから、それに合わせて俺も歩幅を狭める。
ふと翠子さんが、俺の方を見遣った。
おっ。もう機嫌が直ったのかなと思ったら、彼女と接しているのとは反対側の俺の肩を見つめている。
「旦那さま、肩が濡れています」
「翠子さんが濡れるよりは、いいだろう?」
「もっと傘を真っすぐにお持ちください」
「嫌だね」
俺は翠子さんの真似をして、あごを上げた。
「どうしてそう反抗ばかりなさるの? 翠子は蝙蝠傘を持ってきていますのに。それをお使いください」
「お仕置きの中には、同じ傘に入らないという項目はなかったぞ」
「……お仕置きは関係ありません。どうして濡れると分かっていて……」
俺は翠子さんの方に向き直って、立ち止まった。
「仕方ないだろ。相合傘をした時は、より惚れた方の肩が濡れるのは定説だ」
その言葉の意味を考えて、翠子さんは妙な表情を浮かべた。それは、嬉しくて頬が緩むのを必死でこらえているような。唇を引き結んでいるのに、目尻が下がっているような顔だった。
「そういう嬉しいことを仰っても、お仕置きは減りませんよ」
それは残念。
だが、俺だって伊達に年を食ってはいない。お嬢さま育ちの君は知らないだろうが。世の中には駆け引きというのがあるのだよ。
大人の世界では、それは日常茶飯事だ。
「それから、さっきのお仕置きですけど。わたくしがいいと言うまで、旦那さまはわたくしに触れないでください」
「えーっ」
思いっきり不満を露わにした声を、俺は上げる。
「横暴だぞ。翠子さん」
「横暴で結構です。旦那さまは、すぐに増長するんですもの。たまにはお灸をすえてさしあげないと」
やれやれ。困った人だ。
この俺に対して、一生懸命意地悪するなんて。向いていないことは、やめた方がいいのにな。
「ところで触れないというのは、いつまで? 家に帰るまでかな」
「どうしてそんな最短なんですか。猫をお返しするまでですよ」
琥太兄、今すぐ戻ってきてくれないかな。
「じゃあ、触れてはいけないのはどの辺り?」
「全部です。手も指も髪もです」
「厳しいなぁ」
これみよがしに肩を落としてみるが、翠子さんは気にも留めてくれない。
まぁ仕方がないだろう。
今は翠子さんも頑なになっているのだから。何を言っても無駄だ。
なんて、諦めると思ったら大間違いだ。せっかく翠子さんが迎えに来てくれて相合傘で寄り添って帰れるというのに。
この機会を逃すほど、俺は呑気ではないね。
「そういえばこの間、翠子さんが教えてくれたあやとりをやってみたんだが」
ぴくりと翠子さんの肩が反応する。よし、食いついた。餌はこれでいける。
「絡まらずに形を作ることができたぞ。あれは何というのかな。中に菱形が三つ入った形だ」
「……三段ばしごです」
「へー、そんな名前なのか。意外と簡単だったな」
翠子さんは歩きながら俺を見上げた。
「なんで一人でできるんですか? あんなにも不器用だったじゃないですか」と言いたげな瞳だった。
別に練習なんかしていないさ。不器用なのはあなたの前でだけだ。
「二人であやとりをしてみるかな。ああ、翠子さんには触れちゃダメなんだよな。そうだな、お清は帰りが早いから。銀司とでも遊ぼうかな」
「えっ」
翠子さんが声を上げた。自分でもそれに気づき、慌てて手で口を押えている。
もっと叩いてくれても、よかったんだけどなぁ。
「翠子さん」
「なんですか?」
「こっちを向いてくれないか?」
「いやです。翠子は怒っています」
つんとそっぽを向いて、翠子さんは歩いている。彼女の歩みはゆっくりだから、それに合わせて俺も歩幅を狭める。
ふと翠子さんが、俺の方を見遣った。
おっ。もう機嫌が直ったのかなと思ったら、彼女と接しているのとは反対側の俺の肩を見つめている。
「旦那さま、肩が濡れています」
「翠子さんが濡れるよりは、いいだろう?」
「もっと傘を真っすぐにお持ちください」
「嫌だね」
俺は翠子さんの真似をして、あごを上げた。
「どうしてそう反抗ばかりなさるの? 翠子は蝙蝠傘を持ってきていますのに。それをお使いください」
「お仕置きの中には、同じ傘に入らないという項目はなかったぞ」
「……お仕置きは関係ありません。どうして濡れると分かっていて……」
俺は翠子さんの方に向き直って、立ち止まった。
「仕方ないだろ。相合傘をした時は、より惚れた方の肩が濡れるのは定説だ」
その言葉の意味を考えて、翠子さんは妙な表情を浮かべた。それは、嬉しくて頬が緩むのを必死でこらえているような。唇を引き結んでいるのに、目尻が下がっているような顔だった。
「そういう嬉しいことを仰っても、お仕置きは減りませんよ」
それは残念。
だが、俺だって伊達に年を食ってはいない。お嬢さま育ちの君は知らないだろうが。世の中には駆け引きというのがあるのだよ。
大人の世界では、それは日常茶飯事だ。
「それから、さっきのお仕置きですけど。わたくしがいいと言うまで、旦那さまはわたくしに触れないでください」
「えーっ」
思いっきり不満を露わにした声を、俺は上げる。
「横暴だぞ。翠子さん」
「横暴で結構です。旦那さまは、すぐに増長するんですもの。たまにはお灸をすえてさしあげないと」
やれやれ。困った人だ。
この俺に対して、一生懸命意地悪するなんて。向いていないことは、やめた方がいいのにな。
「ところで触れないというのは、いつまで? 家に帰るまでかな」
「どうしてそんな最短なんですか。猫をお返しするまでですよ」
琥太兄、今すぐ戻ってきてくれないかな。
「じゃあ、触れてはいけないのはどの辺り?」
「全部です。手も指も髪もです」
「厳しいなぁ」
これみよがしに肩を落としてみるが、翠子さんは気にも留めてくれない。
まぁ仕方がないだろう。
今は翠子さんも頑なになっているのだから。何を言っても無駄だ。
なんて、諦めると思ったら大間違いだ。せっかく翠子さんが迎えに来てくれて相合傘で寄り添って帰れるというのに。
この機会を逃すほど、俺は呑気ではないね。
「そういえばこの間、翠子さんが教えてくれたあやとりをやってみたんだが」
ぴくりと翠子さんの肩が反応する。よし、食いついた。餌はこれでいける。
「絡まらずに形を作ることができたぞ。あれは何というのかな。中に菱形が三つ入った形だ」
「……三段ばしごです」
「へー、そんな名前なのか。意外と簡単だったな」
翠子さんは歩きながら俺を見上げた。
「なんで一人でできるんですか? あんなにも不器用だったじゃないですか」と言いたげな瞳だった。
別に練習なんかしていないさ。不器用なのはあなたの前でだけだ。
「二人であやとりをしてみるかな。ああ、翠子さんには触れちゃダメなんだよな。そうだな、お清は帰りが早いから。銀司とでも遊ぼうかな」
「えっ」
翠子さんが声を上げた。自分でもそれに気づき、慌てて手で口を押えている。
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