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十一章
23、静かなひととき【1】
おやつがまだでしたので、お部屋に戻って牛乳羹をいただくことにしました。床に置いていたエリス用のお皿は空っぽになっています。
どうやら先にしらす干しを食べてしまったようです。
そして、空になったお皿の前で「にゃあ」と一鳴きします。
ええ、ええ。ちゃんと綺麗に食べることができましたね。
わたくしは、エリスの頭を撫でてあげました。ぺこっとした薄くて少し硬い耳を、わたくしの手にすり寄せて、気持ちよさそうに目を細めています。
明日には琥太郎さんがエリスを迎えに来ます。
「うちの子になってほしいなんて、我儘ですよね」
旦那さまには、もっと我儘を言っていいと言われましたが。でも、それとこれとは違う気がします。
わたくしが牛乳羹をいただいていると、旦那さまは着替えを済ませて浴衣姿になりました。
いつの間にか手には麦酒の瓶とグラスを持っていらっしゃいます。
「どうした? 好きな甘味のわりに、嬉しそうじゃないな」
「おいしいですよ、すごく。お代わりを頂きたいくらいです」
空になったお皿に匙を置くと、わたくしは座卓の向かいに座る旦那さまの背後へとまわりました。
旦那さまの背中に、ぴったりと寄り添います。
「寂しくなったのか?」
わたくしは言葉にはせずに、こくりとうなずきました。旦那さまの背中越しに、しゅわしゅわという泡の音が聞こえてきます。
麦酒をひと口お飲みになったのでしょう。肩甲骨から背中にかけての辺りが、少し動くのがわたくしの頬に伝わってきました。
わたくしは堪らずに、旦那さまにしがみつきました。
「膝枕をしてください」
「へ? 今?」
「今です。すぐにです」
駄々をこねていると自覚はありますけど。寂しい時に、いい子でなんていられません。
「まったく、困った子だな」
旦那さまは苦笑しながら、わたくしを抱きかかえました。そして膝にお乗せになります。
膝枕ではなく、椅子状態ですけど。でも、いいんです。
いつもよりも旦那さまの顔が近い位置にあって、そして麦酒の匂いがします。
切子のグラスを机に置く、硬い音がしました。
わたくしは背中を伸ばして、旦那さまの唇にくちづけます。旦那さまが少し緊張したように、身を固くなさいました。
「嬉しいよ」
「キスがですか?」
「それもあるけど。翠子さんが、寂しさを俺にぶつけてくれることが」
そう仰る旦那さまの目は、とても優しく細められていました。
◇◇◇
今日は散々な一日だった。
学校では柴田に陥れられそうになり。下手をすれば犯罪者扱いか、着物を破った責任を取って嫁にもらえと脅されるところだった。
いや、断固拒否するし。いざとなれば自分には許嫁がいると公表しても構わない。
だが、それをしたくないのは、翠子さんの学校生活が楽しそうだからだ。
俺の膝に横向きに座り、ぴったりと寄り添ってくる翠子さんからは茉莉花の甘い香りがする。
もう一度キスしてくれないかな、と淡い期待を抱いていたら、翠子さんが顔を上げた。
お、以心伝心か? 俺はいつでもOKだぞ。
内心はどきどきしつつ、冷静さを装っていたら、再び軽くくちづけられた。
そのせいで持っていたグラスが傾いて、泡の立つ軽い音がした。
「苦いです」
「唇を重ねただけだぞ」
隙あらば舌を入れようと狙っていたが。さすがに今日は変態と誤解されたこともあり、余計なことはすまいと思った。
男女間のことは誰とも話すことがないし。俺は翠子さん以外と付き合ったことがないから、どこまでが正常でどこからが異常なのか分からない。
今にして思えば、時代小説に書かれていた鈴。あれは異常な方なのか?
