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十一章
18、訊くんだ
「びっくりしました」
「これは事実無根だぞ。袖は、柴田が自分で破いたんだ。俺は翠子さんには操を立てているからな。絶対に他の女性とどうこうというのは、ありえない」
まったく、あいつは何てことをしてくれたんだ。
教師が誰も味方にならなかったからといって、今度は俺の恋人に別れを勧めるとか、おかしすぎるだろ。
そんな小細工を弄したところで、相手の気持ちなど手に入らんだろうに。
というか、そもそも俺のことを都合のいい駒くらいにしか思ってないだろうが。
翠子さんは何やら考え込んだ様子で、俺の拳を見つめている。中に、柴田の嫌がらせの紙が入った拳を、だ。
俺は頭にエリスをしがみつかせたままで、翠子さんの隣を歩いていた。ほんの少し手を伸ばせば、指先が触れるのに。
袖を破いて二の腕までも露わにしつつ、俺を罵る柴田の残像が頭に浮かんで。翠子さんの手を取ることができなかった。
あの時の柴田は、女の情念というか、業のようなものを煮えたぎらせて。正直、馬鹿げたことをする奴だと呆れつつも、恐ろしかった。
不思議なんだ。
俺は、散々翠子さんの花を散らした。
そして、おそらく……いや、確実に柴田はキスの経験もないだろう。
なのに翠子さんの方が、柴田よりも清らかに見える。
翠子さんだって俺を翻弄することもあるし、顔をめがけて座布団を投げつけてくることもある。命中しても威力はないが。
だが翠子さんには、俺を誰かに見せびらかしたいという欲がない。
柴田は俺をアクセサリーにしたかったんだよな。
俺を取り巻いていた生徒らは、女学校の中では数少ない男性教師を奪い合い、人生においては金と名声と見た目のすべてが揃った男を手に入れようとする。
友人という名の敵を見返すために。
そんな奴らのゲームの駒にさせられるのは、まっぴらだ。
あまりにも翠子さんが無言で歩くので、エリスが俺の頭から身を乗り出して「にゃあ」と小さく鳴いた。
しかも片方の前脚を上げて、翠子さんを誘っている。まるで招き猫だ。
というか、もう一方の足の裏に体重が重点的にかかって、重いし痛い。
「こちらへいらっしゃい、エリス」
翠子さんが両手を差し伸べると、エリスは彼女の腕にすっぽりと収まった。
え? 俺は?
もしかして柴田の走り書きを信じたんじゃないよな。それとも、火のないところに煙は立たぬの理論で、俺を疑っているのか?
翠子さんはエリスを抱いたまま、難しい顔をしてすたすたと歩いている。
振り返ってくれ、翠子さん。「旦那さまも、こちらへいらして」と、言ってくれ。どうか、どうか……。
そう一心に願うのに、翠子さんは振り向いてくれない。
しびれを切らした俺は彼女のブラウスの半袖に手を伸ばした。もう少しで指先がかすめる、というところで、結局手を戻してしまう。
ああ、もう。何をしているんだ。なんで遠慮なんかしてるんだ。
意気地なしだな。ちゃんと誤解なのだと、まったく何もないのだと言葉を重ねればいいだけなのに。
だが、説明を繰り返して、翠子さんの表情や言葉がどんどん冷めていったらどうするんだ。
もし、俺のことなどもう嫌いだと言われたら。立ち直ることなどできやしない。
いや、しかし。放っておいていい問題でもあるまし。
訊け。訊くんだ、俺。
◇◇◇
本当にびっくりしました。
だって、柴田さんといえば旦那さま……高瀬先生の取り巻きのお姉さま方の一人ですから。最初の頃は、先生のことを好きなのだと思っていましたけど。
宵祭りで、その好きな相手の悪口をさんざん言っていたので、正直、柴田さんの先生への好悪の感情がまったく分からなくなっていたのです。
さらに、先生に襲われたですって? それをわたくしに宛てた手紙にするとか。もう訳が分かりませんよ。
もちろん、先生の恋人の正体はご存じないでしょうけれど。
