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一章
24、ウィスケ【2】
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俺はひとくちウィスケを飲んだ。
水割りではなく、そのまま割らずに。なので喉の奥がかっと熱くなる。鼻孔から抜ける独特のピートの燻香とヨードの強烈なにおい。
俺もこれを飲み慣れるまでに、相当時間がかかった。
不思議なもので最初は苦手でも、しだいにこの個性の強さが癖になるんだ。
翠子さんにも指摘されたが、普段は麦酒か日本酒が多いのは、酒精が強くないからだ。
すぐに酔って眠ってしまっては、あなたとの時間が減ってしまうじゃないか。
本当は毎夜、一睡もせずに、翠子さんの寝顔を朝まで眺めていたいくらいだが。それで体を壊して寝込んでしまっては、本末転倒だ。
あなたとの時間の為ならば、他に何を我慢してもつらくはない。
まぁ、そんなことは口にはしないが。きっとあなたは「旦那さまは、お好きなことをなさってください」と遠慮するだろうからな。
翠子さんは、昼間に買ってきたレモネードの瓶の栓を開けようとしている。どうも栓抜きの持つ位置が悪いのか、何度も失敗している。
てこの原理を分かってないんだよな。
俺は、側卓に置いた瓶と格闘する翠子さんを眺めていた。
瓶を持つ手の位置も悪いから、安定していないし。栓抜きと蓋が触れ合うカチカチという音ばかりが聞こえてくる。
「無理です。開きません」
「諦めが早いな。貸してみなさい」
俺が、しゅぽんと軽快な音を立てて栓を抜くと、翠子さんは目を丸くした。
「すごいです。こんなに簡単に開くなんて」
焚き火の優しい橙色が、翠子さんの瞳をより煌めかせる。
栓抜き一つで尊敬されるとは、喜んでいいところなのか、これ?
家事裁縫の授業で、栓の抜き方とか教えた方がいい気がするぞ。
別荘の森はすでに闇に包まれているが、空はまだほんのりとした夕暮れの名残を残している。
レモネードの爽やかな檸檬の香り。そういえば翠子さんは果物全般が好きだが、きっと冬になると蜜柑ばかり食べるんじゃないかな?
そして指や手が黄色くなったと大騒ぎしそうだ。
そんな少し先の未来を想像すると、楽しくなる。そして同時に泣きたくなる心地になるのは、どうしてだろう。
「そういうのを切ないっていうんやで」と、琥太郎兄さんなら訳知り顔で言いそうだ。しかも「ようやく欧之丞も、そういう心の機微が分かるようになったんか」と。
うん、そうだな。
翠子さんと暮らすまでは気付くことのなかった気持ちだ。
きっと今日は普段飲まないウィスケを口にしているから、こんな風に感傷的になってしまうんだ。
永遠に翠子さんと一緒にいたいのに、永遠ではいられないことに心がひりつくのだろう。
翠子さんはレモネードをひとくち飲んで、満足そうに息をついた。俺の憂いに気づかない、その屈託のなさに救われる。
俺は椅子から身を乗り出して、翠子さんにくちづける。
たいそう甘いキスだったのに、翠子さんは顔をしかめた。
うん、言いたいことは分かるよ。忠勇征露丸のにおいだと主張したいんだろ?
