【完結】別れさせ屋の私が、絶対に離婚しない弁護士と「恋愛禁止」の契約結婚をするワケ

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第2章 第11話「弁護士の再起動と、封じられた記憶」

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 客間の扉が閉まった瞬間、慧の膝が折れた。

「慧っ」

 私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。
 ベッドの縁に座らせると、慧は深く息を吐いた。
 その肩が、小刻みに震えている。

「……情けない」

 かすれた声が、静かな部屋に落ちた。

「君に、あんな姿を見せた」

「何言ってんの。あんなの、誰だって固まるわよ」

「いいえ」

 慧は顔を上げた。
 その目には、自分への怒りが滲んでいる。

「僕は法廷では、どんな相手にも動じなかった」

 眼鏡を外し、目頭を押さえる。

「なのに、あの男の前では。……まるで、五歳の子供に戻ったようだった」

 私は何も言えなかった。
 あの食卓で見た慧は、確かに別人だった。
 「法廷の悪魔」の面影は、どこにもなかった。

「……ありがとう、ございます」

 慧が、また同じ言葉を繰り返した。

「君が、僕を守ってくれた」

「だから、気にしないでって」

「いいえ。気にします」

 慧の声が、少しだけ硬くなった。

「君に守られるだけでは、契約違反だ」

 私は目を瞬いた。

「は?」

「800万で雇ったのは、僕の方です」

 慧が立ち上がった。
 窓辺に歩み寄り、暗い庭を見下ろす。

「なのに、守られてばかりでは。……対価に見合わない」

「いや、別にそういう契約じゃ」

「僕の中では、そうです」

 振り返った慧の目が、私を捉えた。
 そこには、さっきまでの怯えはなかった。
 代わりに、見慣れた光が戻り始めている。

 鋭く、冷たく、全てを見透かすような。
 「法廷の悪魔」の目。

「……君のおかげで、思考の霧が晴れた」

 慧は眼鏡をかけ直した。
 レンズの奥で、瞳が鋭く光る。

「反撃の準備をしよう」

-----

「反撃って、どうするの?」

 私はベッドに腰を下ろしながら尋ねた。
 慧は部屋を歩き回りながら、指を組んでいる。
 いつもの「思考モード」だ。

「君は、あの食卓で違和感を感じなかったか」

「違和感? あのジジイの性格が最悪ってこと以外に?」

「そうではなく」

 慧が立ち止まった。

「あの男は、僕を侮辱しながら。……君の反撃を、待っていた」

 私は首を傾げた。

「待ってた?」

「普通、あそこまで挑発されれば、妻役の女性は黙って俯くか、泣き出すか、あるいは激昂する」

 慧の声が、いつもの分析トーンに戻っている。

「だが君は、冷静に切り返した。それを見たあの男の反応を覚えているか」

 私は記憶を辿った。
 時康は怒らなかった。
 むしろ、愉快そうに笑っていた。

「……『面白い女だ』って言ってた」

「そう。怒りではなく、興味を示した」

 慧が私の前に立った。

「あれは、試験だったんだ」

「試験?」

「君という人間の『器』を測るための」

 私は眉を寄せた。
 言われてみれば、確かにおかしい。
 あれほど侮辱しておいて、反撃されたら喜ぶなんて。

「つまり、あのジジイは最初から。……私が噛みつくのを期待してた?」

「その可能性が高い」

 慧は窓辺に戻り、腕を組んだ。

「あの男は、従順な人形には興味がない。歯向かってくる相手を、面白がるタイプだ」

「……それ、私が夕食後に言ったことじゃない」

「君の分析は正しかった。だが、それだけでは説明がつかない」

 慧の目が、鋭く細められた。

「なぜ、わざわざ僕を呼び寄せたのか。なぜ、このタイミングで『品定め』をしたのか」

 私は黙って聞いていた。
 慧の頭が、急速に回転し始めている。
 これだ。これが、私の知っている高塔慧だ。

「あの男には、何か目的がある」

 慧の声が、低く響いた。

「『品定め』は、その目的を達成するための。……準備段階に過ぎない」

「……あんた、急にいつもの調子に戻ったわね」

 私は思わず笑った。
 慧は少し照れたように、眼鏡の位置を直した。

「……君のおかげだ」

「え?」

「君が、あの食卓で言ってくれた言葉」

 慧が、静かに私を見た。

「『世界で一番誇り高い男性』だと」

 私は顔が熱くなるのを感じた。
 あれは、その場の勢いで口走っただけだ。
 なのに、こんな真顔で言い返されるとは。

「あ、あれは演技よ。令嬢としての」

「そうですか」

 慧の唇が、かすかに緩んだ。

「では、演技だったとしても。……僕は、あの言葉に救われた」

-----

 深夜。

 私たちは客間を抜け出し、暗い廊下を歩いていた。
 慧の記憶を頼りに、屋敷の奥へと進む。

「母の部屋は、西棟の突き当たりにあったはずだ」

 慧の声は、抑えられている。
 足音を殺しながら、私たちは角を曲がった。

 その時。

「若様」

 老いた声が、暗がりから響いた。
 私は咄嗟に身構えた。
 だが、現れたのは武装した警備員ではなかった。

 白髪の老婦人。
 黒いメイド服を着た、七十代くらいの女性だ。
 その目が、慧を見て大きく見開かれている。

「……松島さん」

 慧の声が、かすかに震えた。

「まだ、この屋敷に」

「はい。お久しゅうございます、若様」

 老メイドは深く頭を下げた。
 その声は、震えていた。