いや、だが。もっと奇怪な道具もあったが。
不思議だ。江戸時代よりも今の方が、貞節を重んじるんだもんな。
そもそもあの本も、今のご時世なら検閲を通らない気がする。よくまぁ時代を越えて残っていたものだ。
「旦那さま。何を考えていらっしゃるの?」
翠子さんの指が、俺の眉間に触れた。どうやら真剣に考え込みすぎて、眉根を寄せていたらしい。
「え? 何も」
はい、嘘です。
「こういう静かなひとときは、大好きです」
「うん、そうだな」
俺は翠子さんのさらりとした黒髪を、手で梳いた。
頭の中を覗かれなくて、本当によかった。
どうやら先にしらす干しを食べてしまったようです。
そして、空になったお皿の前で「にゃあ」と一鳴きします。
ええ、ええ。ちゃんと綺麗に食べることができましたね。
わたくしは、エリスの頭を撫でてあげました。ぺこっとした薄くて少し硬い耳を、わたくしの手にすり寄せて、気持ちよさそうに目を細めています。
明日には琥太郎さんがエリスを迎えに来ます。
「うちの子になってほしいなんて、我儘ですよね」
旦那さまには、もっと我儘を言っていいと言われましたが。でも、それとこれとは違う気がします。
わたくしが牛乳羹をいただいていると、旦那さまは着替えを済ませて浴衣姿になりました。
いつの間にか手には麦酒の瓶とグラスを持っていらっしゃいます。
「どうした? 好きな甘味のわりに、嬉しそうじゃないな」
「おいしいですよ、すごく。お代わりを頂きたいくらいです」
空になったお皿に匙を置くと、わたくしは座卓の向かいに座る旦那さまの背後へとまわりました。
旦那さまの背中に、ぴったりと寄り添います。
「寂しくなったのか?」
わたくしは言葉にはせずに、こくりとうなずきました。旦那さまの背中越しに、しゅわしゅわという泡の音が聞こえてきます。
麦酒をひと口お飲みになったのでしょう。肩甲骨から背中にかけての辺りが、少し動くのがわたくしの頬に伝わってきました。
わたくしは堪らずに、旦那さまにしがみつきました。
「膝枕をしてください」
「へ? 今?」
「今です。すぐにです」
駄々をこねていると自覚はありますけど。寂しい時に、いい子でなんていられません。
「まったく、困った子だな」
旦那さまは苦笑しながら、わたくしを抱きかかえました。そして膝にお乗せになります。
膝枕ではなく、椅子状態ですけど。でも、いいんです。
いつもよりも旦那さまの顔が近い位置にあって、そして麦酒の匂いがします。
切子のグラスを机に置く、硬い音がしました。
わたくしは背中を伸ばして、旦那さまの唇にくちづけます。旦那さまが少し緊張したように、身を固くなさいました。
「嬉しいよ」
「キスがですか?」
「それもあるけど。翠子さんが、寂しさを俺にぶつけてくれることが」
そう仰る旦那さまの目は、とても優しく細められていました。
◇◇◇
今日は散々な一日だった。
学校では柴田に陥れられそうになり。下手をすれば犯罪者扱いか、着物を破った責任を取って嫁にもらえと脅されるところだった。
いや、断固拒否するし。いざとなれば自分には許嫁がいると公表しても構わない。
だが、それをしたくないのは、翠子さんの学校生活が楽しそうだからだ。
俺の膝に横向きに座り、ぴったりと寄り添ってくる翠子さんからは茉莉花の甘い香りがする。
もう一度キスしてくれないかな、と淡い期待を抱いていたら、翠子さんが顔を上げた。
お、以心伝心か? 俺はいつでもOKだぞ。
内心はどきどきしつつ、冷静さを装っていたら、再び軽くくちづけられた。
そのせいで持っていたグラスが傾いて、泡の立つ軽い音がした。
「苦いです」
「唇を重ねただけだぞ」
隙あらば舌を入れようと狙っていたが。さすがに今日は変態と誤解されたこともあり、余計なことはすまいと思った。
男女間のことは誰とも話すことがないし。俺は翠子さん以外と付き合ったことがないから、どこまでが正常でどこからが異常なのか分からない。
今にして思えば、時代小説に書かれていた鈴。あれは異常な方なのか?
いや、だが。もっと奇怪な道具もあったが。
不思議だ。江戸時代よりも今の方が、貞節を重んじるんだもんな。
そもそもあの本も、今のご時世なら検閲を通らない気がする。よくまぁ時代を越えて残っていたものだ。
「旦那さま。何を考えていらっしゃるの?」
翠子さんの指が、俺の眉間に触れた。どうやら真剣に考え込みすぎて、眉根を寄せていたらしい。
「え? 何も」
はい、嘘です。
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