その結末、書き換えます。 ~黄昏迷宮図書館の「物語」修復記録~

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第16話 灰は降り積もり、創造主を呪う

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 コーヒーの表面に、何かが浮いている。

 朔はカップを傾けた。
 黒い液体の上に、灰色の薄片。
 指先で摘み上げる。
 擦ってみる。

「……原稿用紙の、燃えカス」

 声が震えていることに、自分で気づいた。

「おいメガネ、なんか臭くね?」

 グリムがソファから顔を上げた。
 鼻をひくつかせている。

「焦げ臭ぇ。紙が燃えるような……」

 朔は、ゆっくりと天井を見上げた。

 灰が、降っていた。

 雪のように。
 静かに。
 絶え間なく。

 本棚の上に積もり始めている。
 カウンターの書類に降り注いでいる。
 朔の肩にも、髪にも。

「なんだよ、これ」

 グリムが立ち上がった。
 灰を手で払いながら、辺りを見回す。

「掃除したばっかだぞ。暖炉なんかねぇのに、どっから来てんだ」

 朔は答えなかった。
 カップをカウンターに置く。
 手に、力が入らない。

          *

 蔵書目録を開いた。

 昨夜、編集者の筆跡で書き加えられたページ。
 そのタイトルが、赤黒く発光している。

灰燼勇者かいじんゆうしゃ創滅譚そうめつたん

 朔の喉が、引きつった。

「お前が書いたやつか」

 グリムが横から覗き込んできた。

「燃やしたって言ってた、あれ」

「……ええ」

 朔は目録を閉じた。
 その手が、震えている。

「どんな話なんだよ」

 沈黙が落ちた。
 灰が、二人の間に降り積もっていく。

「グリム」

「あ?」

「聞いて、後悔しませんか」

 グリムの眉が跳ね上がった。

「はあ? 何それ」

「私が書いた物語は」

 朔は、眼鏡を外した。
 レンズに積もった灰を、指で払う。

「美しい童話でも、知的なミステリーでもありません」

「だから、何なんだよ」

「復讐劇です」

 グリムの表情が固まった。

「世界を呪う主人公が、全ての元凶を殺しに行く話」

 朔は、眼鏡をかけ直した。

「そして、その元凶とは」

 灰が、朔の頬を伝い落ちた。
 涙のように。

「創造主。つまり、作者です」

「……お前を殺しに来る話かよ」

「ええ」

 グリムが、天を仰いだ。

「うわ、性格悪っ」

「否定はしません」

          *

 本棚の隙間から、何かが見えた。

 黒い腕。
 焼け焦げた指。
 煤けた鎖が、書架に絡みついている。

「おい、メガネ」

 グリムが後ずさった。

「なんかいる」

 朔は動けなかった。
 足が、床に縫い付けられたように。

 館内放送が、唐突に鳴り響いた。

『待ちくたびれたよ、朔くん』

 編集者の声だった。
 穏やかで、温かくて。
 だからこそ、背筋が凍る。

『君が来ないなら、迎えに行かなきゃね』

「静粛に……!」

 朔が叫んだ。
 その声は、灰に吸い込まれて消えた。

『さあ、続きを始めよう。君が灰にした、あのページの続きを』

 床の灰が、渦を巻き始めた。

          *

 竜巻だった。

 灰色の渦が、図書館の中心に発生している。
 本棚が軋む。
 本が舞い上がる。
 ランプが割れ、琥珀色の光が砕け散った。

「逃げろ、グリム!」

 朔がカウンターにしがみついた。
 足元の床が、渦に引きずられていく。

「逃げてどうすんだよ!」

 グリムが叫び返した。
 パーカーのフードが風に煽られ、髪が乱れる。

「来いっつってんだろ、向こうは! 逃げたって追いかけてくるに決まってる!」

「しかし、準備が」

「準備なんか一生できねぇよ!」

