その結末、書き換えます。 ~黄昏迷宮図書館の「物語」修復記録~

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第6話 探偵は、珈琲を飲まない

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 ゴリ、ゴリ。

 ハンドミルを回す音が、静寂を刻んでいる。
 黄昏迷宮図書館トワイライト・ラビリンス。深夜の帳は変わらない。

「——おい、メガネ」

 グリムがソファから身を乗り出した。
 ヘッドホンを首にかけたまま、不満げに唇を尖らせている。

「肉。肉食わせろ」

「却下です」

 朔は振り返りもせず、ミルを回し続けた。
 銀縁のメガネ。糊の効いたベスト。——ただし、目の下の隈はまだ消えていない。

「はあ!? 俺、骨折したんだぞ! 慰謝料だ!」

「役の傷は残らない、と自分で言っていましたね」

「そういう問題じゃねぇだろ! 精神的苦痛ってやつだよ!」

 グリムは大袈裟に両腕を広げた。
 だが朔は涼しい顔で、電卓を叩いている。

「今月の電気代が払えません」

「……は?」

「照明、空調、湯沸かし。支出が収入を上回っています」

 朔はため息をついた。
 頬はまだ少しこけている。雑炊だけでは足りなかったらしい。

「そもそも、この図書館は利用無料です。慈善事業ですよ」

「じゃあ誰が金出してんだよ」

「私の貯金です」

「貧乏神かよ!」

 グリムは天を仰いだ。
 無限に続く書架が、暗闇の中で沈黙している。
 古書とコーヒーの香りだけが、変わらずに漂っていた。

          

 来館者は、前触れもなく現れた。

 カラン、と扉が鳴る。
 朔が顔を上げると、エントランスに一人の青年が立っていた。

 くたびれたシャツ。擦り切れた袖口。
 黒縁のメガネは、朔のそれとは違う——量販店で買ったような、安っぽい代物。
 年齢は二十代前半。大学生だろう。
 焦燥と苛立ちを隠そうともせず、落ち着きなく視線を彷徨わせている。

 ——爪が、深く噛まれていた。

「……ここ、古本屋?」

 横柄な声。挨拶もない。
 青年は店内を見回し、値踏みするような目を向けた。

「いいえ。図書館です」

 朔はカウンターから歩み出た。
 営業用の微笑みを浮かべ、穏やかに——しかし、どこか冷たく。

黄昏迷宮図書館トワイライト・ラビリンスへようこそ。ご用件をお伺いしましょう」

「絶版になったミステリー探してんだけど」

 青年は腕を組んだ。
 その指先が、無意識に二の腕を掻いている。

「なんつったっけな……昭和初期の探偵小説。『歯車男クロックワーク・マンの憂鬱』」

 朔の眉が、微かに動いた。

「……珍しい本をお探しですね。お名前を伺ってもよろしいですか」

「葛原。葛原 櫂くずはら かい

 ぶっきらぼうに名乗る。
 それから、苛立たしげに髪を掻き上げた。

「レポートに使うんだよ。教授がマニアックな課題出しやがって」

 そう言いながら、葛原の視線が一瞬だけ逸れた。
 棚の背表紙を見るふりをして、朔の目を避けている。

「ほう。文学部ですか」

「悪いかよ」

 葛原は挑発的に顎を上げた。
 どこか刺々しい。攻撃が最大の防御だと言わんばかりに。

「あんた、本なんか読んで何になんの?」

 突然、葛原が言った。
 朔の動きが、一瞬止まる。

「傑作書かなきゃゴミだろ。読むだけで何も生み出さねぇやつなんて——」

 そこで、葛原の声が詰まった。
 まるで、自分自身に言い聞かせているような——そんな響き。

「——意味、ねぇんだよ」

 静寂が、落ちた。

 ソファでは、グリムが眉を上げていた。
 こいつ、自分に言ってんのか・・・・・・・・・・・・——そう思ったが、口には出さない。

「……ゴミ、ですか」

 朔の声は穏やかだった。
 だが、その目が一瞬だけ——葛原の噛み千切られた爪を見た。

「ずいぶんと、厳しい基準をお持ちのようだ」

 それ以上は、何も言わなかった。
 ただ静かに微笑んで、カウンターを離れる。

 ——同じ傷を知る者・・・・・・・・の沈黙だった。

「本を探しにいらしたのですよね。ご案内しますよ、お客様」

          

「どうぞ、こちらへ」

 朔はランタンを手に、書架の奥へと歩き出した。
 葛原は黙ってついてくる。
 グリムも、なんとなく後ろから続いていた。

「……変な図書館だな」

 葛原が呟いた。
 無理もない。歩けば歩くほど、空間は非現実的になっていく。
 書架は無限に続き、天井は闇に溶けている。
 ランタンの灯りだけが、辛うじて足元を照らしていた。

