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四章

36、梨【1】

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 別荘に帰ったわたくしは、梨を剥くことにしました。
 ええ。普段でしたら、果物はお清さんが剥いてくださるんですけれど。
 せっかくのお土産ですもの。お清さんや銀司さんの手を煩わせるわけにはまいりません。

「大丈夫ですか、翠子さん」
「心配ですね、ぼくがやりましょうか」
「にゃーん」(多分「あたし、できるー」でしょうか)

 二人と一匹に取り囲まれ、お台所のテーブルで果物ナイフを持ったわたくしは緊張します。
 できるんですよ、それくらいは。
 なのに、誰にも信じていただけないの。

 けれど……不思議なことに旦那さまだけは、テーブルの椅子に座って新聞を読んでいらっしゃいます。

 あら。もしかしてわたくし、信頼されています?
 不思議ですね。一番に心配なさいそうなのに。
 ふふ、ようやくわたくしが器用で一人前であると認めてくださったのね。

 心の中では鼻息も荒く、わたくしは梨にナイフの刃を当てました。
 切れにくい刃だと怪我をしやすいから、と。わざわざ銀司さんが研いでくださったの。
 お清さんは「普段は銀司さんは、研いだりしないのにねぇ」と、肩をすくめます。

 しょりしょりと剥かれていく、澄んだ黄緑色の皮。

「にゃあ、にゃあ」と「わたしがするの」とでも言いたげに、エリスが前脚を伸ばしてきます。

 あらあら、だめよ。小さい子には危ないわ。
 
 全部の皮をつなげて剥きたかったのですけれど。途中で切れてしまって。その途端、お清さんと銀司さんが「ほーっ」と揃って息をつきました。

 旦那さまはどうかしら? と思って振り返ると、何故か指先でテーブルをトントンと落ち着かない様子で叩いてらっしゃいます。

「あー、翠子さん。そろそろお清に任せてはどうだ?」
「大丈夫ですよ」
「いや、しかし……」
「平気ですから、新聞をご覧になって待っていらして」

「うむ」と頷いた旦那さまは新聞を手にしたのですけれど。上下が逆さまですよ?

 調子が出てきたわたくしは、続きを剥きました。
 ふふ、普段は洗い物や食器を拭くお手伝いが多いですけれど。わたくしだって、これくらは。ねぇ。
 
 ただ、林檎と違って梨は少し結晶が刃に引っかかる気がするんです。

 くるくると螺旋のように伸びていく皮。
 それをエリスがおもちゃにしたくて、跳びついてきます。

「おい、エリス。こっちに来るんだ」

 旦那さまの言葉をエリスは無視して、尻尾を振りつつ背を伸ばしています。
 ほとんど最後の方まで剥き終えた時、エリスがわたくしの腕に跳びかかったんです。

「きゃっ」

 梨の皮は床に落ち、ナイフの刃がわたくしの指の腹に当たりました。
 ほんの少しの痛み。傷らしい傷はありませんが、びっくりしました。

「大丈夫ですか、翠子さま」
「ですから、このお清に任せて下されば」
「にゃーん」(「この皮、もらっていい?」だと思います)

 わたくしの左右が大騒ぎする中、背後でガタンと何かが倒れる音がしました。
 振り返ってみると、旦那さまが椅子から立ち上がっていらっしゃいました。そして椅子は床に倒れています。

 旦那さまは食器棚の抽斗を開き、次に戸棚の戸を開いて中を確認していらっしゃいます。
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