その結末、書き換えます。 ~黄昏迷宮図書館の「物語」修復記録~

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第7話 歯車は、二十三で止まる

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 カウンターに広げられた本は、まるで解剖台の死体のようだった。

 革張りの表紙は黒ずみ、背表紙からは今も黒い液体が滲んでいる。
 朔はルーペを手に、破損したページを検めていた。
 その横顔は、外科医のように冷たい。

「……酷い手口だ」

 呟きは、独り言のように低かった。

「どういうことだよ」

 葛原が身を乗り出す。
 だが朔は答えず、ページをめくり続けた。
 ぺらり。ぺらり。——そして、途中で手が止まる。

第四章だいよんしょう、第十三節」

 朔の指が、破れた断面をなぞった。

「探偵が犯人を指差す、その直前。ここから先が引きちぎられています」

「つまり……オチがねぇってことか」

 グリムがソファから声を上げた。
 ヘッドホンを首にかけたまま、珍しく真剣な顔をしている。

「ええ。動機も、トリックも、犯人の名前も——全て闇の中です」

 朔は本を閉じた。
 その動作は、棺の蓋を閉じるかのように静かだった。

「このままでは、物語は永遠にループします」

「ループ?」

「登場人物たちは疑心暗鬼の地獄を彷徨い続ける」

 朔の声には、かすかな苛立ちが滲んでいた。
 ——いや。それは苛立ちではなく、怒り・・だった。

「犯人が分からないまま終わるミステリーほど、醜悪なものはありません」

          

「じゃあ、どうすんだよ」

 葛原が腕を組んだ。
 爪を噛む癖が、また出ている。無意識に、忙しなく。

「お前らは本を『治す』んだろ。結末がねぇなら、どうやって——」

「推理します」

 朔は淡々と答えた。
 まるで当然のことを言うように。

「は?」

「失われた結末を、現場で推理して再構築する。それが今回の処方しょほうです」

 グリムが口笛を吹いた。

「おいおい。マジで言ってんのかよ、メガネ」

「マジですよ」

 朔の唇が、薄く弧を描いた。
 それは微笑みというより、挑戦状に近い何かだった。

「物語の中に入り、登場人物と同じ目線で謎を解く。作者が残した手がかりを集め、本来あるべき結末を導き出す」

「そんなことできんのか?」

「できます。——いえ、やらねばならない」

 朔の目が、一瞬だけ遠くを見た。
 黒い栞のことを思い出しているのかもしれない。
 だが、すぐに表情を消した。司書の顔に戻る。

「物語には、正しい結末がある。それを歪める者がいるなら——」

 ペンを取り出す。朱色の軸が、ランタンの光を弾いた。

「私が、校正するまでです」

          

 沈黙が、落ちた。

 葛原は黙ったまま、破損した本を見つめていた。
 その目には、焦燥とも羨望ともつかない光が揺れている。

「……なあ」

 ぽつりと、声が漏れた。

「この本書いたやつ、二十三で死んだんだよな」

「ええ。夭折ようせつです」

「傑作を残して、二十三で」

 葛原の拳が、膝の上で握りしめられた。

「俺さ——来月で、二十三になるんだ」

 グリムの眉が、ぴくりと動いた。
 朔は何も言わない。ただ、静かに葛原を見ている。

「文芸部入って、小説書いて。コンクール応募して、全部落ちて」

 自嘲するような笑みが、葛原の口元に浮かんだ。

「こいつは二十三で傑作残したのに、俺は何も書けてねぇ」

 言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
 ——それは独白というより、懺悔に近かった。

「傑作書かなきゃゴミなんだよ。才能ねぇやつが生きてたって、意味なんか——」

「葛原さん」

 朔の声が、静かに遮った。
 冷たくはない。だが、甘くもない。

「質問があります」

「……なんだよ」

「あなたは、なぜ『結末』にこだわるのですか」

 葛原の肩が、びくりと震えた。

「レポートのため——というのは、嘘でしょう」

 朔の目が、葛原の瞳を射抜いた。
 観察するような。あらためるような。

「この作者に、何か思い入れでも?」

「…………」

 葛原は、しばらく黙っていた。
 爪を噛む手が止まっている。——覚悟を決めたような、沈黙。

「……どうせ、信じねぇだろうけど」

 吐き捨てるように、呟いた。

「——俺の、ひいじいちゃんなんだよ」

 絞り出すような声だった。

葛原 朋成くずはら ほうせい。探偵小説書いてた、売れない作家。二十三で結核で死んで、この一冊しか残せなかった」

 グリムが息を呑んだ。
 朔は、静かに頷いた。

「なるほど。血縁でしたか」

「ひいじいちゃんは傑作残して死んだ。でも俺は——」

 葛原の声が、震えた。

「同じ歳になっても、何も書けてねぇんだ」

          

 静寂が、図書館を包んでいた。
 古書の匂い。コーヒーの香り。——そして、若者の苦悩。

 朔は、長い沈黙の後、口を開いた。

「……私にも、覚えがあります」

 それだけ、言った。

「は? なんだよそれ、お前も——」

 葛原が食いつこうとした。
 だが、朔の目を見て——言葉を呑んだ。

 その目には、何も映っていなかった。
 空洞からっぽだった。

 朔は、それ以上語らなかった。
 詳細を語る資格が、まだない。——そんな沈黙だった。

 グリムが、じっと朔を見ていた。

「……メガネ」

 低い声だった。
 いつもの軽口ではない。

「後で、ちゃんと話せよ」

 それだけ言って、グリムは視線を外した。
 ——約束したんだ。待ってやる。
 だが、その拳は静かに握られていた。

 朔は、小さく頷いた。

「……ええ」

 それは、約束だった。

「……とにかく」

 話を切り替えるように、朔は破損した本に手を置いた。

「あなたの曾祖父は、二十三年しか生きられなかった。でも、その二十三年で、一つの物語を残した」

「……だから何だよ」

「その結末を、取り戻しましょう」

 朔の声には、静かな決意があった。

「傑作かどうかは、読んでから判断すればいい。まずは——物語を、完成させる」

 葛原の目が、揺れた。
 何か言いたげに口を開き——そして、閉じた。

「……勝手にしろよ」

 視線を逸らしながら、葛原は言った。
 だが、その声には——どこか、すがるような響きがあった。

          

