その結末、書き換えます。 ~黄昏迷宮図書館の「物語」修復記録~

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第8話 錆びた歯車に、油を差す

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 蒸気が、噴き出した。

 歯車男の右腕——黄銅の機械が、唸りを上げる。
 ピストンが前後し、関節が軋み、そして。

「——犯人おまえか」

 振り下ろされた鋼の拳が、石畳を砕いた。

「っぶねぇ!」

 グリムが横に跳ぶ。
 だが、自動人形オートマタの体は重い。
 着地の衝撃で、膝の歯車がカチカチと悲鳴を上げた。

「ザザッ——ちっ、動きが鈍ぃんだよ……!」

 ノイズ混じりの声が漏れる。
 歯車男は聞いていない。壊れた蓄音機のように、同じ言葉を繰り返していた。

「犯人は、誰だ。犯人は——お前か。お前だ。お前が」

「待て、待てって! 俺は助手役ただのバディ——」

 言い終わる前に、二撃目が来た。
 横薙ぎの一閃。蒸気を吐く機械腕が、グリムの胴を狙う。

 避けられない。
 ——なら。

「……ザッ、仕方、ねぇな」

 グリムは、受け止めた・・・・・

 金属と金属がぶつかる轟音。
 火花が散り、陶器の肌にヒビが走る。
 だが、自動人形オートマタの体は——折れなかった。

「硬ぇンだよ、この体……ザッ!」

 グリムがニヤリと笑った。
 球体関節の指が、歯車男の腕を掴む。

「パワーじゃ、負けッ……ザザッ、ねぇぞ、ポンコツ探偵!」

          

 葛原は、動けなかった。

 目の前で繰り広げられる光景が、現実だと信じられない。
 金属がぶつかり合う音。蒸気の熱気。火花の眩しさ。

「な、なんだよ、これ……」

 震える声が漏れた。
 膝が笑っている。逃げたい。——でも、逃げ場など、どこにもない。

「葛原様」

 背後から、冷たい声が降ってきた。
 振り返る。黒いインバネスコートの男——朔が、そこにいた。

「動かないでください」

「で、でも、あいつ——」

「グリムは大丈夫です」

 朔の目は、戦闘を見ていた。
 分析するような。あらためるような。

「彼は——壊れているだけです」

「は? 壊れてる?」

「あの探偵は、犯人を探しているのではありません」

 朔の声には、かすかな哀れみが滲んでいた。

「『犯人がいない世界』に、耐えられないのです」

          

 歯車男の動きは、正確だった。
 機械のように。——いや、半分以上が機械なのだから、当然か。

 だが、その「正確さ」に、歪みノイズがある。

「犯人は、誰だ」

 殴る。

「犯人は、誰だ」

 また殴る。

「犯人は——犯人は——犯人は——」

 同じパターン。同じリズム。同じ軌道。
 まるで、壊れたオルゴール・・・・・・・・・のように。

 グリムは、それに気づいていた。

「おい、メガネ!」

 腕で攻撃を受け止めながら、叫ぶ。
 陶器の表面に、さらにヒビが広がる。あと何発耐えられるか。

「こいつ、同じ動きしか、しねぇ……ザザッ!」

「ええ。無限循環むげんじゅんかん——終わりのない堂々巡りです」

 朔が、ゆっくりと近づいてきた。
 その手には、朱色のペンが握られている。

「解決編がないせいで、彼の思考回路は詰まっている」

「だから、どうすりゃ——」

「止めます」

 朔の目が、冷徹に細められた。

詰まりバグを、通してあげましょう」

          

 朔は、ペンを構えた。

 歯車男が振り向く。虚ろな目が、新たな「容疑者」を捉えた。

「——お前が、犯人か」

「いいえ」

 朔は、一歩も退かなかった。
 銀縁のメガネが、ガス灯の光を弾く。

「私は司書です。あなたの物語を、正しい形に戻しに来ました」

「正しい……形?」

「そうです」

 ペンが、空中を走った。
 朱色のインクが、霧の中に文字を描いていく。

「あなたは探偵だ。謎を解く者だ」

「……謎を、解く」

「ええ。そして、探偵には『調査する時間』が必要です」

 文字が、完成した。

 『ト書きシーン・ノート——探偵の状態:調査継続中』

 朱色の光が、歯車男を包み込む。

「犯人は、まだ確定していない」

 朔の声は、静かだった。
 ——だが、そこには、司令塔としての絶対的な確信があった。

「あなたは今、『調査中』です。結論を急ぐ必要はない」

「調査……中……」

 歯車男の動きが、止まった。
 振り上げていた拳が、ゆっくりと下ろされる。

「私は……調査中……」

「そうです。まだ、推理は終わっていない」

 朔が、一歩近づいた。

「だから——今は、休んでいい」

          