でも、赤の他人から「別れなさい」なんて指示されるいわれはありませんもの。
「これは事実無根だぞ。袖は、柴田が自分で破いたんだ。俺は翠子さんには操を立てているからな。絶対に他の女性とどうこうというのは、ありえない」
まったく、あいつは何てことをしてくれたんだ。
教師が誰も味方にならなかったからといって、今度は俺の恋人に別れを勧めるとか、おかしすぎるだろ。
そんな小細工を弄したところで、相手の気持ちなど手に入らんだろうに。
というか、そもそも俺のことを都合のいい駒くらいにしか思ってないだろうが。
翠子さんは何やら考え込んだ様子で、俺の拳を見つめている。中に、柴田の嫌がらせの紙が入った拳を、だ。
俺は頭にエリスをしがみつかせたままで、翠子さんの隣を歩いていた。ほんの少し手を伸ばせば、指先が触れるのに。
袖を破いて二の腕までも露わにしつつ、俺を罵る柴田の残像が頭に浮かんで。翠子さんの手を取ることができなかった。
あの時の柴田は、女の情念というか、業のようなものを煮えたぎらせて。正直、馬鹿げたことをする奴だと呆れつつも、恐ろしかった。
不思議なんだ。
俺は、散々翠子さんの花を散らした。
そして、おそらく……いや、確実に柴田はキスの経験もないだろう。
なのに翠子さんの方が、柴田よりも清らかに見える。
翠子さんだって俺を翻弄することもあるし、顔をめがけて座布団を投げつけてくることもある。命中しても威力はないが。
だが翠子さんには、俺を誰かに見せびらかしたいという欲がない。
柴田は俺をアクセサリーにしたかったんだよな。
俺を取り巻いていた生徒らは、女学校の中では数少ない男性教師を奪い合い、人生においては金と名声と見た目のすべてが揃った男を手に入れようとする。
友人という名の敵を見返すために。
そんな奴らのゲームの駒にさせられるのは、まっぴらだ。
あまりにも翠子さんが無言で歩くので、エリスが俺の頭から身を乗り出して「にゃあ」と小さく鳴いた。
しかも片方の前脚を上げて、翠子さんを誘っている。まるで招き猫だ。
というか、もう一方の足の裏に体重が重点的にかかって、重いし痛い。
「こちらへいらっしゃい、エリス」
翠子さんが両手を差し伸べると、エリスは彼女の腕にすっぽりと収まった。
え? 俺は?
もしかして柴田の走り書きを信じたんじゃないよな。それとも、火のないところに煙は立たぬの理論で、俺を疑っているのか?
翠子さんはエリスを抱いたまま、難しい顔をしてすたすたと歩いている。
振り返ってくれ、翠子さん。「旦那さまも、こちらへいらして」と、言ってくれ。どうか、どうか……。
そう一心に願うのに、翠子さんは振り向いてくれない。
しびれを切らした俺は彼女のブラウスの半袖に手を伸ばした。もう少しで指先がかすめる、というところで、結局手を戻してしまう。
ああ、もう。何をしているんだ。なんで遠慮なんかしてるんだ。
意気地なしだな。ちゃんと誤解なのだと、まったく何もないのだと言葉を重ねればいいだけなのに。
だが、説明を繰り返して、翠子さんの表情や言葉がどんどん冷めていったらどうするんだ。
もし、俺のことなどもう嫌いだと言われたら。立ち直ることなどできやしない。
いや、しかし。放っておいていい問題でもあるまし。
訊け。訊くんだ、俺。
◇◇◇
本当にびっくりしました。
だって、柴田さんといえば旦那さま……高瀬先生の取り巻きのお姉さま方の一人ですから。最初の頃は、先生のことを好きなのだと思っていましたけど。
宵祭りで、その好きな相手の悪口をさんざん言っていたので、正直、柴田さんの先生への好悪の感情がまったく分からなくなっていたのです。
さらに、先生に襲われたですって? それをわたくしに宛てた手紙にするとか。もう訳が分かりませんよ。
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