「こんな夜更けに、どちらへ」

「……西棟に、用がある」

 慧の答えに、老メイドの顔色が変わった。

「若様。……お逃げください」

 その声は、懇願だった。
 私は驚いて、老メイドの顔を見つめた。

「あの部屋には、近づいてはなりません」

「なぜですか」

「旦那様が。……旦那様のお怒りに触れます」

 老メイドの手が、震えている。
 その目は大きく見開かれ、視線が泳いでいた。
 私たちへの敵意ではない。何かに怯えている目だ。

「松島さん」

 慧の声が、柔らかくなった。

「あなたは、母のことを覚えていますか」

 老メイドの目が、潤んだ。

「奥様は。……優しいお方でございました」

 その言葉は、絞り出すようだった。

「それだけは、どうか信じてくださいませ」

 老メイドは深く頭を下げ、暗がりへと消えていった。
 私と慧は、しばらく無言で立ち尽くしていた。

「……使用人たちは、敵じゃないのね」

 私は小さく呟いた。

「恐怖で支配されているだけだ」

 慧の声が、静かに響いた。

「あの老人は、この屋敷全体を。……恐怖で縛り付けている」

-----

 西棟の突き当たり。

 そこには、重厚な扉があった。
 埃が積もり、蜘蛛の巣が張っている。
 長い間、誰も開けていないことは明らかだった。

「鍵がかかっている」

 慧がノブを回すが、扉は動かない。

「ちょっと待って」

 私は髪からヘアピンを抜いた。
 鍵穴に差し込み、感触を探る。
 三秒後、かちりと音がした。

「……開いたわ」

「君は、一体どこでそんな技術を」

「プロの技を見せてあげる」

 私はウインクして、扉を押し開けた。

 埃の匂いが、鼻を突いた。
 月明かりが、薄汚れた窓から差し込んでいる。
 そこは、時間が止まったような部屋だった。

 古びたドレッサー。
 色褪せたカーテン。
 壁には、若い女性の写真が飾られている。

 慧が、その写真の前で立ち止まった。

「……母だ」

 その声は、かすれていた。

 写真の女性は、美しかった。
 優しげな目元は、どことなく慧に似ている。
 だが、その目には、言葉にできない悲しみが宿っていた。

「ここを探そう」

 私は慧に声をかけた。
 何か、手がかりがあるはずだ。

 ドレッサーの引き出しを開ける。
 古い化粧品、乾いた香水瓶、そして。

「……日記?」

 革表紙のノートが、奥に隠されていた。
 私はそれを取り出し、慧に渡した。

 慧は無言でページを繰った。
 その目が、次第に鋭くなっていく。
 弁護士の目だ。証拠を読み解く、プロの目。

「……なるほど」

 しばらくして、慧が呟いた。

「どうしたの?」

「母は、この屋敷での生活を詳細に記録していた」

 慧の声は、冷静だった。
 感情を押し殺して、事実だけを拾い上げている。

「そして、ここに。……あの男に関する記述がある」

 私は息を呑んだ。

「何て書いてあるの?」

「詳細は、まだ読み込む必要がある。だが」

 慧が顔を上げた。
 その目には、確信の光が宿っている。

「一つ、分かったことがある」

「何?」

「あの男は、母を憎んでいるのではない」

 慧の唇が、かすかに歪んだ。

「……恐れているんだ」

-----

 客間に戻り、私たちは日記を読み込んだ。

 慧は感情的にならなかった。
 一ページごとに丁寧に読み、要点をメモしていく。
 その姿は、法廷に立つ弁護士そのものだった。

「整理しよう」

 慧が顔を上げた。

「母は、あの男の『弱点』を知っていた」

「弱点?」

「鳳凰グループの、表に出せない何か。……詳細は、まだ分からない」

 慧は日記を閉じた。

「だが、あの男が母を『面汚し』と呼ぶ理由は分かった」

「教えて」

「母は、あの男に逆らったんだ。……この家で、唯一」

 私は黙って聞いていた。

「だから、あの男は母を恐れた。そして、僕を『あの女の子』と呼んで蔑む」

 慧の目が、私を捉えた。

「君に興味を示したのも、同じ理由だろう」

「私が、噛みついたから?」

「そう。あの男は、逆らう人間を恐れる。同時に、興味を持つ」

 慧は窓辺に立ち、夜明け前の空を見上げた。

「勝機は見えた」

 その声には、静かな決意が滲んでいた。

「僕たちはここから、勝って帰るだけじゃない」

 振り返った慧の目が、鋭く光った。

「この家を。……『解体』する」

-----

 空が、うっすらと白み始めていた。

 私は慧の横顔を見つめながら、考えていた。
 この男は、戻ってきた。
 「法廷の悪魔」として、戦う準備を整えた。

 でも、同時に気づいてしまった。
 この男が背負っているものの重さに。

 母親を失い、家族に蔑まれ、孤独の中で生きてきた。
 それでも、理性と論理を武器に、一人で戦い続けてきた。

 守ってあげたい。

 その気持ちは、もう「契約」では説明できなかった。

「ミレイ」

 慧の声が、私を現実に引き戻した。

「何?」

「……ありがとう」

 三度目の感謝。
 でも、今度の声は、少し違っていた。
 柔らかくて、温かくて。

「君がいなければ、僕はまだ。……五歳の子供のままだった」

 私は笑った。

「だから、気にしないでって言ってるでしょ」

「気にする。……ずっと」

 慧が、かすかに微笑んだ。
 その笑顔を見た瞬間、心臓が跳ねた。

 やばい。

 本当に、やばい。

 このままじゃ、契約違反まっしぐらだ。
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