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第50話(最終話) そして伝説のニートへ 〜元社畜が手に入れた、最高の不労所得生活〜
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三日後。
庭では、盛大なバーベキュー大会が開かれていた。
「社長、肉が焼けましたよ」
ミレイが、トングを片手に声をかけてくる。
俺は縁側に寝転がったまま、片手を上げた。
「持ってきてくれ」
「自分で取りに来てください」
ミレイの目が、少し細くなった。
マスクの下で、口元が動いている。
おそらく、笑っている。
「分かった」
俺は、のろのろと起き上がった。
庭先には、七輪が三つ並んでいる。
その横で、ガンさんが岩の体から熱を放っている。
炭いらずの天然熱源だ。
「ぽぽぽ。今日は宴だねえ」
ハチさんが、巨大な皿を運んできた。
皿の上には、山盛りの野菜が乗っている。
裏山で採れた、自家栽培の野菜だ。
「あいよ、肉追加だよ」
タエさんが、冷凍倉庫から肉の塊を持ってきた。
今朝、第1階層で狩ったゴブリンの解体肉だ。
黒田が丁寧に下処理をしてくれた。
「社長。これ、本当に食べられるんですか?」
黒田が、不安そうな顔で肉を見ている。
「問題ない。タエさんが下茹でしたやつだ」
「いや、それより前の問題として」
「慣れろ。うちでは日常だ」
黒田が、複雑な顔をした。
だが、三秒後には肉を口に放り込んでいた。
適応力だけは、元ブラック企業の社員らしい。
◇
昼下がり。
宴は、ゆるやかに続いていた。
ユキが、縁側で氷細工を作っている。
白い指先から、冷気が放たれている。
透明な氷が、花の形に削れていく。
「きれいにできました」
ユキが、小さく微笑んだ。
手のひらの上で、氷の花が陽光を受けて輝いている。
ザシキが、ユキの隣で氷細工を見つめている。
目が、きらきらと輝いていた。
座敷童子のくせに、見た目は完全に子供だ。
「ザシキ。触るなよ。溶けるぞ」
「わかってる。きれいだねえ」
ザシキが、にこにこと笑った。
不思議と、肩の力が抜けていく。
タマは、庭の隅で丸くなっていた。
日向ぼっこの最適な場所を見つけたらしい。
尻尾が二つ、ゆらゆらと揺れている。
「にゃ」
タマが、欠伸をした。
猫又のくせに、やることは普通の猫と変わらない。
三日前、御子柴を転ばせたのも、ただ日向ぼっこの場所を移動しただけだ。
本人に自覚はない。
だが、それでいい。
この古民家には、今、何の脅威もない。
スキマは、土蔵の壁の隙間に潜んでいた。
時折、白い顔がのぞく。
宴を遠くから眺めているようだ。
「スキマ。お前も食え」
俺が声をかけると、スキマの目が揺れた。
「……いいの」
囁くような声だ。
俺はうなずいた。
「従業員は全員参加だ。福利厚生の一環だ」
スキマが、ゆっくりと壁から這い出てきた。
長い黒髪が、地面に垂れている。
その手に、小さな皿が握られていた。
「……焼き鳥」
「好きなだけ食え」
スキマが、かすかに口元を緩めた。
白い顔に浮かぶその表情は、見慣れない者なら背筋が粟立つだろう。
だが、俺はもう慣れた。
◇
夕方。
桐生が、山道を登ってきた。
「よう。終わったか」
桐生が、煙草に火をつけた。
「御子柴は起訴された。詐欺、恐喝、業務妨害。追加で贈賄も出てきた」
「そうか」
「お前の証拠が効いた。契約書の写しと、宮脇の証言」
桐生が、煙を吐き出した。
「これで、お前を狙う奴は減るだろう」
「『上』は?」
俺が聞くと、桐生の目が少し鋭くなった。
「調査中だ。だが、すぐには動けない」