 歯車が、軋んだ。

 ギィ、ギィ、と。
 歯車男の体から、錆びた音が響く。

 だが、それは——攻撃の音ではなかった。

「……私は」

 掠れた声が、変わっていた。
 壊れた蓄音機ではない。人間の、声。

「私は……何を、していた」

 霧が、薄れていく。
 歯車男の顔が、はっきりと見えるようになった。

 ——その瞬間、葛原は息を呑んだ。

「……嘘、だろ」

 古い写真で見た顔だった。
 色褪せたアルバムの中で、微笑んでいた青年。

 曾祖父——葛原朋成の、面影。

 胸の奥で、何かが弾けた。
 恐怖じゃない。これは——渇き・・だ。

「あんた……」

 葛原の足が、無意識に動いていた。
 知りたい。この人が何を書こうとしていたのか。
 ——俺と同じ歳で、何を見ていたのか。

「あんたが——この本の、探偵なのか」

 探偵は、葛原を見た。
 虚ろだった瞳に、かすかな光が戻っている。

「……君は」

 探偵が、目を細めた。
 懐かしいものを見るような表情で。

「血の匂いがする」

「血……?」

「物語の中では、書いた者と書かれた者は臍の緒へそのおで繋がっている」

 探偵の唇が、微かに動いた。
 ——それは、笑みだった。

「私の創造主の——血の匂いだ」

          

 グリムは、壁にもたれていた。

 自動人形オートマタの体は、ボロボロだった。
 陶器の肌には蜘蛛の巣のようなヒビが走り、左腕の歯車は一つ欠けている。
 痛みはない。だが、体の一部が欠けた・・・という感覚は——気持ちのいいものじゃなかった。

「……ったく」

 グリムの声から、ノイズが消えていた。
 戦闘が終わり、体が落ち着いたのだろう。

「やっと静かになったか」

 だが、その目は——朔を見ていた。

「メガネ」

「なんですか」

「さっきの『調査中』ってやつ」

 真剣な、低い声。

「結末を書き換えたわけじゃ、ねぇよな」

「ええ」

 朔は、ペンをしまいながら答えた。

「私は『物語を書く』ことはできません。ただ、演出を変えるだけ」

「つまり……一時しのぎ、か」

「そうです」

 朔の目が、探偵と葛原のほうを見た。

「根本的な解決には、真犯人の特定が必要です」

          

 探偵は、自分の体を見下ろしていた。

 黄銅の右腕。胸から飛び出した時計の針。心臓の代わりに回るゼンマイ。

「……ひどい姿だ」

 自嘲するように、呟く。

「解決できない謎に、体まで蝕まれている」

「探偵さん」

 葛原が、声をかけた。
 声は、まだ震えている。だが、逃げる気配はなかった。

「俺——あんたの、続きを読みに来たんだ」

「続き?」

「この本の、結末。引きちぎられて、失くなってる」

 探偵の目が、わずかに見開かれた。

「……そうか。だから、私は」

「だから、思い出してくれ」

 葛原が、一歩踏み出した。

「あんた、何を追いかけてたんだ。事件の、手がかりは——」

「待ってください、葛原様」

 朔が、静かに割って入った。

「焦らないでください。彼の記憶は、まだ不安定です」

「でも——」

「順を追って確認しましょう」

 朔は、探偵に向き直った。
 その目は、レファレンス担当の司書——調査のプロの目だった。

「探偵さん。あなたが追いかけていた事件について、教えてください」

          

 探偵は、しばらく黙っていた。

 歯車がカチカチと鳴る。記憶を探っているのだろうか。
 やがて、掠れた声が——今度は、明瞭に響いた。

「……密室殺人だ」

「密室」

「ある屋敷で起きた。被害者は、屋敷の主人」

 探偵の目が、遠くを見た。
 霧の向こう——物語の記憶を辿るように。

「凶器は見つかった。だが、証拠品が一つ、消えていた」

「証拠品?」

「犯人を特定できる、決定的な何かだ」

 探偵が、コートのポケットに手を入れた。
 そして——何かを取り出す。

「私が現場で拾った、唯一の手がかり」

 それは、紙片だった。
 だが——真っ黒に塗りつぶされている。

「……なんだ、これ」

 葛原が眉をひそめた。
 紙片には、何も書かれていない。いや、書かれていたものが、消されている・・・・・・

「物語の内部から、証拠が消されている」

 朔の声が、低くなった。
 その目には、冷たい怒りが浮かんでいる。

「やはり——そういうことですか」

          

「メガネ。どういうことだ」

 グリムが、壁から体を起こした。
 ヒビだらけの体を引きずりながら、朔のそばに来る。

「お前、何か分かったのか」

「ええ」

 朔は、黒く塗りつぶされた紙片を見つめていた。

「この事件の犯人は——物語の中の『登場人物』ではありません」

「は?」

「結末を引きちぎり、証拠を消した者。それは——」

 朔の唇が、薄く歪んだ。
 ——笑みではない。怒りを押し殺した、刃のような表情。

「——この世界に侵入・・した、何者かです」

 霧が、ざわめいた。
 どこかで、歯車が軋む音がする。

「私たちが探すべきは、物語の犯人ではない」

 朔は、宣言した。

「この世界を壊そうとしている——『編集者エディター』です」

 その言葉が、霧に吸い込まれた。
 ——いや。
 聞かれた・・・・

 ガス灯が、一斉に消えた。

「……ようやく、気づいてくれたね」

 声が、どこからともなく響いた。
 低く、柔らかく。寝物語を読むような声。

 全員が、凍りついた。

 霧の中から、黒い影が浮かび上がる。
 顔は見えない。だが、その手には——黒い栞・・・・が握られていた。

「久しぶりだね——朔」

 影が、笑った。

「駄作の墓守を、ずっと探していたんだ」
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