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三章
17、父さんと一緒
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結局、母さんは熟睡しとって起きへんかった。
せやからぼくは父さんと一緒に寝ることになったんや。
「えー、なんでぇ。欧之丞らとおんなじ部屋でええやん」
「なんでって。俺が一人で寝るん、寂しいやん」
「え、父さんの事情なん?」
「せやで」
当たり前のように返答されて、ぼくは頭が混乱した。
母さんに、そっと薄い夏布団をかけてあげると、父さんは「起こさんように静かにな」と言いながら、畳にしゃがみこんだ。
シュッと燐寸をすると、烏瓜みたいな色の火が点った。
その日を蚊取り線香に移して、ブタの蚊遣りに入れる。
ぼくもここで寝たい。
けど、そんなん言うたら、欧之丞と母さんが起きてしまう。
「おやすみ。母さん、欧之丞」
煙が細く上る中、小さい声で囁いて、ぼくは部屋を出た。
父さんらの部屋に入ると、ぼくらが使っとう部屋とは違う匂いがした。
花とはちょっと違う、母さんが使っとう白粉みたいな匂いや。
「いい匂い」
「ん? ああ、絲さんの鏡台とちゃうかな。舶来のクリームというやつを買ってんで」
「へーぇ」
「絲さんは肌が弱いからな。夏でも乾燥して、掻いたら赤く腫れてしまうんやって」
縮緬の布が掛けられた鏡台を見ると、きれいで繊細な浮彫の入った平たい擦りガラスの器が置かれとった。
その中にクリームっていうのが入ってるみたいや。
そういえばこの間、百貨店の人が家に来とった。
ぼくは欧之丞と遊んどったから、外商っていう人が何を持ってきたんか知らんかったけど。
そうか。せやからさっき、ぼくらの部屋で父さんは蚊取り線香をつけたんや。母さんの肌を守る為に。蚊なんか飛んでへんかったのに。
「父さんは、母さんのこと大好きなんやな」
「ん? 当たり前やん。大好きやし大事やで」
「じゃあ……じゃあさ。ぼくや欧之丞に母さんを取られてしもて、寂しない?」
父さんはちょっと考えてから「まぁ、少しはな」と苦笑した。
「けど、俺は琥太郎も欧之丞も大好きやから。絲さんを俺が独り占めしたらあかんしなぁ」
「難しい問題やな」と言いながら、父さんは押し入れを開いた。
この部屋には母さんがおらへんのに、母さんの匂いがする。
うん、ぼくもちょっと寂しいけど。お兄ちゃんやから、欧之丞に母さんを譲ったるねん。
ふんふふふーん、と鼻歌を歌いながら、父さんは布団を敷いとう。ぼくは枕を運ぶお手伝いをした。
「布団は一枚でええかな」
「父さんと一緒の布団なん?」
「せやで。大丈夫やで、ちょっとくらい寝相悪うても。琥太郎やったら蹴飛ばされても、父さんは平気やで」
うーん。ぼくは母さんの布団で寝るつもりやったけど。
まぁしゃあない。付き合うたろか。
けど、それが間違いやった。
布団に入ると、父さんはすぐに寝入ってしもたんや。
「う……うぅ、重たい」
寝間着をまとった父さんの腕が、ぼくの体に乗せられとう。
しかも、ぎゅうっと抱きしめられるもんやから、逃げられへん。
「もーぉ、邪魔っ。退いて」
「んー。琥太郎は可愛いなぁ。大好きやで」
起きてるのかと思ったら、寝言やった。
父さんがぼくを好きなことくらい、よう知っとうもん。
「生まれてきてくれて、ありがとうな」
う、うん。
存在するだけで感謝されるのって、変な気分や。
でも、こんなにぎゅうぎゅう抱きしめられたら、寝られへん。そう思とったのに。
庭の虫の声がだんだん遠くなり、ぼくは優しい暗さの中に落ちていった。