「プロジェクションマッピングかよ」

「お好きに解釈してください」

 朔は淡々と応じた。
 革靴の踵が、石畳を叩く。規則正しく、迷いなく。
 迷路のような通路を、地図など見ずに進んでいく。

「——ところで、葛原様」

「様はいらねぇ」

「では、葛原さん」

 朔は振り返らずに続けた。

「なぜ、その本を?」

「は? 言っただろ、レポートだって」

「そうでしたね」

 朔の声は柔らかい。
 だが、その奥に何かを探るような鋭さがあった。

「『歯車男の憂鬱』。昭和七年に発表された幻の探偵小説」

「……知ってるよ」

「作者は二十三歳で夭折し、単行本化されることなく消えた」

 葛原の足が、一瞬止まった。

「——二十三歳」

 その声には、妙な力が籠もっていた。

「……で、なんだよ。歩けよ」

 朔は何も言わず、再び歩き出した。
 だがグリムは見ていた。葛原の拳が、白くなるほど握りしめられていたことを。

「俺が知りたいのは、結末エンディングだ」

 葛原が、押し出すように言った。

「あの探偵が——最後に、どうなったのか」

 その言葉に、朔は静かにランタンを掲げた。
 一つの書架の前で、足を止める。

「……こちらです」

 古びた木製の棚。
 埃っぽい匂いと、かすかな黴の気配。
 そこに、一冊の本が収められていた。
 革張りの表紙。褪せた金箔の文字。——『歯車男の憂鬱』。

「あった……」

 葛原の目が光った。
 手を伸ばし、本を引き抜く。

 その瞬間——

「……なんだ、これ」

 葛原の声が、凍りついた。

 本の背表紙から、黒い液体が滴っている。
 インクのような。血のような。
 禍々しい染みが、指先を汚していく。

 朔がランタンを近づけた。
 光の中で、本の惨状が明らかになる。

「——これは」

 ページが、破られていた。
 食い荒らされたのではない。引きちぎられている・・・・・・・・・
 物語の途中で、無残に断ち切られていた。

「おいおい……」

 グリムが眉をひそめた。

「紙魚に食われたんじゃねぇぞ、これ。誰かに破られてる・・・・・・

 朔は無言で本を受け取った。
 破損したページを検めながら、表情を消していく。

 その時だった。

 パサリ、と。

 本の間から、何かが落ちた。

          

 真っ黒な栞だった。

 和紙のような質感。墨で塗り潰されたような漆黒。
 そこに、手書きで一文だけ記されている。

 朔がそれを拾い上げた。
 ランタンの灯りに翳す。

 『駄作には、あるべき結末を』

 朔の手が、震えた。
 一瞬だけ。だが確かに。

「……メガネ?」

 グリムが怪訝そうに覗き込む。
 朔の顔色が、蒼白を通り越して土気色になっている。

「おい。なんだよその顔。知ってんのか・・・・・・、これ」

「…………」

 朔は答えない。
 ただ、その栞を見つめている。
 見覚えがある・・・・・・——どころではない。忘れられるはずがない・・・・・・・・・・という顔だった。

「おい、なんだよそれ!」

 葛原が食ってかかった。
 朔の腕を掴み、栞を覗き込もうとする。

「俺が読みたかった本に、何しやがった!」

「——お客様」

 朔の声は、静かだった。
 だが、その目は氷のように冷たい。

「これは事故ではありません」

 朔は葛原の手を払い、栞をポケットにしまった。
 それから、ゆっくりと書架の奥を見据える。

「事件です」

「事件? なんの話だよ」

「……やはり、近くにいますね」

 朔はランタンを掲げた。
 無限に続く書架。その闇が、どこまでも広がっている。

編集者エディター気取りの——」

 一拍、間があいた。
 朔の唇が、苦いものを噛み締めるように歪んだ。

「——放火魔が」

 グリムの目が、鋭くなった。

「おい。さっきから黙って聞いてりゃ、なんだその言い方」

 朔の背中に、問い詰めるように声をぶつける。

「お前、何か隠してんだろ。その栞、見た瞬間の顔——初めてじゃねぇ・・・・・・・だろ」

 朔は振り返らなかった。
 ただ、長い沈黙の後——

「……昔の話です」

 それだけ、呟いた。

「昔? 聞いてねぇぞそんな話」

「ええ。話していませんから」

 朔の声は平坦だった。
 だがその肩が、わずかに強張っている。

「——いずれ、話しますよ」

 振り返らないまま、朔は言った。

「今は、この本を治療なおすことが先です」

 グリムは何か言いかけて、口を閉じた。
 らしくねぇ・・・・・。あのメガネが、あんな顔をするなんて。

 かつて、何かを書けなかった・・・・・・男の背中が、闇に溶けていく。

          

 図書館の奥で、書架が軋んだ。

 誰もいないはずの通路。
 闇の中で、何かがページをめくる音がする。

 パラ、パラ、パラ——。

 そして。

「駄作は、燃やさなければならない」

 誰かが、呟いた。
 低く、柔らかく——まるで寝物語を読むような・・・・・・・・・・・・声。

「——久しぶりだね、
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