 グリムが、朔の胸ぐらを掴んだ。

 金色の瞳が、まっすぐに朔を射抜く。

「お前、いつまで逃げてんだ」

「私は」

「あのババアは六十年かけて書いたんだろ。お前は何年逃げりゃ気が済むんだ」

 朔の目が、見開かれた。

「行くぞ、メガネ」

 グリムが、朔を抱え込んだ。

「腹くくれ!」

 灰の渦に、二人の身体が飲み込まれた。

          *

 落ちていく。

 闇の中を。
 灰の匂いに包まれて。

 耳元で、何かが囁いている。
 怨嗟の声。呪詛の声。
 聞き覚えのある声。

 自分が書いた、あのキャラクターたちの声。

『なぜ殺した』
『なぜ燃やした』
『終わりを与えてくれなかった』
『始まりすら奪われた』

 朔は、目を閉じた。
 この声を、何度夢に見ただろう。
 何度、耳を塞いだだろう。

『創造主』

 声が、重なった。

『お前を、許さない』

          *

 目を開けると、そこは焦土だった。

 赤黒い空。
 灰色の大地。
 燃え残った柱が、墓標のように立ち並んでいる。

「何だよ、ここ」

 グリムが、朔の腕から離れた。
 辺りを見回す。
 足元の灰が、風に舞い上がった。

「お前の心象風景ってやつか? 陰気くせぇな」

「違います」

 朔は、震える声で答えた。

「これは、私が書いた世界です」

 見覚えのある瓦礫。
 見覚えのある空の色。
 見覚えのある、絶望の匂い。

「滅びの果て。何もかもが灰になった後の、終末の風景」

「なんでこんなの書いたんだよ」

「……当時の私には、これしか書けなかった」

 朔は、自分の手を見下ろした。
 灰まみれの、司書の手。

「世界を憎んでいた。全てを燃やしてしまいたかった」

「お前が?」

「ええ」

 朔は、微かに笑った。

「信じられませんか?」

「信じるも何も」

 グリムが肩をすくめた。
 だが、その目は朔から逸らさない。

「お前、まだ震えてんじゃねーか」

          *

 灰の丘の上に、人影があった。

 ボロボロのマント。
 錆びた大剣。
 顔の半分が、醜く焼けただれている。

 朔の足が、止まった。

「……灰燼かいじん

 男の名を、呼んでしまった。
 書いた時につけた、主人公の名前を。

 男が、こちらを振り向いた。
 残った片目が、朔を捉える。
 憎悪で燃えている。

「見つけたぞ」

 低い声が、焦土に響いた。
 怒りと、悲しみと、歓喜が入り混じった声。

「ずっと待っていた。ずっと探していた」

 男が、大剣を引きずりながら丘を下りてくる。
 一歩ごとに、灰が舞い上がる。

創造主かたき

 朔は、逃げなかった。
 逃げられなかった。

「ようやく会えたな」

 灰燼が、朔の前に立った。
 焼けただれた顔が、間近にある。
 残った片目から、涙が流れていた。

「お前を……殺す」

 憎しみの声。
 けれど、その涙は。
 まるで、助けを求めているようだった。

「お前を殺して、この苦しみを終わらせる」

 グリムが、朔の前に飛び出した。

「待てよ、いきなり殺すとか」

「邪魔をするな」

 灰燼の剣が、横薙ぎに振るわれた。
 グリムが咄嗟に跳び退く。
 土煙が巻き上がった。

「こいつを殺せば終わる。こいつさえ死ねば、俺は」

「終わりませんよ」

 朔が、静かに言った。

 灰燼の動きが、止まった。

「私を殺しても、あなたの物語は終わりません。なぜなら」

 朔は、懐から朱色のペンを取り出した。
 軸にひびが入っている。
 それでも、握りしめた。

「あなたに結末を書いたのは、私ではないからです」

 灰燼の目が、揺れた。

「私は……途中で、投げ出した」

 灰と燃え残り。
 灰燼という名を、自分がつけたことすら忘れていた。
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