「分かった」
「お前は、しばらく大人しくしてろ」
桐生が、バーベキューの匂いに鼻を動かした。
「腹、減ってるだろ」
俺が言うと、桐生は少し考えてからうなずいた。
「まあ、昼飯がまだだ」
「食っていけ」
「仕方ないな」
桐生が、縁側に腰を下ろした。
ミレイが、皿を持ってきた。
「どうぞ。ゴブリンの焼肉です」
「は?」
「冗談です。豚肉ですよ」
ミレイの目が、笑っていた。
桐生は、怪訝な顔で肉を口に運んだ。
◇
日が暮れた。
宴は終わり、庭には静けさが戻っていた。
俺は、縁側に座っていた。
隣には、ミレイがいる。
夕日が、山の向こうに沈んでいく。
「終わりましたね」
ミレイが、静かに言った。
「ああ」
「御子柴は逮捕された。壊原も撤退した。『上』はまだいるけれど、今は動きがない」
俺は、うなずいた。
「しばらくは、平和だろう」
「そうですね」
ミレイが、マスクを少しずらした。
裂けた口が、夕日に照らされている。
俺は、その口元を見つめた。
「ミレイ」
「はい」
「お前は、ここにいて楽しいか」
ミレイの目が、わずかに見開かれた。
それから、ゆっくりと細められた。
「変なことを聞きますね」
「答えろ」
ミレイが、少し考えた。
長い黒髪が、風に揺れている。
「楽しいです」
ミレイの声は、静かだった。
「私は、ずっとさまよっていました。誰かを驚かせて、逃げられて、またさまよって」
ミレイの目が、遠くを見ている。
「でも、ここに来てから、変わりました」
ミレイが、俺を見た。
「社長は、私を見ても逃げなかった。怖がらなかった。それどころか、私に仕事をくれた」
ミレイの目が、少し潤んでいる。
「初めてです。誰かに必要とされたのは」
俺は、何も言わなかった。
言葉が見つからなかった。
「だから、社長」
ミレイが、真っ直ぐに俺を見た。
その瞳が、夕日を映して揺れている。
「これからも、ずっと一緒ですか?」
俺は、空を見上げた。
夕焼けが、橙色から紫色に変わっていく。
風が、庭の木々を揺らした。
「ああ」
俺は、短く答えた。
「お前がいないと、俺は怠けられない」
ミレイが、目を見開いた。
長いまつ毛が、かすかに震えている。
それから、喉の奥で小さく音を立てた。
笑っているのか、泣いているのか、分からない。
たぶん、両方だ。
「はい」
ミレイの声が、震えていた。
「一生、怠けさせてあげます」
俺は、ミレイの頭に手を置いた。
長い黒髪が、指の間をすり抜けていく。
人間とは違う、ひんやりとした感触だ。
だが、不快ではない。
むしろ、心地いい。
「よろしく頼む」
「はい。任せてください」
ミレイが、目を閉じた。
夕日が、二人を照らしていた。
◇
夜。
古民家の居間には、全員が集まっていた。
炬燵の周りに、怪異たちが座っている。
ハチさんが、みかんの皮を剥いている。
タエさんが、茶を淹れている。
ユキが、炬燵に足を突っ込んでいる。
ザシキが、俺の膝の上に座っている。
タマが、ハチさんの膝の上で丸くなっている。
ガンさんが、部屋の隅で熱を放っている。
床暖房代わりだ。
黒田が、正座で茶を啜っている。
スキマが、壁の隙間から顔を出した。
「……社長」
「何だ」
「……御子柴のオフィス。まだ誰も来ない」
俺は、うなずいた。
「監視を続けろ」
「……分かった」
スキマの顔が、壁に消えていく。
だが、しばらくすると、また顔を出した。
「……でも、今日は」
スキマの目が、炬燵を見ている。
「……こっちにいていい?」
俺は、短く笑った。
「いろ。今日は宴だ」
スキマが、壁からゆっくりと這い出てきた。
そして、部屋の隅に座った。
