俺のダンジョン配信がバズった理由は、ダンジョンそのものが俺に恋してるからだった

チャビューヘ

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2章 溺愛侵食編

第12話「推しのためなら探偵にもなります」

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 革張りの椅子が三脚。ガラス天板のテーブル。壁面には額装された契約書が整列していた。

 フロンティアプロのオフィスは、港区の高層ビルの12階にある。窓の外には東京タワーが見えた。部屋にはコーヒーの匂いが漂っている。高い豆を使っている匂いだ。

 想は革張りの椅子に座って、テーブルの上に広げられた契約書を見ていた。

「柊さん。これがうちの標準契約です」

 財前が向かいに座っている。スーツの襟元にはフロンティアプロの社章。ダンジョン前で会ったときと同じ、温度の一定した笑顔。

「配信活動のマネジメント全般をうちが代行します。企画立案、スポンサー交渉、協会との折衝、法務対応。柊さんは配信に集中できる環境が手に入ります」

 契約書のページをめくった。報酬分配。配信収益の取り分は、フロンティアプロが30%、想が70%。数字だけ見れば悪くない。

「事務所なしで10万人超えた配信者は珍しいですが、ここから先は壁があります。スポンサー案件、メディア出演、グッズ展開。個人では交渉の席にすら着けません」

 財前の言葉には隙がない。事実を並べている。嘘ではない。登録者10万人を超えたあたりから、想のDMには企業案件の打診が増えていた。全部無視している。対応する時間がないし、やり方もわからない。

 母親の治療費は、当面はS級魔石でまかなえている。だが「当面」だ。治療は最低2年。収入の不安定さは変わっていない。契約を結べば、安定した収益基盤ができる。

「考えさせてくれ。俺ひとりで決められる話じゃない」

「もちろんです。ただ、あまり長くはお待ちできません。他にも声をかけている配信者さんがいますので」

 財前は急かすことを「事実の提示」に変換する。うまい話し方だ。圧力を圧力と感じさせない技術。

 オフィスを出て、エレベーターで地上に降りた。ビルの正面で冬の風に当たりながら、スマホを取り出した。

 千歳にメッセージを送った。

「財前って男から専属契約の話が来た。どう思う?」

 返信は即座に来た。

「想さんに変な虫がつきました」

 次の行。

「調べます」

 想はスマホを閉じた。千歳に相談した理由はふたつある。ひとつは、千歳の情報収集能力。環境音から住所を割り出す人間なら、人間ひとりの経歴を洗い出すくらいは朝飯前だろう。

 もうひとつは、千歳の目。あの澄んだ目は嘘を見抜くための目ではないが、想のために全力を出す目だ。誰かが想に近づいたとき、千歳ほど本気で警戒する人間はいない。

 使い方が正しいかどうかは別として。

 3時間後。

 千歳から長文のメッセージが届いた。想はダンジョン内の通路の段差に腰を下ろして読んだ。壁面の光苔がほのかに灯っている。ノアも一緒に読んでいるのだろう。

 千歳の調査は徹底していた。

 フロンティアプロの過去の所属タレント12名のSNSを遡り、活動停止した6名を特定。うち3名に直接コンタクトを取り、契約の実態を聞き出している。3時間でここまでやる人間は、探偵事務所にも少ない。

 内容はこうだ。

 表向きの報酬分配は「事務所30%・タレント70%」。だが契約書には別紙がある。「マネジメント費用」「管理費」「顧問料」。名目を積み上げた結果、タレントの実際の手取りは20%以下になる。

 さらに、契約解除の違約金が年間収益の300%。辞めたくても辞められない構造。6名のうち4名が「稼ぎの8割を持っていかれた」と証言していた。

 千歳のメッセージの最後に一文。

「想さん。この人とは契約しないでください。私が直接言ってきます」

 想が返信を打つ前に、千歳はすでにフロンティアプロに向かっていた。

 ダンジョンの壁面が光った。ノアの声。

「想さん。白峰さんが、財前さんのオフィスに入りました」

「は? もう行ったのか」

「はい。14時37分にビルに入りました。エレベーターで12階です」

 想は立ち上がった。止めに行くべきか迷ったが、千歳に暴力の心配はない。あの人間は想以外の人間に拳を向ける理由を持っていない。

「ノア。見えてるのか」

「ビルのセキュリティカメラがインターネット接続型でした。通信回線を経由して映像を取得しています」

「それ不法侵入じゃねえか」

「デジタルですので、侵入にはあたりません」

 ノアの理屈は壊れているが、今はそれどころではない。

「俺に教えてくれ。千歳が何してるか」

「白峰さんが、財前さんの前に座りました。笑っています」

 間。

「白峰さんが書類を出しました。財前さんの笑顔が消えました」

 千歳が調査結果を突きつけているのだろう。搾取契約の実態。元タレントの証言。3時間で集めた情報を、そのまま相手の机の上に広げたのだ。

「白峰さんが話しています。財前さんは黙っています」

 ノアの実況が続く。想はダンジョンの壁際にしゃがみ込んで聞いていた。現場に行けない代わりに、ノアが目と耳になっている。

「財前さんが『君に関係ないだろう』と言いました」

「千歳は?」

「笑っています。『想さんに関係あることは、全部私に関係あります』と返しました」

 想は額に手をやった。千歳の行動原理は単純で、それゆえに強い。

「財前さんの心拍数が上がりました。白峰さんが何か言いました」

「何て?」

「『私、想さんの配信で財前さんの会社の評判を聞いてみようかなと思ってるんです。フォロワーけっこういるので』。笑顔です」

 千歳のフォロワーは、想の配信の影響で3万人に達している。財前のような人間にとって、ネット上の評判は事業の生命線だ。B級探索者が3万人のフォロワーを持って、笑顔でオフィスに乗り込んできた。合法的な、しかし無視できない圧力。

