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十一章
31、帰ってきちゃったんですか?
静かな夜でした。
わたくしは久しぶりに、お風呂上がりに少女雑誌を読んでおりました。
旦那さまは、わたくしのために飲み物を持ってきてくださいました。
「此の一杯に初戀の味がある」と広告で目にする、カルピスです。牛乳よりも甘いのに、あっさりとして、とても美味しいんですよ。
初恋の味かどうかは分かりませんが、間違いなく夏の味です。
「おいしいです」
「よかった。口に合って」
もうお清さんは家に帰っているので、旦那さまが原液を水で薄めて作ってくださったのですね。
旦那さまは、わたくしを抱き寄せるとお膝に乗せてくださいました。
最近のわたくしの定位置です。
これでエリスがいれば……なんて望むのは我儘ですよね。ちゃんとお家に帰ったのですから、気にしないようにしましょう。
座卓に空になったグラスを置くと、牛乳瓶に挿した猫じゃらしが派手に揺れました。
風が吹いたのでしょうか? いえ、でも凪の時間ですから、海風も陸風も吹いていませんよ。
ずり、ずりり、と妙な音が足下から聞こえます。
わたくしと旦那さまは顔を見合わせました。
まさか蛇でも入って来たんじゃないですよね。いませんよね、そんな恐ろしいもの。
わたくしを背後に隠し、旦那さまは音のする方へ視線を向けました。広い背中に緊張が走っています。けれどそれも一瞬。
「なんでだよ」と、脱力した声をお出しになりました。
さっきまでいからせていた肩を、旦那さまは落とします。恐る恐る旦那さまの背中から顔を出したわたくしが目にしたのは、とても素敵な光景でした。
エリスが、土で汚れた布を引きずりながら、縁側を歩いているではありませんか。
彼女の体よりも大きい布は、かごに敷かれていたものです。
ええ、そうなんです。エリスは寝床と申しますか、布団を持ってやって来たんです。
それはまるで「眠れないの」と、子どもが親の部屋へ枕を持ってやって来るようでした。
「感動しているようだが、考えてみろ。翠子さん。琥太兄の部屋から抜け出して、高い塀を乗り越え、まだ往来のある道を布をずるずる引きずって、エリスはやって来たんだぞ」
「感動ですね!」
「いや、怪談だろ。道行く人たちは、きっと猫の妖怪と思うぞ」
「布団持参とか、どれだけ用意周到なんだ」と旦那さまは仰いますが。ええ、それだけ準備万端でお利口ってことですよ。
「まぁ、斉川あたりがエリスの脱走を見逃したんだろうな」
「そうなんですか?」
確かに今日、斉川さんは含みのある言い方をなさっていましたけど。
「もともと家の中にしかいないのならともかく、外で暮らしていた猫を閉じ込めるのはよくないだろ」
エリスが咥えている布を畳に落とすと、彼女の首に何かが巻いてあるのに気づきました。
わたくしは手を伸ばして、それを解きます。
和紙をこより状にしたもので、広げると文字がしたためてありました。
――そちらが別邸でもいいですか? 大騒ぎして暴れて、若でも手に負えません。
ええ、ええ。いくらでも。
わたくしは湿った土の匂いのするエリスを、ぎゅううと抱きしめました。
わたくしは久しぶりに、お風呂上がりに少女雑誌を読んでおりました。
旦那さまは、わたくしのために飲み物を持ってきてくださいました。
「此の一杯に初戀の味がある」と広告で目にする、カルピスです。牛乳よりも甘いのに、あっさりとして、とても美味しいんですよ。
初恋の味かどうかは分かりませんが、間違いなく夏の味です。
「おいしいです」
「よかった。口に合って」
もうお清さんは家に帰っているので、旦那さまが原液を水で薄めて作ってくださったのですね。
旦那さまは、わたくしを抱き寄せるとお膝に乗せてくださいました。
最近のわたくしの定位置です。
これでエリスがいれば……なんて望むのは我儘ですよね。ちゃんとお家に帰ったのですから、気にしないようにしましょう。
座卓に空になったグラスを置くと、牛乳瓶に挿した猫じゃらしが派手に揺れました。
風が吹いたのでしょうか? いえ、でも凪の時間ですから、海風も陸風も吹いていませんよ。
ずり、ずりり、と妙な音が足下から聞こえます。
わたくしと旦那さまは顔を見合わせました。
まさか蛇でも入って来たんじゃないですよね。いませんよね、そんな恐ろしいもの。
わたくしを背後に隠し、旦那さまは音のする方へ視線を向けました。広い背中に緊張が走っています。けれどそれも一瞬。
「なんでだよ」と、脱力した声をお出しになりました。
さっきまでいからせていた肩を、旦那さまは落とします。恐る恐る旦那さまの背中から顔を出したわたくしが目にしたのは、とても素敵な光景でした。
エリスが、土で汚れた布を引きずりながら、縁側を歩いているではありませんか。
彼女の体よりも大きい布は、かごに敷かれていたものです。
ええ、そうなんです。エリスは寝床と申しますか、布団を持ってやって来たんです。
それはまるで「眠れないの」と、子どもが親の部屋へ枕を持ってやって来るようでした。
「感動しているようだが、考えてみろ。翠子さん。琥太兄の部屋から抜け出して、高い塀を乗り越え、まだ往来のある道を布をずるずる引きずって、エリスはやって来たんだぞ」
「感動ですね!」
「いや、怪談だろ。道行く人たちは、きっと猫の妖怪と思うぞ」
「布団持参とか、どれだけ用意周到なんだ」と旦那さまは仰いますが。ええ、それだけ準備万端でお利口ってことですよ。
「まぁ、斉川あたりがエリスの脱走を見逃したんだろうな」
「そうなんですか?」
確かに今日、斉川さんは含みのある言い方をなさっていましたけど。
「もともと家の中にしかいないのならともかく、外で暮らしていた猫を閉じ込めるのはよくないだろ」
エリスが咥えている布を畳に落とすと、彼女の首に何かが巻いてあるのに気づきました。
わたくしは手を伸ばして、それを解きます。
和紙をこより状にしたもので、広げると文字がしたためてありました。
――そちらが別邸でもいいですか? 大騒ぎして暴れて、若でも手に負えません。
ええ、ええ。いくらでも。
わたくしは湿った土の匂いのするエリスを、ぎゅううと抱きしめました。
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