176 / 194
五章
2、食べていいの? ※文子視点
しおりを挟む
お鍋が、ふつふつと煮えている。
「そろそろ頃合いですね」と、再びやってきた仲居さんが、土鍋の蓋を取った。
ふわっと辺りに広がる湯気。とてもいい匂い。
丁寧な手つきで、仲居さんがえのきやしめじ、それに薄く切ったお肉を取り分けてくれる。
どう見ても鶏肉とは少し違うのよね。豚でも牛でもないし。猪……は、もっと脂の部分が多いわ。
「文子さん。これ、なんの肉か分かる?」
「いえ。お品書きがないので」
「え? ございませんでしたか?」と仲居さんは慌てるけれど。琥太郎さんが脱いだ背広の内ポケットから、折りたたんだ和紙をふいっと取りだした。
「ちゃんとあるで。大丈夫、あなたの責任やないから」
お品書きをひらひらさせる琥太郎さんに、仲居さんは目を丸くしている。
わたしは……うん、驚きはしたけれど。この人なら、やりかねないかな。
「隠していたんですね」
「ま、その方が驚きがあってええやろ」
ひらひらと和紙を動かしながら、琥太郎さんは仲居さんに「料理長には内緒やで」と微笑んだ。
あぁ、駄目よ。そんな風に愛想を振りまいて。
ほら、仲居さんもぽうっとしちゃってるわ。
この人は、自分が見目麗しくってもてるという自覚があるから、性質が悪いのよ。
琥太郎さんは、わたしがお箸を口に運ぶのを待っている。
いい匂いはするし。ちゃんとしたホテルに入っている、名のある料亭だから、変わったものを出すとは思えないわ。
うーん。確か蛙のお肉は白いわよね。あれは西洋料理に使うものだし。
「鹿……ですか?」
「北の方では鹿も食べるらしいけど。奈良とか行ったら、鹿を食べようって気にはならへんよなぁ」
確かに神鹿は、神さまのお使いですものね。可愛いし。
鹿せんべいをあげたことがあるけれど、ちゃんとお辞儀をするのよね。
翠子さんは、鹿に囲まれすぎておろおろしていて。鹿の群れから出てくることができなかったから、わたしが助けてあげたんだったわ。
涙目で「文子さーん、助けてください」と訴えてくる翠子さんは可愛かったのだけど。でもね、手に持った鹿せんべいをまず手放した方がいいんじゃないかしら。とは思ったわ。
「で、答えは何なんですか? 琥太郎さん」
「困った子ぉやなぁ。食べる前に答えを訊くとか。欧之丞の教育が悪いんかな?」
「否定はできませんねぇ」
「おやおや」と琥太郎さんは苦笑した。そして「教え子に裏切られるようじゃ、あいつもまだまだやな」って嬉しそうに言ったのよ。
「まぁ、私だけが答えを知ってるんも公平やないな。それ、雉やで」
「は?」
「せやから、雉や」
「桃太郎のお伴の?」
「うん」
「食べていいんですか?」と、わたしは思わず身を乗り出した。
琥太郎さんによれば、西欧でいうところの「ジビエ」というものになるらしい。
ちなみに熊も猪もジビエなんですって。熊……おいしいの?
「日本では食べへんけど。雷鳥を食べる国もあるらしいなぁ」
「え、うそっ」
「ほんまやで」
冬には真っ白な羽毛で包まれる雷鳥が、とても貴重な鳥であることはわたしでも知っている。
「そろそろ頃合いですね」と、再びやってきた仲居さんが、土鍋の蓋を取った。
ふわっと辺りに広がる湯気。とてもいい匂い。
丁寧な手つきで、仲居さんがえのきやしめじ、それに薄く切ったお肉を取り分けてくれる。
どう見ても鶏肉とは少し違うのよね。豚でも牛でもないし。猪……は、もっと脂の部分が多いわ。
「文子さん。これ、なんの肉か分かる?」
「いえ。お品書きがないので」
「え? ございませんでしたか?」と仲居さんは慌てるけれど。琥太郎さんが脱いだ背広の内ポケットから、折りたたんだ和紙をふいっと取りだした。
「ちゃんとあるで。大丈夫、あなたの責任やないから」
お品書きをひらひらさせる琥太郎さんに、仲居さんは目を丸くしている。
わたしは……うん、驚きはしたけれど。この人なら、やりかねないかな。
「隠していたんですね」
「ま、その方が驚きがあってええやろ」
ひらひらと和紙を動かしながら、琥太郎さんは仲居さんに「料理長には内緒やで」と微笑んだ。
あぁ、駄目よ。そんな風に愛想を振りまいて。
ほら、仲居さんもぽうっとしちゃってるわ。
この人は、自分が見目麗しくってもてるという自覚があるから、性質が悪いのよ。
琥太郎さんは、わたしがお箸を口に運ぶのを待っている。
いい匂いはするし。ちゃんとしたホテルに入っている、名のある料亭だから、変わったものを出すとは思えないわ。
うーん。確か蛙のお肉は白いわよね。あれは西洋料理に使うものだし。
「鹿……ですか?」
「北の方では鹿も食べるらしいけど。奈良とか行ったら、鹿を食べようって気にはならへんよなぁ」
確かに神鹿は、神さまのお使いですものね。可愛いし。
鹿せんべいをあげたことがあるけれど、ちゃんとお辞儀をするのよね。
翠子さんは、鹿に囲まれすぎておろおろしていて。鹿の群れから出てくることができなかったから、わたしが助けてあげたんだったわ。
涙目で「文子さーん、助けてください」と訴えてくる翠子さんは可愛かったのだけど。でもね、手に持った鹿せんべいをまず手放した方がいいんじゃないかしら。とは思ったわ。
「で、答えは何なんですか? 琥太郎さん」
「困った子ぉやなぁ。食べる前に答えを訊くとか。欧之丞の教育が悪いんかな?」
「否定はできませんねぇ」
「おやおや」と琥太郎さんは苦笑した。そして「教え子に裏切られるようじゃ、あいつもまだまだやな」って嬉しそうに言ったのよ。
「まぁ、私だけが答えを知ってるんも公平やないな。それ、雉やで」
「は?」
「せやから、雉や」
「桃太郎のお伴の?」
「うん」
「食べていいんですか?」と、わたしは思わず身を乗り出した。
琥太郎さんによれば、西欧でいうところの「ジビエ」というものになるらしい。
ちなみに熊も猪もジビエなんですって。熊……おいしいの?
「日本では食べへんけど。雷鳥を食べる国もあるらしいなぁ」
「え、うそっ」
「ほんまやで」
冬には真っ白な羽毛で包まれる雷鳥が、とても貴重な鳥であることはわたしでも知っている。
0
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
愛し愛され愛を知る。【完】
夏目萌
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。
住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。
悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。
特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。
そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。
これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。
※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる