【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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五章

10、閉まりません

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 朝起きた時から、しとしとと小糠雨が降っています。
 今日はお家に帰る日なので、朝食をいただいた後から、それぞれ皆お片付けです。

――あたしはここに住みたいですねぇ。
――これからどんどん寒くなるぞ。それに馴染みの八百屋や魚屋の主が、お清が戻って来なければ寂しがるんじゃないか?
――それもそうですね。人気者は困りますよ。

 しょうがの効いた牛肉のしぐれ煮と、温かなお茄子とお揚げさんのお味噌汁をいただきながら、わたくしは頷きました。
 しぐれ煮は濃い目の味付けで、白いご飯にとてもよく合いますし。最近は、朝靄の立つ時間は冷え込むので。湯気の立つお汁がとても美味しいんです。
 それでも町の方はまだ残暑なのだと、新聞の気象予報を見ていらした旦那さまは教えてくださいました。

 南北に移動しているわけでもないのに、不思議ですね。

 食後。エリスは湿気が嫌なのか、ベッドの上でくるりと丸まって起きる様子がないです。
 いつもはぴんとしている尻尾も、今日は体に沿わせて力がない様子。耳だって垂れているんです。猫ってほんとうに雨が嫌いですよね。

「翠子さん。支度は済んだかい」
「はい」

 寝室の扉をノックして、旦那さまが入っていらっしゃいました。
 元々荷物の少ない旦那さまは、来た時よりも荷物が減っています。
 どうやら、ウィスケは飲み終わって瓶は捨てて帰るそうなんです。

 わたくしは、というと。どんなに頑張っても、トランクが閉じられないんです。
 お着物でしょう? お洋服に下着、それから身の回りの品。
 持ってきた物を、持って帰るだけなんですよ?

 わたくしはトランクにお洋服やお着物を詰めて、その上に座りました。長時間の移動なので、今日はお着物ではなくワンピースにカーディガンなんです。
 こちらでお買い物をたくさんしたわけでもないのに、不思議です。荷物って膨張するのかしら。

「もしかして閉まらないとか?」
「まさかぁ。そんなことはありませんよ」
「なんで荷物が増えているんだ?」

 トランクの上に座ったわたくしをひょいと持ち上げる旦那さま。あのー、猫みたいに扱うのはやめていただけませんか?

 せっかくしまった荷物を、旦那さまは一つ一つ確認なさいます。

「翠子さん。この巾着は? 妙にずしりと重いが」
「あ、それは湖畔の砂なんです。ほら、透明で綺麗でしょう? 硝子の器に入れて、飾ろうかと思って」
「……一割だけ残して、捨てて来なさい」
「え?」

 わたくしの問いかけに、旦那さまは渋い表情を浮かべていらっしゃいます。
 そんなご無体な。
 硝子の浅い花器に砂を入れ、そこに水を張ればあの湖を持って帰ることができるかもと思ったのに。

「薬瓶ひとつくらいの量ならいいが。これだと丼一杯分はあるぞ」
「夏の思い出なんです」
「うっ」
「この別荘で過ごした日々が楽しかったので。ほんの欠片でも持って帰りたいと考えて……あんなに美しい湖を見たのは、翠子は初めてでしたし。ボートだって漕いだんですよ。すごくないですか? 旦那さまが見せてくださった天の川を映した湖は、今も瞼を閉じると見えるかのようです」
「ううっ」

 旦那さまは言葉を詰まらせました。
 そしてご自分のトランクを開いて、開いた部分に砂を入れた巾着をしまってくださったの。

 まぁ、よかった。捨ててこなくてもいいんですね。
 ぱぁっと明るい気持ちになると、旦那さまが眩しそうに目を細めていらっしゃいます。

 不思議ですね。外はしとしとと雨が降っていて、薄暗いんですよ。

「翠子さんは卑怯だと思う」
「……済みません。何かしたでしょうか」
「自覚のないところが卑怯だ」
「はぁ」

 ようやく閉じられるようになったトランクを閉めて、わたくしは床に正座しました。
 これはお説教が始まるのでしょうか。
 すうすうというエリスの寝息。そして夏の終わりとはいえ、しんと冷えた湿気の多いお部屋。
 少し神妙にした方がいいかしら?

 きちんと正座したわたくしに、旦那さまは近くにあったひざ掛けを渡してくださいます。

「木の床は冷えるからな。座布団の代わりにしなさい」
「まぁ。お優しいんですね」
「……褒めてもらうために貸したのではない」

 もうっ。ぶすっとしたお顔をなさっても、照れていらっしゃるのは分かるんですよ。だってわたくしから視線を逸らしているんですものね。
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