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そっと心に咲く熱
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ノルステッド家に迎えられて、まだ日も浅い。
けれど朝目覚めたとき、扉の向こうに広がる温かな空気に、自然と笑みがこぼれる日が増えていた。
理由は、簡単だった。
庭の鳥がさえずりはじめる頃、エレナは侍女に促されてサロンへ向かっていた。
ノルステッド家の客間の一角に、いつものように彼がいた。
「おはよう、エレナ。今日も元気そうだな」
朝の光を受けながら、ヴィクトルは穏やかに微笑んで立ち上がる。
王子としての威厳を保ちつつも、エレナの前ではどこか柔らかな雰囲気を見せていた。
「おはようございます、ヴィクトル様。……お忙しいのでは?」
「少しの時間でも顔を見られれば、それでいいから」
「本当に、毎日いらしてくださるんですね」
「君が馴染めるようにって、夫人に頼まれたんだ。……あと、俺の個人的な希望でもある」
茶目っ気を混ぜた声に、胸の奥がふわりとあたたかくなる。
公務の合間を縫って、ほんの少しでも顔を見せに来るその律儀さが、嬉しくて仕方がない。
「今朝は図書室で過ごそうか。西側の窓辺は、光がよく入って読書向きだそうだ」
「ええ。ぜひご一緒に」
そんなやりとりをしているときだった。応接室の扉が、控えめに叩かれる。
「ロイラン様がご到着されました」
侍女の声に、エレナは一瞬きょとんとした。
けれど次の瞬間には、あの快活な笑顔が思い浮かんでいた。
「ロイラン様?」
エレナが首を傾げると、ヴィクトルはふっと笑った。
「騎士団の視察で国外に出ていたが、昨夜遅くにノルステッド邸に戻ったそうだ」
「まあ……」
「そろそろ顔を出す頃だろうと思ってはいたが……早いな。君に義兄として挨拶しなおすらしい」
言い終わるより早く、扉が開いた。
「久しぶりだね、エレナ嬢。おっと、いや、これからは可愛い義妹なんだから、エレナ……いや、エレって呼ぼうかな」
「やめろ」
そんな二人のやりとりに、思わず頬がほころぶ。
「お帰りなさいませ、ロイラン様。ご無事でなによりです」
「帰ってきたら公爵家の話題で持ちきりだったよ」
ロイランはあくまで気さくに、まるで昔から知っていたかのようにエレナを歓迎した。
その物腰は心地よくて、どこか救われるものがあった。
「さすがヴィクトルの見る目は確かだな。君が妹になるなら歓迎するよ。なあ、ヴィクトル?」
「……ああ」
ヴィクトルの返事はやや低い。
ふとそちらを見やると、紅茶のカップに目を落としたまま、ロイランをちらりと睨んでいる。
「ヴィクトル様?」
「何でもない。君が歓迎されて嬉しい。……ただ、ロイラン、あまり馴れ馴れしくするなよ」
ロイランは吹き出した。
「やれやれ。これでは先が思いやられるな。エレナ嬢もそう思うだろ?」
「それはどういう意味ですか?」
「嫉妬深い男は嫌だなって話さ」
そう笑ってウィンクしてくるロイランに、ヴィクトルは完全にむっとしていた。
「……彼女に何かあったら、俺が黙っていないからな」
「はいはい、怖い怖い」
エレナは、そんな二人の顔を交互に見ながら、そっと胸に手を当てた。
笑っているけれど、ヴィクトルの声の色には、ちゃんと本気が混じっている。
嫉妬?