「財前さんは黙りました」

「それだけ?」

「白峰さんが立ち上がりました。『お返事、待ってますね』と言って出ていきました。笑顔のままです」

 ノアの報告が途切れた。壁面の光苔が規則的に明滅する。平常時のノアだ。

「ノア」

「はい」

「お前、千歳のこと監視してたのか」

「白峰さんだけではありません」

「じゃあ誰を」

「想さんに関わる人間は全員監視しています」

 壁面の光が一瞬だけ強くなった。

「全員?」

「全員です」

 ノアの声には迷いがなかった。監視を悪いことだと思っていない。想の安全を守るための行動であり、それ以上でも以下でもない。

 想は立ち上がって埃を払った。何か言おうとして、やめた。今ノアに「やめろ」と言ったところで意味がない。ノアは想を守るためなら何でもする。それを止められるのは想だけだが、「全部やめろ」とは言えない。千歳の行動をリアルタイムで教えてもらったのは、監視のおかげだ。

 使う側に回ってしまった時点で、文句を言う資格はない。

 ───────────────────
 草:今日ソウの配信ないのか
 †漆黒の剣†:昨日登録者15万超えたぞ
 DJケンタ_B級:千歳ちゃんとの共闘もっと見たい
 しろくま_22:ソウくん最近忙しそう
 推しが重い:裏で色々あるんだろうな
 N_o_a:想さんは今日はお休みです。大丈夫です。わたしが見ています。
 ───────────────────

 DunCastのコメント欄。想が配信を休んだ日にも、ノアは存在を示している。「わたしが見ています」の一文が、視聴者にはファンサービスに見える。想だけがその言葉の本当の重さを知っている。

 夕方。千歳からメッセージが来た。

「想さん、報告です! 財前さんに直接お話ししてきました! もう大丈夫だと思います!」

 スタンプが三つ並んでいる。犬がガッツポーズしているやつだ。

 想が返信を打とうとしたとき、別の通知が来た。

 封筒の写真。ポストに入っていたらしい。差出人はフロンティアプロ法務部。

 件名。「配信活動に関する法的通知書」。

 内容を読んだ。

 「営業妨害および名誉毀損の疑い」。フロンティアプロが法的措置を検討しているという通知だった。千歳の乗り込みが「威力業務妨害」にあたる可能性がある、と。

 バイク便の配送伝票が封筒に添付されている。千歳がオフィスを出てから数時間で届いた。書面は事前に準備されていたのだろう。財前は最初から法的圧力を並行して仕込んでいた。千歳の突撃がなくても、想が契約を断った時点で送りつけるつもりだったのだ。

 千歳が合法的にやったことを、法律の言葉で圧力に変換している。財前は口で負けた分を、紙の力で取り返しに来た。

 想はスマホを握りしめた。千歳のメッセージのガッツポーズの犬が、画面の上でまだ笑っている。

 電話ではなく法的通知を選んだのは、直接対決を避けるためだ。千歳のような人間は正面からぶつかれば強いが、書類の世界では手が出せない。財前はそこを突いてきた。

 想は法律の知識が乏しい。探索者として戦うことは学んだが、契約書と戦う方法は誰にも教わっていない。

 通知音が短く鳴った。ノアからのメッセージ。DunCast経由ではなく、スマホ本体に直接届いている。

「想さん。わたしに任せてくれませんか」

 想は画面を見つめた。ノアがスマホに直接連絡してきたのは、これが初めてだった。配信プラットフォーム経由でもSNS経由でもなく、想の端末そのものに。

 どうやって。

 その疑問が浮かぶ前に、次のメッセージが来た。

「財前さんのことも、法的通知のことも。想さんが困ることは、わたしが全部消します」

 光苔の明滅ではない。壁越しの声でもない。手の中のスマホから、ノアの言葉が直接流れ込んでくる。

 距離が縮まっている。ダンジョンの中だけだったノアの存在が、想の掌の中まで来ている。

 想は返信を打った。

「消すな。まだ俺が考える」

 既読はすぐについた。返信は来なかった。

 ノアが黙っているのは、納得したからではない。想が「まだ」と言ったからだ。「まだ」には期限がある。待つことはできるが、永遠には待たない。

 想はそれをわかっていて、あえて「まだ」と書いた。ノアを止めるための言葉が、いつか足りなくなる日が来る。その予感が、冬の夜気と一緒に胸の底に沈んでいった。
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