【第一部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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十一章

19、訊くんじゃなかった

 柴田さんには、先生は無理です。ええ、絶対に。
 いえ、これは高慢ちきな考えで言っているのではないのです。
 
 以前、わたくしは蚊に刺されただけで旦那さまに縛り上げられましたけど。それに顔を隠すとか、そういう理由でも手を縛られることがありました。
 
 柴田さん、そんなのに耐えられるでしょうか。というか、なぜわたくしは平気なのでしょう。

「……躾けられてしまったのでしょうか」

 腕に中のエリスに視線を向けると「まぁ、気にすることないわよ」とでも言いたげに、わたくしの頬に肉球が触れました。
 
 わたくしが柴田さんの手口に混乱している時に、どうやら旦那さまは煩悶していらしたようです。
 ええ、その時には気づかないものですね。

「翠子さん」

 突然、背後から肩を掴まれて、立ち止まりました。振り返ると、旦那さまは眉根を寄せて、わたくしを見据えていらっしゃいます。
 怒っているような、決意を秘めた表情にも見えました。

「もしかして、その……嫌いか?」

 縛られることですか? そりゃあ、好きではありませんよ。三條組の人に荒縄で縛られてからは、気を遣ってくださっているのか、そういう行為はありませんけど。

「まぁ、好きではありませんよね」
「じゃあ、我慢しているんだな」
「え、ええ。積極的に好きにはなれません」

 旦那さまは近くの塀に額をつけてしまいました。
 え? 何をなさっているんですか?
 どうしてそんなに落ち込んでいらっしゃるの? ああ、ため息まで。

 そんなにもわたくしを緊縛したかったのですか? やはりサディストの趣味を封印しているのが、とてもとてもつらいのですか?

 困りました。譲歩してさしあげるべきでしょうか。でも、あまり高度な緊縛は嫌なんです。

「そうか……嫌いか」

 とうとう旦那さまはしゃがみこんでしまわれました。
 膝を抱え込んで座る姿は、途方に暮れたようにもいじけたようにも見えます。

 あの、人通りがないとはいえ往来ですよ。わたくしは、おろおろと旦那さまの背中をさすりました。
 ほら、エリスも困ってわたくしを見上げているじゃないですか。

「本当に嫌いなのか?」
「ですから、積極的には好きになれないと……」
「義理で付き合ってくれているのだな」

 念を押すように旦那さまが仰います。お義理で縛られている……断れないという意味では正しいかもしれませんが。
 わたくしは、小さくうなずきました。

「なぜだ。あんなにも好きだと言ってくれたじゃないか」
「言ったことないですよ」
「でも……初恋だと。今もずっと好きだと」

 あら? 何やら話がおかしな方に進んでいます。あの、緊縛についてですよね。

「わたくしの初恋は、それじゃないですよ」

 というか、嫌じゃありません? 七歳ほどで緊縛に憧れ、荒縄に焦がれる女の子って。それ絶対に、教育的指導が入りますよ。

「人んちの前で、何やっとん」

 突然話しかけられて、わたくしは顔を上げました。ちょうど道の端に座り込んだわたくしと旦那さまの前に、夕日で逆光になった人影が見えます。

「なんや、欧之丞。こないな時間に二日酔いか? 昨日、どれだけ飲んでんねん。人んちの塀に吐かんといてや。帰って、お清さんにシジミ汁でも作ってもらい」
「琥太郎さん」

 麻のスーツを小粋に着こなした琥太郎さんと、その後ろには荷物を持った斉川さんが立っています。
 会合とやらが終わったのでしょうか。

「おお、エリスもおるやん。明日迎えに行こ思とったけど。このまま帰ってくるか?」

 琥太郎さんは、わたくしの腕の中にいるエリスに向かって手を差し出します。
 ですが、エリスはそっぽを向いてしまいました。

「え? 琥太郎兄ちゃんやで? まさか顔、忘れてしもたんか?」

 琥太郎さんに胴の部分を両手で支えられたエリスは、そうはさせじとわたくしにしがみつきます。
 爪が痛いです。

「ほら、エリスの大好きな琥太郎兄ちゃんや。匂いも覚えとうやろ?」
「若。この猫は頭も脳も小さいので、元々記憶していなかったのでは?」

 ばしっ! と斉川さんが頭をはたかれました。なかなか小気味よい音です。痛そうですけど。

「斉川。お前、失礼なこと言いなや」
「申し訳ございません。出過ぎた真似でした」

 部下を叱りながらも、なぜか涙目になっている琥太郎さんは「エリス。私のことが嫌いになったんか? 兄ちゃんを捨てるんか?」と呟いています。
 そして壁に向かってうなだれている旦那さまは「翠子さんは、俺のことが嫌いになったんだ」と。

 あのー、なぜ修羅場になっているのでしょう。
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