ロイランの言葉が頭に響き、ほんの少し、心が弾んだ。
「……ロイラン様。ご挨拶が遅れましたが、これから、よろしくお願いします」
そう口にすると、ヴィクトルの眉が一瞬だけ、ふっとゆるむ。
けれどその後すぐ、彼はすました顔で言った。
「エレナ。こいつじゃなくて、俺の方を先に頼るように、な」
ロイランがまた笑う。
その声が広がる応接室の空気が、妙にあたたかくて、心地よくてエレナも声を上げて笑ってしまった。
晩餐を終えたあと、バルコニーでロイランはワイン片手に静かな夜風に身を任せていた。空には薄く雲がかかり、星の光がところどころに滲んでいる。
「ロイラン」
背後から聞き慣れた声がした。振り向かなくても、ヴィクトルの気配だとわかる。
「……なんだよ、まだ根に持ってるのかい?」
「別に。お前の軽口には慣れている」
ヴィクトルはロイランの隣に立ち、同じように夜空を見上げた。
けれど、その目は静かに鋭い。
「ただひとつ、勘違いしないでほしい」
「なんだ?」
「エレナは俺にとっては、唯一の存在だ。……だから、気安く触れようとするなよ」
ロイランは、ワイングラスを軽く回しながら笑った。
「怖いね。まさか君が、こんなふうに牽制してくるとは思わなかったよ」
「……ああ」
迷いも照れもなかった。その静かな一言に、ロイランの顔から茶化しの色が消える。
「……了解。俺も無粋なことはしないよ。むしろ、妹になるなら本気で守る。君の手が届かないときでもね」
「……頼んだ」
二人の間に、しばしの沈黙が落ちた。
それは気まずさではなく、どこか懐かしい絆のようなものだった。
一方その頃。エレナはひとりになった部屋で、そっと胸元に手を当てていた。
ヴィクトルの言葉が、ふと耳に蘇る。
その声が、優しくて、でも少しだけ意地っ張りな響きを持っていて。
「嫉妬だなんて……何を考えているのかしら、もう」
呟いて、頬に触れた指先がほんのりと熱かった。
紅茶よりも、日差しよりも、あたたかく残っている。彼の視線も、手の感触も、すぐそこにある気がして。
カーテンの隙間から差し込む月の光が、室内を静かに照らしていた。
その優しい光に包まれながら、エレナはひとつ小さく息をついて、そっと目を閉じた。
彼の隣に立てるように……それだけを願いながら。
けれど朝目覚めたとき、扉の向こうに広がる温かな空気に、自然と笑みがこぼれる日が増えていた。
理由は、簡単だった。
庭の鳥がさえずりはじめる頃、エレナは侍女に促されてサロンへ向かっていた。
ノルステッド家の客間の一角に、いつものように彼がいた。
「おはよう、エレナ。今日も元気そうだな」
朝の光を受けながら、ヴィクトルは穏やかに微笑んで立ち上がる。
王子としての威厳を保ちつつも、エレナの前ではどこか柔らかな雰囲気を見せていた。
「おはようございます、ヴィクトル様。……お忙しいのでは?」
「少しの時間でも顔を見られれば、それでいいから」
「本当に、毎日いらしてくださるんですね」
「君が馴染めるようにって、夫人に頼まれたんだ。……あと、俺の個人的な希望でもある」
茶目っ気を混ぜた声に、胸の奥がふわりとあたたかくなる。
公務の合間を縫って、ほんの少しでも顔を見せに来るその律儀さが、嬉しくて仕方がない。
「今朝は図書室で過ごそうか。西側の窓辺は、光がよく入って読書向きだそうだ」
「ええ。ぜひご一緒に」
そんなやりとりをしているときだった。応接室の扉が、控えめに叩かれる。
「ロイラン様がご到着されました」
侍女の声に、エレナは一瞬きょとんとした。
けれど次の瞬間には、あの快活な笑顔が思い浮かんでいた。
「ロイラン様?」
エレナが首を傾げると、ヴィクトルはふっと笑った。
「騎士団の視察で国外に出ていたが、昨夜遅くにノルステッド邸に戻ったそうだ」
「まあ……」
「そろそろ顔を出す頃だろうと思ってはいたが……早いな。君に義兄として挨拶しなおすらしい」