炬燵には入らないが、輪の中にはいる。
それが、スキマの距離感だ。
ミレイが、台所から鍋を持ってきた。
「今夜は、湯豆腐です」
「ぽぽぽ。いいねえ」
ハチさんの目が、きらりと光った。
「平和だねえ。こういう日が続くといいよ」
タエさんが、湯気の立つ湯呑みを俺に渡した。
「あいよ。今日は、いい一日だったよ」
「ああ」
俺は、茶を啜った。
渋みが、喉を通っていく。
ザシキが、俺の顔を見上げた。
「カイト」
「何だ」
「ずっと、いっしょだよ」
ザシキの目が、きらきらと輝いていた。
不思議と、胸の奥があたたかくなる。
この土地に、幸福が根付いている。
「ああ。ずっと一緒だ」
ザシキが、にこにこと笑った。
俺は、部屋を見回した。
怪異たちが、笑っている。
人間ではない。
都市伝説だ。妖怪だ。化け物だ。
だが、俺にとっては家族だ。
これが、俺の会社だ。
株式会社アマガミ・ラボ。
従業員は怪異。
業務内容はダンジョン経営。
福利厚生は完備。
ブラック企業とは正反対の、ホワイト企業だ。
「社長」
黒田が、声をかけてきた。
「何だ」
「俺、ここに来て良かったです」
黒田の目が、真っ直ぐだった。
「前の会社では、毎日が地獄でした。でも、ここは違う」
黒田が、少し言葉を探すように間を置いた。
「御子柴さんに聞いたんです。『あなたの会社は、どうでした?』って」
俺は、黙って聞いていた。
「あの人、何も答えられなかった。たぶん、答えられることが何もなかったんだと思います」
黒田が、部屋を見回した。
怪異たちが、それぞれの場所で寛いでいる。
「俺は、答えられます。変な会社ですけど、居心地がいいって」
俺は、短く笑った。
「変な会社で悪かったな」
「いえ、褒め言葉です」
黒田も、笑った。
◇
深夜。
全員が寝静まった後、俺は土蔵に向かった。
土蔵の奥。
古い机の引き出し。
そこに、一冊の手帳がある。
祖父の手帳だ。
正確には、雨神家に代々伝わる記録だ。
俺は、手帳を開いた。
黄ばんだページに、何人もの筆跡が並んでいる。
『ダンジョン管理メモ 明治三十二年より』
曽祖父の曽祖父の代から、この土地は守られてきた。
祖父も、その一人だった。
俺は、その後を継いだ。
偶然か、必然か、分からない。
俺は、手帳の最後のページを開いた。
空白のページだ。
俺は、ペンを取った。
そして、書き込んだ。
『令和七年十二月 雨神カイト』
『御子柴を排除。脅威は一時的に除去。「上」の存在を確認。監視継続中』
『従業員:ミレイ、タエさん、ハチさん、スキマ、ザシキ、タマ、ユキ、ガンさん、黒田。全員健在』
『DP残高:1,850。収支安定。不労所得生活、継続中』
俺は、最後に一行を書き加えた。
『怠惰は正義。だが、守るべきものがあるなら、たまには働く』
俺は、手帳を閉じた。
祖父が何を考えていたか、俺には分からない。
だが、この土地を守りたかったことは確かだ。
俺も、同じだ。
この古民家を。
この従業員たちを。
この怠惰な生活を。
俺は、守る。
◇
土蔵を出ると、ミレイが立っていた。
「眠れないんですか」
「少し考え事をしていた」
ミレイが、うなずいた。
「私も、眠れませんでした」
「そうか」
俺たちは、並んで縁側に座った。
夜空には、星が瞬いている。
月が、庭を銀色に照らしていた。
「社長」
「何だ」
「明日の朝食は、何がいいですか」
俺は、少し考えた。
「味噌汁と、焼き魚と、漬物」
「了解しました」
ミレイが、立ち上がった。
「おやすみなさい、社長」
「ああ。おやすみ」
ミレイが、屋内に消えていった。
俺は、しばらく夜空を見上げていた。
御子柴の「上」は、まだいる。
壊原も、いつか戻ってくるかもしれない。
「先生」も、どこかで復讐の機会を窺っているだろう。
だが、今は関係ない。
今夜は、平和だ。
明日も、おそらく平和だ。
明後日も。
俺は、欠伸をした。
怠惰は正義だ。
働きたくない。
寝て過ごしたい。
だが、守るべきものがあるなら、たまには働く。
それが、ダンジョンマスターの仕事だ。
それが、俺の生き方だ。
俺は、立ち上がった。
そして、屋内に戻った。
炬燵の中には、まだ熱が残っていた。
俺は、布団を被って目を閉じた。
明日も、怠惰な一日が始まる。
最高の、不労所得生活が続く。
俺は、笑った。
そして、眠りに落ちた。
◇
翌朝。
味噌汁の匂いで目が覚めた。
「社長、朝ですよ」
ミレイの声が聞こえる。
俺は、のろのろと起き上がった。
窓の外では、朝日が昇っている。
庭では、タマが日向ぼっこをしている。
土蔵の前では、黒田がストレッチをしている。
縁側では、ザシキが鉢植えに水をやっている。
平和だ。
最高の、日常だ。
「社長」
ミレイが、朝食を運んできた。
味噌汁と、焼き魚と、漬物。
完璧な和朝食だ。
「いただきます」
俺は、箸を取った。
これが、俺の人生だ。
ブラック企業を辞めて。
田舎の古民家に帰って。
ダンジョンマスターになって。
怪異を雇って。
不労所得で暮らす。
最高だ。
「社長」
ミレイが、隣に座った。
「今日の予定は?」
「昼寝」
ミレイが、喉の奥で笑った。
「了解しました。ゆっくり休んでください」
俺は、味噌汁を啜った。
ふと、窓の外を見た。
山の向こうに、薄い雲がかかっている。
嵐の前兆か、ただの通り雲か、分からない。
だが、今は関係ない。
怠惰は正義だ。
そして、俺は怠惰を守るために働く。
矛盾しているようだが、これでいい。
これが、俺のやり方だ。
朝日が、古民家を照らしていた。
築百年の古民家で、俺たちは幸せに暮らしていた。
そして、これからも。
《完》
庭では、盛大なバーベキュー大会が開かれていた。
「社長、肉が焼けましたよ」
ミレイが、トングを片手に声をかけてくる。
俺は縁側に寝転がったまま、片手を上げた。
「持ってきてくれ」
「自分で取りに来てください」
ミレイの目が、少し細くなった。
マスクの下で、口元が動いている。
おそらく、笑っている。
「分かった」
俺は、のろのろと起き上がった。
庭先には、七輪が三つ並んでいる。
その横で、ガンさんが岩の体から熱を放っている。
炭いらずの天然熱源だ。
「ぽぽぽ。今日は宴だねえ」
ハチさんが、巨大な皿を運んできた。
皿の上には、山盛りの野菜が乗っている。
裏山で採れた、自家栽培の野菜だ。
「あいよ、肉追加だよ」
タエさんが、冷凍倉庫から肉の塊を持ってきた。
今朝、第1階層で狩ったゴブリンの解体肉だ。
黒田が丁寧に下処理をしてくれた。
「社長。これ、本当に食べられるんですか?」
黒田が、不安そうな顔で肉を見ている。
「問題ない。タエさんが下茹でしたやつだ」
「いや、それより前の問題として」
「慣れろ。うちでは日常だ」
黒田が、複雑な顔をした。
だが、三秒後には肉を口に放り込んでいた。
適応力だけは、元ブラック企業の社員らしい。
◇
昼下がり。
宴は、ゆるやかに続いていた。
ユキが、縁側で氷細工を作っている。
白い指先から、冷気が放たれている。
透明な氷が、花の形に削れていく。
「きれいにできました」
ユキが、小さく微笑んだ。
手のひらの上で、氷の花が陽光を受けて輝いている。
ザシキが、ユキの隣で氷細工を見つめている。
目が、きらきらと輝いていた。
座敷童子のくせに、見た目は完全に子供だ。
「ザシキ。触るなよ。溶けるぞ」
