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十一章
29、帰るのですね【1】
今日は休みなので、朝食を食べた俺と翠子さんは部屋でエリスと遊んでいた。初日に摘んだ猫じゃらしは、もう乾ききって少し振ると畳の上に小さな種が散ってしまう。
また新たな猫じゃらしを、翠子さんは庭から採ってきた。
さすがにもう遊び方も慣れたもので、うまくエリスを焦らして、二人とも……いや一人と一匹は楽しそうだ。
しかも今日は麻ひもまで使っている。
「よぉ、お早うさん。エリスを預かってくれて、ありがとうな」
玄関から入ればいいものを、なぜか庭を抜けていきなり縁側に琥太兄がやってきた。もちろん、背後には斉川が控えている。
涼しそうな麻の単衣を琥太兄は着ているが、斉川は黒の背広だ。暑くないのだろうか。
それまで楽しそうに猫じゃらしを揺らしていた翠子さんが、二人の姿を見て一瞬動きを止めた。
「おお、エリス。琥太郎兄ちゃんやで。昨日ぶりやな。迎えに来たったで」
エリスは答えない。琥太兄が縁側に腰を下ろして手を差し伸べると、エリスは翠子さんの背後に隠れてしまった。
「うーん。斉川、お前がおるからエリスが怖がっとるやん」
「お言葉ですが、そうでしょうか。若」
「もしかして帰宅拒否っちゅうやつか? 昨日も嫌がっとったもんな」
琥太兄と斉川は顔を突き合わせて「うーん」と唸っている。
うん、あながち間違ってはいないな。
琥太兄はエリスを可愛がるあまり、屋敷に閉じ込めようとするし。健康第一が信条なのかもしれないが、餌も適量を守りすぎるきらいがある。
自由に育ったエリスには、たぶん窮屈なんだよな。
あと、三條邸はうるさすぎる。男どもの野太い声が。
「なぁ、欧之丞。エリスが帰りたがらへんのやけど。どないしたらええ?」
「諦めろ」
「なんで、そんな冷たいこと言うねん」
琥太兄は、ちょっと涙声だ。
というか、どうしてそもそもいわゆる野良猫だったエリスを飼おうとしたんだ?
俺の問いかけに、琥太兄は「何を馬鹿なことを?」という風にあごを上げた。
なんか、むかつく。
「この子は、あの子が危ないから守ろうとしとった子ぉやで。保護したらなあかんやろ」
「琥太兄、今『子』が三回出てきたぞ。この子は誰で、あの子は誰だ?」
「そんなん言わせんなや」
なぜか琥太郎兄さんは、俺の腕をばしばしと叩いた。もしかしてあんた、照れてますか?
「あー、ごめん。聞かなかったことにしてくれ」
それ以上、突っ込んだ話をしたくなくて、俺は両手を振ったが。琥太兄は、ぐいと顔を近づけてくる。
いやー、やめて。俺は翠子さん以外と顔を近づけたくないです。俺の至近距離に来ていいのは、翠子さんだけです。
「あらまぁ、琥太郎さんも斉川さんも。玄関から入ってくださればよかったのに」
話し声を聞きつけて、お清が部屋にやって来た。ちゃんと茶を運んでくるあたり、準備がいい。
琥太兄は優雅な手つきで湯呑みを手に取ると、茶をひと口飲んだ。
たぶん「この子」はエリスで「あの子」は深山文子さんのことだろう。
確か宵祭りの夜に、人混みで踏まれそうになっていたエリスを深山さんが追いかけていたのだったっけ。そして琥太兄と出会ったはずだ。
「猫と女学生は違うぞ」
「分かっとう」
「あと、猫は閉じ込めることができても、女学生を閉じ込めたら、それは監禁だぞ」
「……分かっとうつもりなんやけど」
「なんで今回だけ、そんなに純情なんだ?」
「なんでやろな。自分でも分からへんわ」
琥太兄は、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
恋愛豊富で、来るもの拒まずで女性と付き合っては、すぐに相手を変えていた琥太兄は、ある意味では俺と同じだ。
