【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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四章

35、別荘への帰り道【2】

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 まぁ、どうなさったのかしら。
 旦那さまが突然、わたくしに背を向けてしまわれました。

 つんつん、つんつん。
 指で背中をつついても、振り返ってくださいません。
 さらに、つんつん。

「翠子さん。くすぐったいのだが」
「だって、こちらを向いてくださらないんですもの」

「分かったから。しばらく待ちなさい」

 そう仰ると、旦那さまは空を仰いで深呼吸なさったの。まるで怒りを鎮めるかのように。
 でもいつも一緒にいるから、わたくしは勘違いはしないの。こういう時の旦那さまは、照れていらっしゃるのよ。

 何か、恥ずかしくなるようなことを言ってしまったかしら。
 旦那さまの視線の先では、赤とんぼがふわふわと漂っています。

「ねぇ、旦那さま?」
「だから、少し待ってくれと……」
「腕を組んでもよろしくて?」
「え?」

 お返事をいただけない内に、わたくしは旦那さまの肘の辺りにするりと腕を滑り込ませました。

「ね。こうして帰りましょ」
「翠子さん……」

 ふふっ。耳が赤くなってらっしゃるわ。
 旦那さまは、わたくしと腕を組んだままでそっぽを向いていらっしゃいます。

 変ですね。いつもは積極的ですのに。
 そんな風に恥じらわれると、翠子はつい調子に乗ってしまいそう。

「せっかくですから、少しお散歩してから戻りましょう」
「それは構わないが。宿題を落としたり失くしたりするんじゃないぞ」

 お小言が始まって、普段通りの旦那さまに逆戻りです。
 わたくしが組んでいた腕も、旦那さまは外してしまわれました。
 でもね、今度は手を握っていらしたの。
 それも指と指を絡めて。

 並木道の端を歩いていると、木洩れ日がちらちらと地面で揺らいでいます。それはまるで水晶の欠片を散りばめたかのよう。

 辺りをきょろきょろと見まわして、わたくしは立ち止まりました。

「翠子さん?」

 お返事はせずに、背伸びをして瞼を閉じます。
 あら、おかしいわ。車も通っていないですし、誰もいないのですから、キスしてくださると思ったのに。

 しばらく待たされたわたくしは、そーっと薄目を開けました。
 その時です。
 ひたいに軽くキスをされたの。

 ふわっと風が触れる程度のキスです。

「……あなたにちゃんとしたキスをすると、歯止めが効かなくなるから。これで我慢しなさい」
「歯止めですか?」
「接吻だけで終わらないということだよ」

 旦那さまは苦笑なさっています。そして、大きな手がわたくしの頭を撫でました。

「土産物屋が出ているな。何か買って帰るか」
「え、ええ」

 旦那さまの視線の先を追うと、簡素な小屋が建てられていました。
中に一人だけ入れる程度の小ささです。
 露天に屋根がついているという感じでしょうか。

 近づいてみると、梨やイチジクが並べられていました。それに木の香りのする箱もあります。
 お店の人の説明によると、白樺の木皮でこしらえてあるのだそうです。とても愛らしくて、わたくしはじーっと眺めておりました。

「梨ですって。もう秋なんですね」
「確か今日は処暑じゃなかったかな?」
「しょしょ……」
「二十四節気の一つで、暑さが収まる頃のことだよ」

 そうなんですねぇ。長らく涼しい高原で過ごしていたので、暑いという実感がありませんでした。

「とても贅沢な日々でした。別荘に連れてきてくださって、ありがとうございます」
「あー、梨を買って行こうかな」

 あら。お返事がありません。旦那さまは、高い空を仰いで頬を指で掻いてらっしゃいます。
 また照れていらっしゃるのね。
 
 お清さんと銀司さんのお土産に梨を買って、わたくし達は大好きな別荘へと戻りました。
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