「さて」

 朔がペンを構えた。
 その瞬間、空気が変わった。司書から、指揮官への切り替え。

「グリム。配役を決めます」

「おう。今度は何になりゃいいんだ?」

 グリムが立ち上がった。
 その目には、戦いの前の高揚が宿っている。
 ——だが、ちらりと朔を見る目には、まだ問いかけが残っていた。

「昭和初期の探偵小説です。舞台は帝都——霧と蒸気機関の街」

 朔はペンを走らせた。
 空中に、朱色の文字が浮かび上がる。

「私は『帝都の探偵』として観察者の役を取ります。あなたは——」

 ペンが止まった。
 朔の唇が、微かに歪んだ。

機巧の助手クロックワーク・バディ

「……は?」

自動人形オートマタです」

 グリムの顔が、一瞬で引きつった。

「おい待て。俺、ロボットになんのか?」

「この物語の世界観に合わせた配役です。文句は受け付けません」

「受け付けろよ! 前はスカートで、今度は人形かよ!」

「静粛に」

 朔は涼しい顔で、本の表紙にペンを走らせた。
 朱色のインクが染み込んでいく。

「それでは——潜書ダイブ開始です」

          

 世界が、溶けた。

 足元からインクの海が広がり、視界が黒に染まっていく。
 葛原が悲鳴を上げる暇もなく、三人は闇の中へ落ちていった。

 ——そして。

 目を開けた先には、霧があった。

 濃い霧。視界を遮る、乳白色の壁。
 その向こうから、蒸気機関の音が聞こえる。シュウシュウと、規則正しく。
 ガス灯の明かりが、ぼんやりと滲んでいた。

「——なんで俺まで」

 葛原が、自分の手を見て呻いた。
 服装は変わっていない。だが、ここにいる。

「血縁です」

 朔が答えた。
 彼の姿は、黒いインバネスコートに変わっていた。
 銀縁のメガネだけが、そのまま残っている。

「この本は、あなたの曾祖父が書いた物語。血の繋がりが、あなたを引き込んだ」

「……マジかよ」

 葛原は呆然と周囲を見回した。
 ——明らかに、現代ではなかった。

「昭和初期の帝都です」

 朔が補足した。

「——おい」

 ガチャリ、と。
 金属が軋む音がした。

「なんだよ、これ……」

 グリムの声には、ノイズが混じっていた。
 振り返った葛原が、息を呑む。

 グリムの肌は、陶器のように白くなっていた。
 関節が真鍮の歯車に置き換わり、動くたびにカチカチと音を立てる。
 衣装は真鍮の飾りボタンが光る燕尾服。背中には、大きなネジが付いていた。

「自動人形……」

 葛原が呟いた。

「言いたいことは山ほどあるぜ、メガネ」

 グリムの声は、蓄音機のように少し歪んでいた。
 球体関節の指を動かしながら、不機嫌そうに続ける。

「声が出しにくいんだよ、この体」

「慣れてください」

「慣れるかボケ!」

 金属音混じりの怒声が、霧の中に響いた。
 だが、朔は聞いていなかった。

 彼の目は、街を見ていた。

「……おかしい」

「何がだよ」

「住民を、見てください」

 霧の向こうを、人影が横切った。
 葛原が目を凝らす。——そして、凍りついた。

「顔が、ねぇ……」

 通りを歩く人々は、のっぺらぼう・・・・・・・だった。
 顔のない住民たちが、無言で歩いている。
 あるいは——全員が、同じ顔をしている。

「解決編がないため、世界が確定していないのです」

 朔の声は、冷静だった。だが、その目は鋭い。

「犯人も、被害者も、届かぬ手紙デッド・レターのまま。宛先不明の判決が、永遠に彷徨っている」

 ガス灯が、ちらちらと揺れた。
 霧が濃くなる。視界が、さらに狭まっていく。

 その時だった。

 コツ、コツ、コツ——。

 足音が聞こえた。
 規則正しい。だが、どこか歪んだリズム。

 霧の向こうから、一人の男が現れた。

 顔は、ある。
 だが——体の一部が、歯車になっていた。

 右腕が、真鍮の機械に置き換わっている。
 胸元からは、時計の針が飛び出していた。
 心臓の代わりに、ゼンマイが回っている。

「……あんたが、この本の探偵か」

 グリムが呟いた。

 男は答えなかった。
 虚ろな目で、三人を見ている。
 その目には、くるいの影が揺れていた。

「——犯人は、誰だ」

 男が呟いた。
 掠れた声。壊れかけた蓄音機のような響き。

「私は、ずっと探している。ずっと、ずっと——」

 歯車が軋んだ。
 男の体が、ガクガクと震え始める。

「犯人は、誰だ。犯人は、誰だ。犯人は——」

 同じ言葉が、繰り返される。
 レコードが壊れたように。永遠のループに囚われたように。

 朔の目が、細くなった。

「……主人公自身が、壊れかけている」

 霧が、さらに濃くなった。
 視界が白に染まり、探偵の姿が霞んでいく。

 だが、その声だけは——はっきりと聞こえた。

「教えてくれ。犯人ほんとうは——誰なんだ」
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