魔の女王

香穂

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第十八話

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 ゼンは城でもっとも大きな建物である正殿の屋根に登ると、赤瓦の上にあぐらをかいて座った。

 ここからは城内がよく見渡せる。いつもは城仕えの者たちが絶え間なく行き来している正門前の前庭も、さすがに今日は人影が少なく、皆一様に沈痛な面持ちで足早に通り過ぎてゆく。

 ここだけではない。城中すべてが重い空気に包まれていた。

 多くの者たちが王の快癒を願い、今この瞬間も神に祈りを捧げているのだ。

 隣にタキが腰を下ろす。彼もまた何を見るでもなしに人々の動きを視線で追う。そんなタキの肩の上で、マヤーが大きく伸びをした。

「よもや王の崩御に立ち会うことになろうとは。驚きですね」

「一昨日、会った時は元気そうに見えたんだけど」

 病を得ていたことは間違いないが、こんなに早く身罷るとは予想外だ。娘が神を招いたことをあんなに喜んでいたのに。

「そういえば今夜は三日目の夜だったんだなー。ここでは新郎新婦は三日間同じ部屋で寝起きして、ようやく夫婦って認められるんだってさ」

「つまりはアガリエと契りを結んだ、と? どうでしたか?」

 ゼンは顔を真っ赤にして即座に否定する。

「なんてこと言うんだよ! どうもしてないし!」

「静かに。斎場では儀式の最中ですよ」

 挙句たしなめられる。ゼンは不満をうまく消化できず、渋面で頬を膨らませた。

「それで、どうでしたか?」

「まだ聞くか。何もしてないよ。俺を伴侶にしたいっていうのは、アガリエの本当の願いじゃないから」

「なるほど興味深い」

 どの部分が彼の興味を惹いたのか、面倒なので追及するのはやめて、話の矛先を変えた。

「それにしても不思議な話だよな。死んだことを隠しておくなんて。みんなにはまだ王様は危篤だってことになってるんだろ」

「王位継承に関わる混乱を避けるため、ということのようですが。そう心配せずとも数日中には公になるでしょう。王は人前で倒れたようですし、そう長くは隠し通せないはずです」

「そうなれば葬儀と、……即位式が行われることになるよな」

「何か問題でも?」

「王位継承権第一位は第二王子なんだけど、第一王子のオルもなんだか怪しい動きしててさ。ああ、噂をすれば。あれがオルだよ」

 正門に向かって座っていたゼンとタキは、くるりと背後を顧みた。

 奥御殿の庭に、くだんの王子の姿はあった。

 王の遺体は奥御殿にある寝所に安置されている。まだ臨終ではないという触れ込みのため、斎場へ移すことができずにいるのだ。オルの屋敷は奥御殿のはずれにあるため、王に会うために王族の誰より時間がかかる。

 とはいえ遅すぎやしないだろうか。

 アガリエが王の訃報を聞いたのは今朝早くのことだ。太陽はすでに頭上にある。いくら王位継承権を放棄しているとはいえ、彼は第一王子だ。現状を確かめるために、もっと早く王のもとを訪れても良さそうなものだが。

 眼にも鮮やかな紫の衣をまとったオルは、石畳の庭を悠然と横切ってゆく。

 背後に従えているのは隊士だ。十、二十人ほどはいそうだ。アガリエや第二王子が移動する時よりも数が多いのは、彼がいわくつきの王子ゆえか。それとも。

 ふとオルの足が止まった。

 向こうからアガリエらを従えた第二王子がやってくる。

 二人は内庭の真ん中で向かい合った。

 何事か話しているようだがこの距離では聞き取れない。ゼンはそよぐ風に意識を集中させ、マナを操り、彼らの声を耳元まで届けさせる。

 届いたのは低く響くオルの声。





「――アガリエは、いや、新たなる月神女カーヤカーナはそなたを選びはしないよ。思い違いも甚だしい」

「戯言を」

「さて、戯言かどうかはすぐにわかることだ。そなたに王としての才があれば、皆も不満など抱かず、私のことは捨て置かれただろうに。実に愉快なことだ。母の身分が低いゆえに虐げられていた私が、そなたを蹴落とす日がこようとは。己の不出来さを常夜の国ニルヤネリヤで呪うがよい、哀れな弟よ」

