その結末、書き換えます。 ~黄昏迷宮図書館の「物語」修復記録~

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第18話 創造主は、ペンを置かない

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 巨人の足が、振り下ろされた。

 大地が砕ける轟音。
 衝撃波が頬を叩く。
 だが、朔は逃げなかった。

 赤いペンを握りしめる。
 軸に走るひびが、指先に食い込んだ。

 書け。

 今、この瞬間を。

ト書きシーン・ノート

 声が震える。
 だが、手は止まらなかった。

「『ここは聖域である』」

 ペン先が宙を走る。
 赤い光が、朔の周囲に円を描いた。

 巨人の足が、見えない壁に阻まれて止まった。

 ギシリ。

 空気が軋む。
 世界が悲鳴を上げている。
 朔の朱入れレッド・ペンと、奴の改稿リライト
 二つの力が、真っ向からぶつかり合っていた。

「くっ」

 朔は歯を食いしばった。
 鼻の奥で、何かが切れる感覚。
 熱い雫が唇を伝い、顎から落ちた。

 血だ。

「奴の改稿リライトが、強すぎる」

 押し潰されそうになる。
 聖域の壁にひびが入り始めている。
 このままでは、三十秒も持たない。

 それでも。

「聞こえますか、灰燼さん」

 朔は顔を上げた。
 巨人の瞳を、真っ直ぐに見つめた。

「私はここにいます」

 返事はない。
 巨人が咆哮を上げ、再び足を振り上げる。

          ◆

 亀裂の向こう側で、グリムは走っていた。

「くそ、くそ、くそっ!」

 足元の地面が崩れる。
 向こう側で、巨大な影が動いている。
 朔の姿は、その影の足元にあった。

 豆粒みたいに、小さく。
 踏み潰されそうなほど、儚く。

 なのに、あの馬鹿は逃げていない。

「死ぬ気かよ、あの眼鏡!」

 亀裂の幅は、十メートル以上ある。
 普通に跳んでも届かない。
 底は見えない。落ちれば終わりだ。

 グリムは足を止めた。
 右手には灰焔の剣。
 左手には灰の盾。

 朔が想像した、二つの武器。

 刃の中央を走る赤い筋が、光っている。
 脈打つように。
 溶岩の流れを模した意匠。

 溶岩。
 熱。
 爆発。

「爆発させれば」

 グリムの目が、獰猛に光った。

「人間ロケットだ」

 正気の沙汰じゃない。
 失敗したら、あの底なしの闇に落ちる。

 だが、グリムは笑った。

「メガネが待ってんだ」

 迷う理由がない。

          ◆

 二度目の踏みつけが来た。

 朔は倒れなかった。
 膝が震える。
 腕が悲鳴を上げる。
 視界が赤く滲む。

 それでも、ペンを握る手だけは止めなかった。

「『聖域は砕けない』」

 追加のト書きシーン・ノート
 だが、もう限界だった。

 ペン軸のひびが、さらに広がる。
 このペンは、自分の魂そのものだ。
 砕ければ、二度と書けなくなる。

 それでも。

「私は、もう投げ出しません」

 朔は、両腕を広げた。
 ペンを胸に抱くように。
 無防備な姿勢で、巨人を見上げた。

「殺したければ、殺せばいい」

 声は震えていなかった。

「でも、あなたの物語だけは守ります」

 その言葉に。

 巨人の動きが、止まった。

          ◆

 殺したいのに、殺せない。

 灰の巨人の内側で、何かが暴れていた。
 理性を失ったはずの怪物が、足を止めている。
 振り下ろすはずの腕が、空中で震えている。
 まるで、内側から誰かが押さえつけているように。