「わかってる。きれいだねえ」
ザシキが、にこにこと笑った。
不思議と、肩の力が抜けていく。
タマは、庭の隅で丸くなっていた。
日向ぼっこの最適な場所を見つけたらしい。
尻尾が二つ、ゆらゆらと揺れている。
「にゃ」
タマが、欠伸をした。
猫又のくせに、やることは普通の猫と変わらない。
三日前、御子柴を転ばせたのも、ただ日向ぼっこの場所を移動しただけだ。
本人に自覚はない。
だが、それでいい。
この古民家には、今、何の脅威もない。
スキマは、土蔵の壁の隙間に潜んでいた。
時折、白い顔がのぞく。
宴を遠くから眺めているようだ。
「スキマ。お前も食え」
俺が声をかけると、スキマの目が揺れた。
「……いいの」
囁くような声だ。
俺はうなずいた。
「従業員は全員参加だ。福利厚生の一環だ」
スキマが、ゆっくりと壁から這い出てきた。
長い黒髪が、地面に垂れている。
その手に、小さな皿が握られていた。
「……焼き鳥」
「好きなだけ食え」
スキマが、かすかに口元を緩めた。
白い顔に浮かぶその表情は、見慣れない者なら背筋が粟立つだろう。
だが、俺はもう慣れた。
◇
夕方。
桐生が、山道を登ってきた。
「よう。終わったか」
桐生が、煙草に火をつけた。
「御子柴は起訴された。詐欺、恐喝、業務妨害。追加で贈賄も出てきた」
「そうか」
「お前の証拠が効いた。契約書の写しと、宮脇の証言」
桐生が、煙を吐き出した。
「これで、お前を狙う奴は減るだろう」
「『上』は?」
俺が聞くと、桐生の目が少し鋭くなった。
「調査中だ。だが、すぐには動けない」
「分かった」
「お前は、しばらく大人しくしてろ」
桐生が、バーベキューの匂いに鼻を動かした。
「腹、減ってるだろ」
俺が言うと、桐生は少し考えてからうなずいた。
「まあ、昼飯がまだだ」
「食っていけ」
「仕方ないな」
桐生が、縁側に腰を下ろした。
ミレイが、皿を持ってきた。
「どうぞ。ゴブリンの焼肉です」
「は?」
「冗談です。豚肉ですよ」
ミレイの目が、笑っていた。
桐生は、怪訝な顔で肉を口に運んだ。
◇
日が暮れた。
宴は終わり、庭には静けさが戻っていた。
俺は、縁側に座っていた。
隣には、ミレイがいる。
夕日が、山の向こうに沈んでいく。
「終わりましたね」
ミレイが、静かに言った。
「ああ」
「御子柴は逮捕された。壊原も撤退した。『上』はまだいるけれど、今は動きがない」
俺は、うなずいた。
「しばらくは、平和だろう」
「そうですね」
ミレイが、マスクを少しずらした。
裂けた口が、夕日に照らされている。
俺は、その口元を見つめた。
「ミレイ」
「はい」
「お前は、ここにいて楽しいか」
ミレイの目が、わずかに見開かれた。
それから、ゆっくりと細められた。
「変なことを聞きますね」
「答えろ」
ミレイが、少し考えた。
長い黒髪が、風に揺れている。
「楽しいです」
ミレイの声は、静かだった。
「私は、ずっとさまよっていました。誰かを驚かせて、逃げられて、またさまよって」
ミレイの目が、遠くを見ている。
「でも、ここに来てから、変わりました」
ミレイが、俺を見た。
「社長は、私を見ても逃げなかった。怖がらなかった。それどころか、私に仕事をくれた」
ミレイの目が、少し潤んでいる。
「初めてです。誰かに必要とされたのは」
俺は、何も言わなかった。
言葉が見つからなかった。
「だから、社長」
ミレイが、真っ直ぐに俺を見た。
その瞳が、夕日を映して揺れている。
「これからも、ずっと一緒ですか?」
俺は、空を見上げた。
夕焼けが、橙色から紫色に変わっていく。
風が、庭の木々を揺らした。
「ああ」
俺は、短く答えた。