「オル、貴様……」

 刃が煌めく。

 白昼の下、それは一瞬の出来事だった。

 第二王子の体が崩れ落ちる。その腹部から引き抜かれた刃は、それまで押しとどめていた血を伴っていた。飛び散る鮮血がオルの衣を赤へと染め変えてゆく。

 頬に散る血をぬぐいもせず、オルは刀身についた露を薙ぎ払った。石畳に弧を描いたのは、鮮血の赤だった。

「父王のご尊顔は拝見してきたか? 真名による呪詛を受けた者の顔は、さぞや見ものであったことだろうな」

「ま、さかっ、貴様が王を……?」

 膝をついた第二王子の体を、オルは躊躇いなく踏みつける。

 陽光にさらされた刀傷に再び振り下ろされた刀は、石畳に突き刺さり、甲高い音をあげながら二つに折れた。

「皮肉なものだな。身分が低いというだけで皆から蔑まれた女は、誰よりも王の寵愛を受けていた。王自らが真名を打ち明けてしまわれるほどに、な。そしてその真名を息子に遺すほどには、彼女にもまた野心はあったのだよ。それは復讐心と同義のものであったかもしれんがな」

 何を告げたかったのか。

 第二王子はオルを睨みつけたが、その口はもう何も語ることはなかった。





 ――オルが、第二王子を殺めた?

 己の目が信じられない。屋根の上から身を乗り出しそうになるゼンを、タキの手が止めた。

 でも、と言い募ろうとするも、彼は先んじて首を横に振った。手を出してはならない、と。

「神と見なされているきみがここで出ていけばどうなるか、よく考えてください」

「そんなこと言ってる場合かよ!」

「では質問を変えます。目の前で起きるすべての悲劇に手を貸すつもりですか? きみはここへ善意を施すために来たと?」

「違うけど、でも!」

「マナ使いは次代の王を見定めるためにいるわけではありません。彼女の願いでないのなら、手出しは無用ですよ。……それともこうなることこそが、彼女の願いだったのでしょうか」





 そうこうするうちに第二王子付きの者たちから怒号と悲鳴が沸き起こった。それは波紋のように広がり、奥御殿、正殿の中までも騒々しくなる。

 そんな彼らをオルは冷徹な視線で一瞥した。

「騒ぐな。王の御前ぞ。のう、月神女?」

 王の代替わりにより月神女の座も譲り渡される。

 そして次代の月神女は東の神女アガリエを務めていた彼女に他ならない。

 一連の出来事を無言のまま見つめていた彼女は、静かに石畳の上に膝を折った。

 その所作が示すのは最上級の拝礼だ。

「御意に。新たなる太陽王ティダヌカンの御代に栄光あれ」

 オルは厳かに頷いた。

「我が月神女よ。こちらの後始末は我らに任せて、そなたは神女たちの混乱を納めておいで。さておまえ達、早急に第二王子の手の者を一掃してこい」

 どこに隠れていたのか。いつの間にかオルが従える隊士の数が増えている。

 すでに交戦が始まっているらしい。城のそこかしこから刃を交える音が聞こえてきていた。

 悲鳴と、血の匂い。それらが青空の下に充満する。





 ゼンは動けなかった。

 なにか、できることがあったかもしれないのに。

「王が崩御し、世継ぎの君が暗殺されるとは、ただでさえ荒れているこの国には大きな痛手でしょうね」

「……荒れて、いる?」

 どういうことか。

 すると今度はタキがいぶかしげにゼンを見た。

「うろ覚えながら、王都までの道中、廃れた町や村をいくつも見かけたような気がするのですが。聞けば近年、飢饉によって民の多くが命を落としているのだとか」

 どこかで聞いたような話だ。

 そうだ。イリが似たようなことを言っていたではないか。

 国庫を解放して民に備蓄を分け与えた彼女を、アガリエはとがめていた。

 ゼンも、イリの行いは早計だったかもしれないと、思ったことがある。

 けれど今は、イリよりもアガリエのほうが非情だったのではないかと感じている。他に手はないかと、悠長に思案している場合ではない。今はまさに国庫を解放しなければならないような非常時なのだ。

 目に見える範囲、手の届く場所で見聞きしたことだけで物事を判断していた。

 大局が見えていない自分に、一体何ができたというのか。





 愚かなのは、――俺だ。


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