【完結】魔王とは、聖女を愛した騎士の、もう一つの名前だった〜偽りの聖戦と、世界を欺いた二人の逃亡〜

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第一話「無名の墓石」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

編纂者序文

 

 それどころか——彼女は魔王と駆け落ちし、世界のどこかで添い遂げた。

 この一文を読んで、貴方は何を感じただろうか。
 嘲笑ちょうしょうか。
 憤怒ふんぬか。
 それとも、かすかな好奇心か。

 300年間、誰一人として疑わなかった「聖女伝説」。
 その根幹を揺るがす証拠が、今、私の手元にある。

 無名の墓石に刻まれた、一篇の愛の詩。
 聖女の筆跡で。
 魔王への想いをつづった、禁忌きんきの言葉。

 私の名はヴィクトル・ノイマン。
 帝国大学第四史料編纂室——通称「掃きだめ」の主任研究員だ。

 我々の仕事は、正史に載せるには都合の悪い資料を、永遠に地下書庫へ葬り去ること。
 歴史とは勝者が書くものだ。
 敗者の声は消され、都合の悪い真実は塗りつぶされる。

 聖女エルザと魔王ゼギル。

 この二つの名を知らぬ者は、大陸にはいない。
 異界より降臨した聖女が、闇にちた騎士を討ち果たし、世界に恒久こうきゅうの平和をもたらした。
 それが公式の歴史だ。
 教科書にも載っている。
 子供たちは聖女の祝日に白い花を捧げ、魔王の名を恐怖の象徴として学ぶ。

 私もかつては、その一人だった。

 だが「奈落ならくの書庫」と呼ばれる遺跡で発見された資料は、この完璧な歴史に致命的な亀裂を入れた。

 公式記録と私的記録の間にある、説明のつかない矛盾。
 日付の不一致。
 消された名前。
 そして——聖剣の鑑定書。

 あの聖剣は、一度も使われていなかった。

 刃毀はこぼれもなく、血痕もなく、魔力の放出痕すらない。
 聖女が魔王を討った武器が、なぜ「未使用」なのか。

 答えは一つしかない。

 聖女は、魔王を殺していない。

 では彼女は、何をしたのか。
 魔王ゼギルとは、本当は何者だったのか。
 そして——あの「最終決戦」で、二人に何が起きたのか。

 ここから先は、資料に語らせよう。
 私は編纂者に過ぎない。
 真実を判断するのは、この記録を読む貴方だ。

 ただし、一つだけ警告しておく。

 この記録を読み終えたとき、貴方はもう二度と、聖女の祝日に白い花を捧げられなくなるかもしれない。

             聖暦1305年 霜月
             帝国大学歴史学部 第四史料編纂室
             主任研究員 ヴィクトル・ノイマン

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

資料1:教皇庁儀典記録(聖暦998年4月)

【文書番号】第473号
【文書種別】公式儀典記録
【作成者】教皇庁儀典局

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 聖暦998年、春の聖祭の夜。

 大聖堂の祭壇に光の柱が降り立ち、異界より一人の乙女が現れた。

 彼女は銀の髪を持ち、ひとみは夜明けの空のように澄んでいた。
 その身にまとう光は神々しく、居合わせた司祭たちは思わずひざまずいた。

 乙女は告げた。

「私はこの世界を救うために参りました」

 その声は鈴のように清らかで、聞く者すべての心を打った。
 教皇猊下げいかは涙を流し、彼女を「聖女」と宣言された。

 こうして聖女エルザは、我らが世界の守護者となったのである。

 以下、洗礼の儀の詳細を記す——

【以下、儀典の詳細が続くが省略】

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

編纂者注記

 上記は教皇庁の公式記録である。
 格調高い古文体で書かれ、聖女の神聖性を強調している。
 当時の権力者たちが、いかに聖女の存在を利用しようとしたかがうかがえる。

 しかし、この記録にはいくつかの不審な点がある。

 第一に、「聖女が自らの意志で語った」とあるが、異界の言葉と我々の言葉は異なる。翻訳魔法の記述がどこにもない。

 第二に、洗礼が行われた場所は「大聖堂」とあるが、同時期の他の記録では「地下聖堂」とされている。

 そして第三に——

 次の資料を見ていただきたい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

資料2:騎士ゼギルの業務日誌(聖暦998年4月)

