151 / 194
四章
28、ホテルのロビー【2】※前半、文子視点 後半、琥太郎視点
しおりを挟む
「おはようございます。文子さん」
翠子さんは縞銘仙の袖を揺らしながら、わたしに向かって小走りに駆けてきた。
「ああ、もう。転んだらどうするんだ」という高瀬先生の声に耳を傾けることもなく。
こうして見ていると、本当に先生は翠子さんばかり気にかけているのね。
ほんの少し、翠子さんがつまずいた。もちろん、転んだりはしないんだけれど。
彼女は平気そうに次の一歩を踏み出して。なのに高瀬先生は、翠子さんに駆け寄ったのよ。
「あの、なにか?」
「なにかじゃなくて。だから走るなと」
「走ってませんよ?」
高瀬先生に腕を掴まれながら、翠子さんはきょとんとした表情を浮かべた。
ええ、ええ。分かるわ。
ちょっと小走りになって、草履がつまずいただけなのよね。
でも、わたしも同じように彼女の心配をするかもしれないわ。さすがに腕を掴んだりはしないけど。
「今日もお会いできて嬉しいわ、文子さん」
先生に腕を掴まれたまま、翠子さんが柔らかく微笑む。
ああ、もう。そういうところよ。
まるで先生に連行されているような格好なのに、どうしてそんなに優雅におっとりしていられるの?
わたしはつられて微笑むし、琥太郎さんはにやにやと楽しそうに笑ってるし。でも高瀬先生だけは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「翠子さん、髪が乱れている」
「大丈夫ですよ」
「絡まったらどうするんだ」
結局、高瀬先生は翠子さんの腕から手を離して、今度は彼女の髪の乱れを直した。
どこまで過保護なの?
正直呆れてしまって、わたしはぽかんと口を開いたの。
女学校では見せることのない、先生の甲斐甲斐しい姿よね。
うーん。惚れた方が負けっていうのは分かる気がするわ。
「翠子さん、どうしてここに?」
もちろん、わたしも翠子さんと会えて嬉しいわ。でもその前に、ホテルに来ている理由がとても気になるのだけど。
翠子さんは袖で口許を押さえると、わたしの耳元で「宿題の日誌が残っていたんです」と囁いた。
少し照れて頬を赤く染めながら。
なぁんだ。同じだったのね。
◇◇◇
いやー、面白いもん見せてもろたわ。
こらえようとしても、笑いがこみ上げてきて、私は口をへの字に結ぶのがやっとやった。
「琥太兄、何を笑ってるんだ?」
「笑てへんで。笑うわけあらへんやんか」
翠子さんの髪の乱れ(というほど乱れてなかったけど)を、手で直した欧之丞が私の元へやってくる。
お前は翠子さんの父親か? と問い詰めたくなるけど。それをすると怒ってしまうから、言わんとこ。
「で? 琥太兄は深山さんとこれからお出かけか?」
「ん? ちゃうでー。多分、欧之丞と同じ用や」
欧之丞は眉をひそめたが、すぐに私の耳元に口を持ってきた。
「琥太兄は、そこまで深山さんに干渉しなくていいんじゃないか?」
「なんでや。大人として年上として、大事やろ」
「いや、俺は翠子さんの担任で後見人だから。校長の手前、ちゃんと提出物や課題はさせておかないと」
ぶつぶつと口ごもってるけど。要するに翠子さんに構いたいだけやろ。
ちなみに私は文子さんに構いたいだけやないで。ちゃんと真面目にせんとあかんからな。
その辺が、欧之丞とはちがうねん。
琥太郎兄ちゃんは賢いからな。
翠子さんは縞銘仙の袖を揺らしながら、わたしに向かって小走りに駆けてきた。
「ああ、もう。転んだらどうするんだ」という高瀬先生の声に耳を傾けることもなく。
こうして見ていると、本当に先生は翠子さんばかり気にかけているのね。
ほんの少し、翠子さんがつまずいた。もちろん、転んだりはしないんだけれど。
彼女は平気そうに次の一歩を踏み出して。なのに高瀬先生は、翠子さんに駆け寄ったのよ。
「あの、なにか?」
「なにかじゃなくて。だから走るなと」
「走ってませんよ?」
高瀬先生に腕を掴まれながら、翠子さんはきょとんとした表情を浮かべた。
ええ、ええ。分かるわ。
ちょっと小走りになって、草履がつまずいただけなのよね。
でも、わたしも同じように彼女の心配をするかもしれないわ。さすがに腕を掴んだりはしないけど。
「今日もお会いできて嬉しいわ、文子さん」
先生に腕を掴まれたまま、翠子さんが柔らかく微笑む。
ああ、もう。そういうところよ。
まるで先生に連行されているような格好なのに、どうしてそんなに優雅におっとりしていられるの?
わたしはつられて微笑むし、琥太郎さんはにやにやと楽しそうに笑ってるし。でも高瀬先生だけは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「翠子さん、髪が乱れている」
「大丈夫ですよ」
「絡まったらどうするんだ」
結局、高瀬先生は翠子さんの腕から手を離して、今度は彼女の髪の乱れを直した。
どこまで過保護なの?
正直呆れてしまって、わたしはぽかんと口を開いたの。
女学校では見せることのない、先生の甲斐甲斐しい姿よね。
うーん。惚れた方が負けっていうのは分かる気がするわ。
「翠子さん、どうしてここに?」
もちろん、わたしも翠子さんと会えて嬉しいわ。でもその前に、ホテルに来ている理由がとても気になるのだけど。
翠子さんは袖で口許を押さえると、わたしの耳元で「宿題の日誌が残っていたんです」と囁いた。
少し照れて頬を赤く染めながら。
なぁんだ。同じだったのね。
◇◇◇
いやー、面白いもん見せてもろたわ。
こらえようとしても、笑いがこみ上げてきて、私は口をへの字に結ぶのがやっとやった。
「琥太兄、何を笑ってるんだ?」
「笑てへんで。笑うわけあらへんやんか」
翠子さんの髪の乱れ(というほど乱れてなかったけど)を、手で直した欧之丞が私の元へやってくる。
お前は翠子さんの父親か? と問い詰めたくなるけど。それをすると怒ってしまうから、言わんとこ。
「で? 琥太兄は深山さんとこれからお出かけか?」
「ん? ちゃうでー。多分、欧之丞と同じ用や」
欧之丞は眉をひそめたが、すぐに私の耳元に口を持ってきた。
「琥太兄は、そこまで深山さんに干渉しなくていいんじゃないか?」
「なんでや。大人として年上として、大事やろ」
「いや、俺は翠子さんの担任で後見人だから。校長の手前、ちゃんと提出物や課題はさせておかないと」
ぶつぶつと口ごもってるけど。要するに翠子さんに構いたいだけやろ。
ちなみに私は文子さんに構いたいだけやないで。ちゃんと真面目にせんとあかんからな。
その辺が、欧之丞とはちがうねん。
琥太郎兄ちゃんは賢いからな。
0
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる