【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十一章

17、お散歩

 夕方になり、わたくしは旦那さまを迎えに行くことにしました。今日は雨は降っていないのですけど。なんとなく旦那さまが、喜ぶような気がしたので。

 出かけるためにつっかけを履いていると、エリスが自分もついていくという風に足元にすり寄ってきました。

「お留守番していてくださいね。迷子になってはいけませんから」

 そう告げても、エリスは素知らぬ顔で開いた玄関から出ていきます。

「待って、駄目ですよ。明日には琥太郎さんがお戻りになられるんですから。迷子になっては大変でしょ」

 わたくしは追いかけましたが、エリスはしなやかに尻尾を揺らしながら、門扉と地面の隙間から通りへと出てしまいました。
 慌てて後を追うと、ちゃんと学校の方向へ歩いています。

 あら? もしかするとお家に帰りたいのかしら。三條組も道中にありますものね。

 長い長い、どこまでも続く築地塀が見えてきます。ですがエリスは、三條組の門の方へは向かわずに、やはり先へ進みます。
 神社の前を通り過ぎた時、文子さんが宵祭りでエリスを見かけたと言っていたことを思い出しました。
 
 そうでした。琥太郎さんと文子さんの出会いのきっかけです。
 エリスは元々箱入り娘ではなく、外で暮らしている猫でした。自由に歩き回るのも、鳥やトカゲやヤモリを捕まえるのもお手の物です。

 エリスは、ひょいと身軽に近くの石垣に飛び乗りました。

「あれ? 翠子さん」

 前方から旦那さまに声をかけられて、わたくしは目を丸くしました。
 だって今まさにエリスが、旦那さまの頭に跳びかかろうとしているんですもの。
 石垣の上で尻尾を激しく左右に振って、いえ、お尻まで振っています。
 あ、低くした前脚が石垣から離れました。

「うわっ! なんだ?」

 しなやかに体をひねりながら、大胆に広げた前脚と後ろ脚で旦那さまの頭にしがみつきます。

「いてっ! こら、エリスか。降りろ」
「エリス。駄目ですよ、爪を立てちゃ」

 ですが、エリスはわたくし達の注意など素知らぬ顔で旦那さまの額に顔をすり寄せています。

「ちくしょう、可愛いな」
「え、ええ。とても愛らしいですね」

 もうそれ以上、わたくし達は叱ることができませんでした。
 エリスは、自分が可愛いことを知っています。頭がいいと褒めてあげるべきなのか、それとも厳しくするべきなのか。

「俺たちは、エリスを預かっているだけだもんな」
「ええ、ご主人さまは琥太郎さんですよ」
「じゃあ、別に俺たちが躾ける必要もないよな」

 旦那さまとわたくしは、顔を見合わせてうなずきました。
 分かっているんです。二人とも、単にエリスに嫌われたくないということは。
 卑怯と罵られても、臆病と言われてもいいんです。三條組の組員の方のように、エリスに毛嫌いされたくありません。

「にゃあ」と澄んだ声で鳴きながら、エリスは旦那さまにすりすりするものですから。
 わたくし達は、二人そろって目じりを下げて微笑んでしまいました。

 勝てるはずありませんよ。可愛いは最強なんですもの。

 それにしても情熱的な愛情表現ですね。エリスよりもカルメンの方が、名前として似合っているのではないかしら。

「でもよく肩から落ちないものですね。猫ってなんてバランス感覚が優れているのでしょう」
「あー、鍛えられたんじゃないかな」
「琥太郎さんにですか? 食事制限といい、なかなか厳しいですね」

 わたくしの言葉に、なぜか旦那さまはしょっぱい表情をなさいました。
 ええ、ええ。琥太郎さんは物腰は柔らかですけど、容赦のない部分が見え隠れしていますものね。

 旦那さまは、エリスの頭を撫でながら「お前も苦労するな」なんて、仰っています。

「あら、旦那さま。何やら鞄に挟まっていますよ」

 わたくしは、革の鞄から少しはみ出している紙片に目を向けました。旦那さまがそれを広げると、急いだような走り書きが見えました。

――これを読んだあなたが高瀬先生の恋人でしたら、気をおつけなさい。この人は、学校で女学生の着物を引き裂いたんですのよ。それも公衆の面前で。すぐに別れることを提案します。これはあなたの為ですのよ。
 
 あまりにも不躾な内容に、わたくしは目を丸くしました。
 怪文書ですか? これは。

「うわっ。柴田か。こりないな、あいつも」

 旦那さまは、くしゃっと紙を握り潰しました。
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