「お前がいないと、俺は怠けられない」
ミレイが、目を見開いた。
長いまつ毛が、かすかに震えている。
それから、喉の奥で小さく音を立てた。
笑っているのか、泣いているのか、分からない。
たぶん、両方だ。
「はい」
ミレイの声が、震えていた。
「一生、怠けさせてあげます」
俺は、ミレイの頭に手を置いた。
長い黒髪が、指の間をすり抜けていく。
人間とは違う、ひんやりとした感触だ。
だが、不快ではない。
むしろ、心地いい。
「よろしく頼む」
「はい。任せてください」
ミレイが、目を閉じた。
夕日が、二人を照らしていた。
◇
夜。
古民家の居間には、全員が集まっていた。
炬燵の周りに、怪異たちが座っている。
ハチさんが、みかんの皮を剥いている。
タエさんが、茶を淹れている。
ユキが、炬燵に足を突っ込んでいる。
ザシキが、俺の膝の上に座っている。
タマが、ハチさんの膝の上で丸くなっている。
ガンさんが、部屋の隅で熱を放っている。
床暖房代わりだ。
黒田が、正座で茶を啜っている。
スキマが、壁の隙間から顔を出した。
「……社長」
「何だ」
「……御子柴のオフィス。まだ誰も来ない」
俺は、うなずいた。
「監視を続けろ」
「……分かった」
スキマの顔が、壁に消えていく。
だが、しばらくすると、また顔を出した。
「……でも、今日は」
スキマの目が、炬燵を見ている。
「……こっちにいていい?」
俺は、短く笑った。
「いろ。今日は宴だ」
スキマが、壁からゆっくりと這い出てきた。
そして、部屋の隅に座った。
炬燵には入らないが、輪の中にはいる。
それが、スキマの距離感だ。
ミレイが、台所から鍋を持ってきた。
「今夜は、湯豆腐です」
「ぽぽぽ。いいねえ」
ハチさんの目が、きらりと光った。
「平和だねえ。こういう日が続くといいよ」
タエさんが、湯気の立つ湯呑みを俺に渡した。
「あいよ。今日は、いい一日だったよ」
「ああ」
俺は、茶を啜った。
渋みが、喉を通っていく。
ザシキが、俺の顔を見上げた。
「カイト」
「何だ」
「ずっと、いっしょだよ」
ザシキの目が、きらきらと輝いていた。
不思議と、胸の奥があたたかくなる。
この土地に、幸福が根付いている。
「ああ。ずっと一緒だ」
ザシキが、にこにこと笑った。
俺は、部屋を見回した。
怪異たちが、笑っている。
人間ではない。
都市伝説だ。妖怪だ。化け物だ。
だが、俺にとっては家族だ。
これが、俺の会社だ。
株式会社アマガミ・ラボ。
従業員は怪異。
業務内容はダンジョン経営。
福利厚生は完備。
ブラック企業とは正反対の、ホワイト企業だ。
「社長」
黒田が、声をかけてきた。
「何だ」
「俺、ここに来て良かったです」
黒田の目が、真っ直ぐだった。
「前の会社では、毎日が地獄でした。でも、ここは違う」
黒田が、少し言葉を探すように間を置いた。
「御子柴さんに聞いたんです。『あなたの会社は、どうでした?』って」
俺は、黙って聞いていた。
「あの人、何も答えられなかった。たぶん、答えられることが何もなかったんだと思います」
黒田が、部屋を見回した。
怪異たちが、それぞれの場所で寛いでいる。
「俺は、答えられます。変な会社ですけど、居心地がいいって」
俺は、短く笑った。
「変な会社で悪かったな」
「いえ、褒め言葉です」
黒田も、笑った。
◇
深夜。
全員が寝静まった後、俺は土蔵に向かった。
土蔵の奥。
古い机の引き出し。
そこに、一冊の手帳がある。
祖父の手帳だ。
正確には、雨神家に代々伝わる記録だ。
俺は、手帳を開いた。
黄ばんだページに、何人もの筆跡が並んでいる。
『ダンジョン管理メモ 明治三十二年より』