でも、キスはやめてやらない。
「や、もう。嫌だって言ってるのに」
「俺のキスが?」
「そのウィスケのにおいのキスが、です」
「困ったなぁ。あなただってレモネードの甘いキスじゃないか」
彼女の細いあごに手を添えて、間近で瞳を見据えると、翠子さんは困ったように瞼を伏せた。
「わたくしからは、していませんもの」
確かにそうだけど。睫毛を伏せてから、ゆっくりと上目遣いで見上げてくる様子が、まるで誘っているようだと自分では分からないんだろうな。
「あー、こういうのは慣れだから。ウィスケはもっと飲みやすいのもあるが、最初にきついのに慣れておけば、大丈夫」
「大丈夫の意味が分かりま……」
文句の途中で、彼女の口をふさいでやる。
翠子さんは小さな拳で俺の胸を叩いていたが、諦めたのかしだいに力が抜けてきた。
こういう時は、諦めが早くて助かる。
長所と短所は裏表というのは、本当だな。
水割りではなく、そのまま割らずに。なので喉の奥がかっと熱くなる。鼻孔から抜ける独特のピートの燻香とヨードの強烈なにおい。
俺もこれを飲み慣れるまでに、相当時間がかかった。
不思議なもので最初は苦手でも、しだいにこの個性の強さが癖になるんだ。
翠子さんにも指摘されたが、普段は麦酒か日本酒が多いのは、酒精が強くないからだ。
すぐに酔って眠ってしまっては、あなたとの時間が減ってしまうじゃないか。
本当は毎夜、一睡もせずに、翠子さんの寝顔を朝まで眺めていたいくらいだが。それで体を壊して寝込んでしまっては、本末転倒だ。
あなたとの時間の為ならば、他に何を我慢してもつらくはない。
まぁ、そんなことは口にはしないが。きっとあなたは「旦那さまは、お好きなことをなさってください」と遠慮するだろうからな。
翠子さんは、昼間に買ってきたレモネードの瓶の栓を開けようとしている。どうも栓抜きの持つ位置が悪いのか、何度も失敗している。
てこの原理を分かってないんだよな。
俺は、側卓に置いた瓶と格闘する翠子さんを眺めていた。
瓶を持つ手の位置も悪いから、安定していないし。栓抜きと蓋が触れ合うカチカチという音ばかりが聞こえてくる。
「無理です。開きません」
「諦めが早いな。貸してみなさい」
俺が、しゅぽんと軽快な音を立てて栓を抜くと、翠子さんは目を丸くした。
「すごいです。こんなに簡単に開くなんて」
焚き火の優しい橙色が、翠子さんの瞳をより煌めかせる。
栓抜き一つで尊敬されるとは、喜んでいいところなのか、これ?
家事裁縫の授業で、栓の抜き方とか教えた方がいい気がするぞ。
別荘の森はすでに闇に包まれているが、空はまだほんのりとした夕暮れの名残を残している。
レモネードの爽やかな檸檬の香り。そういえば翠子さんは果物全般が好きだが、きっと冬になると蜜柑ばかり食べるんじゃないかな?
そして指や手が黄色くなったと大騒ぎしそうだ。
そんな少し先の未来を想像すると、楽しくなる。そして同時に泣きたくなる心地になるのは、どうしてだろう。
「そういうのを切ないっていうんやで」と、琥太郎兄さんなら訳知り顔で言いそうだ。しかも「ようやく欧之丞も、そういう心の機微が分かるようになったんか」と。
うん、そうだな。
翠子さんと暮らすまでは気付くことのなかった気持ちだ。
きっと今日は普段飲まないウィスケを口にしているから、こんな風に感傷的になってしまうんだ。
永遠に翠子さんと一緒にいたいのに、永遠ではいられないことに心がひりつくのだろう。
翠子さんはレモネードをひとくち飲んで、満足そうに息をついた。俺の憂いに気づかない、その屈託のなさに救われる。
俺は椅子から身を乗り出して、翠子さんにくちづける。
たいそう甘いキスだったのに、翠子さんは顔をしかめた。
うん、言いたいことは分かるよ。忠勇征露丸のにおいだと主張したいんだろ?
でも、キスはやめてやらない。
「や、もう。嫌だって言ってるのに」
「俺のキスが?」
「そのウィスケのにおいのキスが、です」
「困ったなぁ。あなただってレモネードの甘いキスじゃないか」
彼女の細いあごに手を添えて、間近で瞳を見据えると、翠子さんは困ったように瞼を伏せた。
「わたくしからは、していませんもの」
確かにそうだけど。睫毛を伏せてから、ゆっくりと上目遣いで見上げてくる様子が、まるで誘っているようだと自分では分からないんだろうな。
「あー、こういうのは慣れだから。ウィスケはもっと飲みやすいのもあるが、最初にきついのに慣れておけば、大丈夫」
「大丈夫の意味が分かりま……」
文句の途中で、彼女の口をふさいでやる。
翠子さんは小さな拳で俺の胸を叩いていたが、諦めたのかしだいに力が抜けてきた。
こういう時は、諦めが早くて助かる。
長所と短所は裏表というのは、本当だな。
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