父さんはほんまに甘えたやから。ぼくが子どもとして相手したらなあかんねん。
せやからぼくは父さんと一緒に寝ることになったんや。
「えー、なんでぇ。欧之丞らとおんなじ部屋でええやん」
「なんでって。俺が一人で寝るん、寂しいやん」
「え、父さんの事情なん?」
「せやで」
当たり前のように返答されて、ぼくは頭が混乱した。
母さんに、そっと薄い夏布団をかけてあげると、父さんは「起こさんように静かにな」と言いながら、畳にしゃがみこんだ。
シュッと燐寸をすると、烏瓜みたいな色の火が点った。
その日を蚊取り線香に移して、ブタの蚊遣りに入れる。
ぼくもここで寝たい。
けど、そんなん言うたら、欧之丞と母さんが起きてしまう。
「おやすみ。母さん、欧之丞」
煙が細く上る中、小さい声で囁いて、ぼくは部屋を出た。
父さんらの部屋に入ると、ぼくらが使っとう部屋とは違う匂いがした。
花とはちょっと違う、母さんが使っとう白粉みたいな匂いや。
「いい匂い」
「ん? ああ、絲さんの鏡台とちゃうかな。舶来のクリームというやつを買ってんで」
「へーぇ」
「絲さんは肌が弱いからな。夏でも乾燥して、掻いたら赤く腫れてしまうんやって」
縮緬の布が掛けられた鏡台を見ると、きれいで繊細な浮彫の入った平たい擦りガラスの器が置かれとった。
その中にクリームっていうのが入ってるみたいや。
そういえばこの間、百貨店の人が家に来とった。
ぼくは欧之丞と遊んどったから、外商っていう人が何を持ってきたんか知らんかったけど。
そうか。せやからさっき、ぼくらの部屋で父さんは蚊取り線香をつけたんや。母さんの肌を守る為に。蚊なんか飛んでへんかったのに。
「父さんは、母さんのこと大好きなんやな」
「ん? 当たり前やん。大好きやし大事やで」
「じゃあ……じゃあさ。ぼくや欧之丞に母さんを取られてしもて、寂しない?」
父さんはちょっと考えてから「まぁ、少しはな」と苦笑した。
「けど、俺は琥太郎も欧之丞も大好きやから。絲さんを俺が独り占めしたらあかんしなぁ」
「難しい問題やな」と言いながら、父さんは押し入れを開いた。
この部屋には母さんがおらへんのに、母さんの匂いがする。
うん、ぼくもちょっと寂しいけど。お兄ちゃんやから、欧之丞に母さんを譲ったるねん。
ふんふふふーん、と鼻歌を歌いながら、父さんは布団を敷いとう。ぼくは枕を運ぶお手伝いをした。
「布団は一枚でええかな」
「父さんと一緒の布団なん?」
「せやで。大丈夫やで、ちょっとくらい寝相悪うても。琥太郎やったら蹴飛ばされても、父さんは平気やで」
うーん。ぼくは母さんの布団で寝るつもりやったけど。
まぁしゃあない。付き合うたろか。
けど、それが間違いやった。
布団に入ると、父さんはすぐに寝入ってしもたんや。
「う……うぅ、重たい」
寝間着をまとった父さんの腕が、ぼくの体に乗せられとう。
しかも、ぎゅうっと抱きしめられるもんやから、逃げられへん。
「もーぉ、邪魔っ。退いて」
「んー。琥太郎は可愛いなぁ。大好きやで」
起きてるのかと思ったら、寝言やった。
父さんがぼくを好きなことくらい、よう知っとうもん。
「生まれてきてくれて、ありがとうな」
う、うん。
存在するだけで感謝されるのって、変な気分や。
でも、こんなにぎゅうぎゅう抱きしめられたら、寝られへん。そう思とったのに。
庭の虫の声がだんだん遠くなり、ぼくは優しい暗さの中に落ちていった。
父さんはほんまに甘えたやから。ぼくが子どもとして相手したらなあかんねん。
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