言い終わるより早く、扉が開いた。
「久しぶりだね、エレナ嬢。おっと、いや、これからは可愛い義妹なんだから、エレナ……いや、エレって呼ぼうかな」
「やめろ」
そんな二人のやりとりに、思わず頬がほころぶ。
「お帰りなさいませ、ロイラン様。ご無事でなによりです」
「帰ってきたら公爵家の話題で持ちきりだったよ」
ロイランはあくまで気さくに、まるで昔から知っていたかのようにエレナを歓迎した。
その物腰は心地よくて、どこか救われるものがあった。
「さすがヴィクトルの見る目は確かだな。君が妹になるなら歓迎するよ。なあ、ヴィクトル?」
「……ああ」
ヴィクトルの返事はやや低い。
ふとそちらを見やると、紅茶のカップに目を落としたまま、ロイランをちらりと睨んでいる。
「ヴィクトル様?」
「何でもない。君が歓迎されて嬉しい。……ただ、ロイラン、あまり馴れ馴れしくするなよ」
ロイランは吹き出した。
「やれやれ。これでは先が思いやられるな。エレナ嬢もそう思うだろ?」
「それはどういう意味ですか?」
「嫉妬深い男は嫌だなって話さ」
そう笑ってウィンクしてくるロイランに、ヴィクトルは完全にむっとしていた。
「……彼女に何かあったら、俺が黙っていないからな」
「はいはい、怖い怖い」
エレナは、そんな二人の顔を交互に見ながら、そっと胸に手を当てた。
笑っているけれど、ヴィクトルの声の色には、ちゃんと本気が混じっている。
嫉妬?
ロイランの言葉が頭に響き、ほんの少し、心が弾んだ。
「……ロイラン様。ご挨拶が遅れましたが、これから、よろしくお願いします」
そう口にすると、ヴィクトルの眉が一瞬だけ、ふっとゆるむ。
けれどその後すぐ、彼はすました顔で言った。
「エレナ。こいつじゃなくて、俺の方を先に頼るように、な」
ロイランがまた笑う。
その声が広がる応接室の空気が、妙にあたたかくて、心地よくてエレナも声を上げて笑ってしまった。
晩餐を終えたあと、バルコニーでロイランはワイン片手に静かな夜風に身を任せていた。空には薄く雲がかかり、星の光がところどころに滲んでいる。
「ロイラン」
背後から聞き慣れた声がした。振り向かなくても、ヴィクトルの気配だとわかる。
「……なんだよ、まだ根に持ってるのかい?」
「別に。お前の軽口には慣れている」
ヴィクトルはロイランの隣に立ち、同じように夜空を見上げた。
けれど、その目は静かに鋭い。
「ただひとつ、勘違いしないでほしい」
「なんだ?」
「エレナは俺にとっては、唯一の存在だ。……だから、気安く触れようとするなよ」
ロイランは、ワイングラスを軽く回しながら笑った。
「怖いね。まさか君が、こんなふうに牽制してくるとは思わなかったよ」
「……ああ」
迷いも照れもなかった。その静かな一言に、ロイランの顔から茶化しの色が消える。
「……了解。俺も無粋なことはしないよ。むしろ、妹になるなら本気で守る。君の手が届かないときでもね」
「……頼んだ」
二人の間に、しばしの沈黙が落ちた。
それは気まずさではなく、どこか懐かしい絆のようなものだった。
一方その頃。エレナはひとりになった部屋で、そっと胸元に手を当てていた。
ヴィクトルの言葉が、ふと耳に蘇る。
その声が、優しくて、でも少しだけ意地っ張りな響きを持っていて。
「嫉妬だなんて……何を考えているのかしら、もう」
呟いて、頬に触れた指先がほんのりと熱かった。
紅茶よりも、日差しよりも、あたたかく残っている。彼の視線も、手の感触も、すぐそこにある気がして。
カーテンの隙間から差し込む月の光が、室内を静かに照らしていた。
その優しい光に包まれながら、エレナはひとつ小さく息をついて、そっと目を閉じた。
彼の隣に立てるように……それだけを願いながら。
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