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五章

1、三王国の湖

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 バシャン!
 派手な水音と水しぶきが上がる。湖畔にいた狐が、慌てて草むらに逃げていった。

(い、息ができません)

 水中で、アフタルのスカートがまるで花びらのように揺らいでいる。
 ドレスに絡みつく水が重くて、思うように動けない。
 苦しくて口を開くと、そこから空気の泡が逃げていく。

(シャールーズ!)

 背に矢が刺さったままのシャールーズが、沈んでいく。
 水に溶けるように流れているのは、赤い血だ。

 シャールーズの血だと、すぐに察した。
 そういえば水面に叩き付けられる痛みはなかった。きっとシャールーズが、衝撃から守ってくれたのだろう。

 アフタルは手を伸ばした。
 シャールーズの意識はある。弱々しいが、かろうじて手を動かそうとする。

(ダメです。このままでは溺れてしまいます)

 指先がわずかにシャールーズの服の裾に触れるが、掴むことが出来ない。

(シャールーズ! 待ってください)

 息が苦しい。
 アフタルは意識が朦朧とした。

 刹那、大きな影が目の前をよぎった。
 湖に棲む大魚かと思った。だが確認することもできずに、アフタルは意識を失った。


「姫さま、アフタルさま」

 軽く頬を叩かれる。
 瞼を開くと、目の前に心配そうな蒼い瞳があった。
 アフタルの顔を覗きこんでいたラウルが、ほっと息をついた。

「ここは?」
「三王国の湖です。蒼穹の聖道から逸れてしまい、私達は湖に落ちてしまったようです」

 たしかにラウルもびしょ濡れだ。服は細い体にはりつき、銀の髪からは水が滴っている。

「ご無事でよかったです」
「シャールーズは?」

 アフタルは、勢いよく上体を起こした。
 確か水中で彼を見た。

「ねぇ、シャールーズはどこなんですか」

 ラウルは答えてくれない。

「わたくしを助けてくれたのは、あなたですよね。ならば、湖の中で彼を見たはずです」

 アフタルは両手でラウルの腕を掴んだ。
 だがラウルは瞼を伏せるばかりだ。その睫毛が、小刻みに震えている。

「私がお守りするのは、第一にティルダード殿下。次がアフタルさまです」
「でもシャールーズは矢を受けていたんです。傷を負っているんです」
「ええ。それでも彼は、アフタルさまのお怪我を最小限にとどめようと奮闘しました。着水の際はアフタルさまをかばい、姫さまのお体を岸に向かうようにと私の方へ押したのです」

「い、今からわたくしが湖に潜ります」

 立ち上がろうとしたアフタルは、よろけて地面にへたりこんだ。

「およしください。彼が姫さまを助けようとした意味を無になさるのですか」
「でも、シャールーズが」

 木の幹にしがみついて、なんとか立ち上がる。
 けれど濡れたドレスが重いせいで、まともに歩けない。
 吹く風に、アフタルは身を震わせた。体が芯から冷えている。
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