【保管場所】奈落の書庫・第7区画
【保存状態】劣化あり、一部判読不能
【備考】血痕らしき汚損あり

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

4月7日

 今日から新しい任務が始まった。
 「地下牢の警備」だと言われた。
 だが牢には囚人などいない。

 いるのは——

 異界から来たという、一人の少女だ。

4月8日

 少女は言葉が通じない。
 こちらの言葉を理解できないらしい。
 終日、壁を見つめている。

 食事も満足に与えられていない。
 俺は規則を破り、自分の配給パンを分けた。

 少女は最初、警戒していた。
 だが最後には、小さく頭を下げた。

4月12日

 上官から叱責しっせきを受けた。
 「余計なことをするな」と。
 「あれは人間ではない。魔力の器だ」と。

 ……意味がわからない。

 少女は確かにここにいる。
 息をしている。
 涙を流す。

 それのどこが「人間ではない」というのだ。

4月15日

 少女が初めて、俺に向かって何かを言った。
 異界の言葉で、意味はわからなかった。

 だが——

 その響きは、「ありがとう」に聞こえた。

 俺は彼女に名前を教えた。
 ゼギル、と。

 彼女は何度も繰り返し、やがて微笑ほほえんだ。

 ゼギル。ゼギル。

 その声を、俺は一生忘れないだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

編纂者注記

 この日誌は、後に「魔王」と呼ばれることになるゼギルの私的記録である。

 公式記録では、聖女は「大聖堂」で「自らの意志」により洗礼を受けたとされる。

 だがこの日誌が示すのは、まったく異なる光景だ。

 言葉も通じぬまま、地下に軟禁なんきんされた少女。
 「魔力の器」と呼ばれ、人間扱いされていない存在。
 そして、規則を破ってまで彼女に手を差し伸べた、一人の騎士。

 この時点で、二人の運命は交差し始めていた。

 ただし注意が必要だ。

 この日誌は「奈落の書庫」で発見されたものであり、教会によって意図的に隠蔽いんぺいされた資料である。
 その信憑性しんぴょうせいについては、さらなる検証が必要だ。

 偽造の可能性も、完全には否定できない。

 だが——

 次に紹介する資料は、物理的証拠である。
 これだけは、誰にも否定できない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

資料3:地下牢の壁に残された走り書き

【発見場所】旧教皇庁地下第3層・独房跡
【発見日】聖暦1302年
【発見者】帝国大学考古学調査隊

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 独房の壁には、爪で引っいたような文字が残されていた。

 文字は異界のものであり、翻訳には3年を要した。

 以下、その全文である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 だれか
 だれかたすけて
 ここはどこ
 なぜわたしはここにいるの
 かえりたい
 かえりたい
 かえりたい

 もうなにもみえない
 ひかりがない
 こえがきこえる
 こわいこえ
 わたしをどうするつもり

 しんじゃいたい

 でも

 かれがくる
 まいにちくる
 パンをくれる
 わらってくれる

 かれのなまえ

 ゼギル

 わたしはもうすこしだけ
 いきていられるかもしれない

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

編纂者注記

 この走り書きを読んだとき、私は手が震えた。

 公式記録の「輝かしい聖女」と、この壁に刻まれた「絶望する少女」。
 同一人物とは、到底思えない。

 だが筆跡鑑定の結果、この走り書きは後に発見される「聖女の嘆願書たんがんしょ草稿」と同じ筆跡であることが判明している。

 つまり、これは確かに聖女エルザが残したものだ。

 彼女は「自らの意志」で召喚されたのではない。
 「神々しい光」など纏っていなかった。
 言葉も通じず、暗い地下に閉じ込められ、死を願うほどに追い詰められていた。

 そして——

 その絶望の中で、彼女が唯一すがったのは。

 後に「魔王」と呼ばれることになる、一人の騎士だった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

第一話 了

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次話予告

 聖暦999年。
 騎士ゼギルは、聖女を連れて脱走を試みる。
 だがその計画は発覚し、彼は「魔王」という汚名おめいを着せられて追放される。

 次話『魔王の誕生』——

 それは闇に魅入みいられた堕落の物語か。
 それとも、愛する者を守ろうとした騎士の絶望か。

 真実は、資料の中に眠っている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

編纂者補記

 なお、本記録の公開については、教会側から強い圧力がかかっていることを付記しておく。

 「聖女信仰の根幹を揺るがす異端の書」として、焚書ふんしょを求める声もある。

 だが私は信じている。

 真実は、隠されるべきではないと。

 たとえそれが——

 300年間、人々が信じてきた「美しい物語」を破壊するものであったとしても。

                         ——ヴィクトル・ノイマン
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