自分を好きだという女性を、信じてこなかった。
俺よりは人生経験があるし、修羅場もくぐってきているだろうに。
今日の琥太兄は、純情な少年の姿が見え隠れしているように思えた。
そう、琥太兄のお母さんの絲さんが出してくれた薄荷のゼリィを、陽光に透かして見とれていた頃のような。
また新たな猫じゃらしを、翠子さんは庭から採ってきた。
さすがにもう遊び方も慣れたもので、うまくエリスを焦らして、二人とも……いや一人と一匹は楽しそうだ。
しかも今日は麻ひもまで使っている。
「よぉ、お早うさん。エリスを預かってくれて、ありがとうな」
玄関から入ればいいものを、なぜか庭を抜けていきなり縁側に琥太兄がやってきた。もちろん、背後には斉川が控えている。
涼しそうな麻の単衣を琥太兄は着ているが、斉川は黒の背広だ。暑くないのだろうか。
それまで楽しそうに猫じゃらしを揺らしていた翠子さんが、二人の姿を見て一瞬動きを止めた。
「おお、エリス。琥太郎兄ちゃんやで。昨日ぶりやな。迎えに来たったで」
エリスは答えない。琥太兄が縁側に腰を下ろして手を差し伸べると、エリスは翠子さんの背後に隠れてしまった。
「うーん。斉川、お前がおるからエリスが怖がっとるやん」
「お言葉ですが、そうでしょうか。若」
「もしかして帰宅拒否っちゅうやつか? 昨日も嫌がっとったもんな」
琥太兄と斉川は顔を突き合わせて「うーん」と唸っている。
うん、あながち間違ってはいないな。
琥太兄はエリスを可愛がるあまり、屋敷に閉じ込めようとするし。健康第一が信条なのかもしれないが、餌も適量を守りすぎるきらいがある。
自由に育ったエリスには、たぶん窮屈なんだよな。
あと、三條邸はうるさすぎる。男どもの野太い声が。
「なぁ、欧之丞。エリスが帰りたがらへんのやけど。どないしたらええ?」
「諦めろ」
「なんで、そんな冷たいこと言うねん」
琥太兄は、ちょっと涙声だ。
というか、どうしてそもそもいわゆる野良猫だったエリスを飼おうとしたんだ?
俺の問いかけに、琥太兄は「何を馬鹿なことを?」という風にあごを上げた。
なんか、むかつく。
「この子は、あの子が危ないから守ろうとしとった子ぉやで。保護したらなあかんやろ」
「琥太兄、今『子』が三回出てきたぞ。この子は誰で、あの子は誰だ?」
「そんなん言わせんなや」
なぜか琥太郎兄さんは、俺の腕をばしばしと叩いた。もしかしてあんた、照れてますか?
「あー、ごめん。聞かなかったことにしてくれ」
それ以上、突っ込んだ話をしたくなくて、俺は両手を振ったが。琥太兄は、ぐいと顔を近づけてくる。
いやー、やめて。俺は翠子さん以外と顔を近づけたくないです。俺の至近距離に来ていいのは、翠子さんだけです。
「あらまぁ、琥太郎さんも斉川さんも。玄関から入ってくださればよかったのに」
話し声を聞きつけて、お清が部屋にやって来た。ちゃんと茶を運んでくるあたり、準備がいい。
琥太兄は優雅な手つきで湯呑みを手に取ると、茶をひと口飲んだ。
たぶん「この子」はエリスで「あの子」は深山文子さんのことだろう。
確か宵祭りの夜に、人混みで踏まれそうになっていたエリスを深山さんが追いかけていたのだったっけ。そして琥太兄と出会ったはずだ。
「猫と女学生は違うぞ」
「分かっとう」
「あと、猫は閉じ込めることができても、女学生を閉じ込めたら、それは監禁だぞ」
「……分かっとうつもりなんやけど」
「なんで今回だけ、そんなに純情なんだ?」
「なんでやろな。自分でも分からへんわ」
琥太兄は、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
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