曽祖父の曽祖父の代から、この土地は守られてきた。
祖父も、その一人だった。
俺は、その後を継いだ。
偶然か、必然か、分からない。
俺は、手帳の最後のページを開いた。
空白のページだ。
俺は、ペンを取った。
そして、書き込んだ。
『令和七年十二月 雨神カイト』
『御子柴を排除。脅威は一時的に除去。「上」の存在を確認。監視継続中』
『従業員:ミレイ、タエさん、ハチさん、スキマ、ザシキ、タマ、ユキ、ガンさん、黒田。全員健在』
『DP残高:1,850。収支安定。不労所得生活、継続中』
俺は、最後に一行を書き加えた。
『怠惰は正義。だが、守るべきものがあるなら、たまには働く』
俺は、手帳を閉じた。
祖父が何を考えていたか、俺には分からない。
だが、この土地を守りたかったことは確かだ。
俺も、同じだ。
この古民家を。
この従業員たちを。
この怠惰な生活を。
俺は、守る。
◇
土蔵を出ると、ミレイが立っていた。
「眠れないんですか」
「少し考え事をしていた」
ミレイが、うなずいた。
「私も、眠れませんでした」
「そうか」
俺たちは、並んで縁側に座った。
夜空には、星が瞬いている。
月が、庭を銀色に照らしていた。
「社長」
「何だ」
「明日の朝食は、何がいいですか」
俺は、少し考えた。
「味噌汁と、焼き魚と、漬物」
「了解しました」
ミレイが、立ち上がった。
「おやすみなさい、社長」
「ああ。おやすみ」
ミレイが、屋内に消えていった。
俺は、しばらく夜空を見上げていた。
御子柴の「上」は、まだいる。
壊原も、いつか戻ってくるかもしれない。
「先生」も、どこかで復讐の機会を窺っているだろう。
だが、今は関係ない。
今夜は、平和だ。
明日も、おそらく平和だ。
明後日も。
俺は、欠伸をした。
怠惰は正義だ。
働きたくない。
寝て過ごしたい。
だが、守るべきものがあるなら、たまには働く。
それが、ダンジョンマスターの仕事だ。
それが、俺の生き方だ。
俺は、立ち上がった。
そして、屋内に戻った。
炬燵の中には、まだ熱が残っていた。
俺は、布団を被って目を閉じた。
明日も、怠惰な一日が始まる。
最高の、不労所得生活が続く。
俺は、笑った。
そして、眠りに落ちた。
◇
翌朝。
味噌汁の匂いで目が覚めた。
「社長、朝ですよ」
ミレイの声が聞こえる。
俺は、のろのろと起き上がった。
窓の外では、朝日が昇っている。
庭では、タマが日向ぼっこをしている。
土蔵の前では、黒田がストレッチをしている。
縁側では、ザシキが鉢植えに水をやっている。
平和だ。
最高の、日常だ。
「社長」
ミレイが、朝食を運んできた。
味噌汁と、焼き魚と、漬物。
完璧な和朝食だ。
「いただきます」
俺は、箸を取った。
これが、俺の人生だ。
ブラック企業を辞めて。
田舎の古民家に帰って。
ダンジョンマスターになって。
怪異を雇って。
不労所得で暮らす。
最高だ。
「社長」
ミレイが、隣に座った。
「今日の予定は?」
「昼寝」
ミレイが、喉の奥で笑った。
「了解しました。ゆっくり休んでください」
俺は、味噌汁を啜った。
ふと、窓の外を見た。
山の向こうに、薄い雲がかかっている。
嵐の前兆か、ただの通り雲か、分からない。
だが、今は関係ない。
怠惰は正義だ。
そして、俺は怠惰を守るために働く。
矛盾しているようだが、これでいい。
これが、俺のやり方だ。
朝日が、古民家を照らしていた。
築百年の古民家で、俺たちは幸せに暮らしていた。
そして、これからも。
《完》
15
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