 灰燼。

 あの泣いていた少年が、怪物の檻の中で必死に抗っている。

 その巨大な目から。

 涙が、溢れ出した。

 灰色の涙ではない。
 澄んだ、透明な涙だった。
 滝のように。
 止まらない水のように。

 朔の頬を打つ。
 全身を濡らす。
 温かい。

「これが」

 朔は、涙を受け止めながら呟いた。

「あなたの、熱ですか」

 涙の中に、声が混じっている気がした。
 助けて。
 ここから出して。
 そう、聞こえた。

 巨人が、声にならない声を上げた。
 咆哮ではない。
 悲鳴でもない。
 それは、泣き声だった。

 助けを求める、子供の泣き声。

「聞こえています」

 朔の口元が、かすかに緩んだ。
 笑っているのではない。
 ようやく届いた。その安堵だった。

「あなたは、まだ生きている」

          ◆

 グリムは、剣を地面に突き立てた。

「いくぞ」

 力を込める。
 朔が想像した武器だ。応えろ。
 刃の中央の赤い筋が、脈打ち始める。
 熱い。
 溶岩のように、熱い。

「爆ぜろ」

 刃が光った。
 地面が裂けた。
 爆風が、グリムの体を空へと打ち上げた。

「うおおおおおッ!」

 視界が回転する。
 風が頬を切る。
 亀裂を飛び越える。
 巨人が、目の前に迫ってくる。

 その顔面を、真っ直ぐに。

 いくぞ。
 左手の灰の盾を、前に突き出す。

「喰らえッ!」

 不死鳥の紋章が、銀色に輝いた。

 衝突。

 轟音。

 巨人の顔面に、盾が叩き込まれた。
 シールドバッシュ。
 人間砲弾の一撃。

 巨人が、よろめいた。

「待たせたな」

 グリムは、朔の隣に着地した。
 派手に土煙を上げながら。
 片膝をついて。
 右手の剣は、爆発の熱で赤く灼けていた。
 だが、刃は欠けていない。

「メガネ!」

          ◆

「遅いですよ」

 朔は、鼻血を拭いながら言った。
 歪んだ眼鏡を、そっと直す。

「うるせぇ。お前が勝手に一人で突っ込んだんだろ」

 グリムが、悪態をつきながら立ち上がる。
 だが、その目は笑っていた。

 信じてた。
 お前なら死なないって。

 言葉にはしない。
 する必要がない。
 バディとは、そういうものだ。

「で、どうすんだ」

 グリムは、巨人を見上げた。
 顔面を殴られても、まだ立っている。
 黒い靄が傷口を塞ぎ、再生が始まっている。

「あのでくの坊」

「物理的な破壊は無意味です」

 朔は、赤いペンを構えた。
 ひびだらけの軸。
 だが、まだ書ける。

「彼を元に戻すには、『物語のジャンル』を確定させる必要があります」

「ジャンル?」

 グリムが眉をひそめた。

「この世界は未完だ。ジャンルが決まってねぇから、俺も変身できねぇんだろ?」

「ええ。そして灰燼さんも、役割が定まらないまま暴走している」

 朔は頷いた。
 そして、巨人を見上げた。
 涙を流し続ける、哀れな怪物を。

「復讐劇なら、彼は永遠に復讐者です。でも、ジャンルが変われば」

 ペンを握り直す。

「ここは復讐劇ではない」

 声に、力が宿った。

 どこかで、誰かが笑った気がした。
 空耳だろうか。
 朔は振り払うように、宣言した。

英雄譚ヒーローサーガです」

 グリムの目が、見開かれた。

「英雄譚って、お前」

「灰燼は、世界を滅ぼす復讐者ではありません」

 朔は、一歩前に出た。

「彼は、世界を救う勇者だった。私が、そう書いたのだから」

 だから今度こそ。
 私が、あなたを救う。

 赤い光が、ペン先に集まり始めた。
 世界そのものを、書き換えるために。

「グリム」

「おう」

「援護を」

「任せろ」

 グリムが、剣と盾を構えた。
 その姿が、淡く光り始める。

 ジャンルが、確定しようとしている。
 英雄譚。
 勇者の物語。

 ならば、グリムが演じるべき役は。

 勇者の傍らに立つ者。
 剣を振るい、盾を掲げ、共に戦う者。

配役憑依キャスト・チェンジ

 グリムの体が、変わり始めた。
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