【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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二章

4、名前で呼んで ※文子視点

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 三條さんと二人きりの車内は、きっと間が持たないとおもっていたの。
 でも逆に緊張しすぎて、気が付けば車はカフェーの駐車場に入っていた。先に車を降りた三條さんが、助手席のドアを開けてくれたわ。

「いえ、そんな。申し訳ないからいいです」
「へ? なんで遠慮するん。レディに優しするんは、紳士の務めやろ」

 だってあなた、ヤクザの若頭じゃないですか。わたしなんてただの女学生ですよ。丁重に扱われても困ります。
 おろおろするわたしを、三條さんは楽しそうに目を細めて眺めている。
 なのにカフェーの扉も、三條さんが開けてくれるし。席はさすがにウェイターが引いてくれたけれど、メニュウも先にわたしに選ばせてくれたの。

「ヤ……三條さんのお家って、もっと男尊女卑なのかと思っていました」
「ああ、ヤクザやからな。そう思われてもおかしないな」

 勘の鋭い人って、困るわ。すんでのところで飲み込んだヤクザという言葉を、すぐに聞き取ってしまうんだもの。

「あと『三條さん』は、なしやで」
「じゃあ、なんてお呼びすれば」
「琥太郎でええわ。翠子さんかて、私のことをそう呼んどうから」

 いきなり名前呼びは難しいですよ。
 困ったわたしは、運ばれてきたオレンジエードをじーっと凝視した。
 グラスに飾られたオレンジの輪切り。薄くきれいに切られているわ……なんて、関係のないことで頭をいっぱいにしたの。

「文子さん。ほら、呼んでみ」
「あの、その……」
「『琥太郎』やで」
「こ、こた……」
「うーん。そこで切られると、欧之丞の呼び方か、炬燵みたいやなぁ」

 きゅっと瞼を閉じ、膝の上で両手の拳を握ってわたしは深呼吸した。
 意識しすぎちゃだめ。ただ名前を呼ぶだけなんだから。
 ああ、でも翠子さんは先生のことを、名前でなんて呼んでなかったわ。そうよね、難しいわよね。相手は大人の男性なんだもの。
 そもそも先生が、名前呼びを強要していないかもしれないし。

 違うことを考えて時間を稼いでも、三條さんはわたしが名前を呼ぶのを根気よく待っている。
 少し氷がとけたのか、グラスの中でからん、という音がした。

「琥太郎さんっ!」

 とても静かなカフェーの店内に、わたしの裏返った声が響いてしまった。
 は……恥ずかしい。穴があったら入りたいわ。

「はい。文子さん」

 恐る恐る目を開くと、向かいの席に座った琥太郎さんが、優しい笑みを浮かべていた。
 それはまるで、とろけるような眼差しで。わたしはこれまでの人生で、そんな風に男性に見つめられたことがないから。
 もう、どうしていいか分からなくて。

 翠子さんと高瀬先生はいないし。一人っきりでこんな……無理よぉ。

「ええなぁ。やっぱり好きな人に名前で呼んでもらうんが、嬉しいわ」
「す、好きな人って……」
「文子さんに決まっとうやん。他に誰がおるん」

 琥太郎さんはきれいな手つきで、白いカップに入ったコーヒーを飲んでいる。うっとりと見とれるほどに所作が丁寧で、気づけば琥太郎さんと目が合ってしまった。

「そんなに見つめられたら、照れるやん」
「わたし、見てましたか?」
「うん。自覚なかった?」

 ないです。自然と目が、琥太郎さんに吸い寄せられていたの。
 テーブルの上に揃えて置かれた白い手袋を、わたしは見るしかなかった。
 車の中は二人きりだけれど、お互いが前方を向いていて。真正面から見つめ合うことなんてなかったから……まだ、ましだったんだわ。

 ああ、だめ。せっかくのオレンジエードなのに。味が分からないわ。
 お見合いという名目のお出かけは、数日間の荷物を用意するように言われたけど。
 今日一日だって、一緒にいるのは無理そうよ。

 琥太郎さんの名前を呼ぶだけで、心臓がバクバクと音を立てつつ跳ねあがりそうになったんだもの。

 でも琥太郎さんは、平然としているし。わたしの緊張なんて、きっとこれっぽっちも分からないわね。
 
「文子さんは、もしかして自分がなんで私に選ばれたか、分かってへん?」
「あの、くじとか抽選とか」
「なんでやねん」

 でも心当たりなんて全然ないのよ。
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