俺のダンジョン配信がバズった理由は、ダンジョンそのものが俺に恋してるからだった

チャビューヘ

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3章 顕現編

第19話「判定保留」

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「想さん、これとこれ、どっちが甘いですか」

 コンビニのアイスコーナー。ノアが両手にアイスバーを1本ずつ持って、想の顔を見上げている。真剣な目だった。戦闘中のモンスターを分析するときと同じ目で、パッケージの成分表示を睨んでいる。

「右。バニラの方が甘い」

「こっちは」

「抹茶。苦いぞ」

 ノアの眉が寄った。苦いという概念を、表情で試しているようだった。

「苦い、は嫌いです」

 ノアがバニラを選んだ。抹茶の方を冷凍庫に戻す。戻し方が丁寧すぎて、元の位置に寸分の狂いなく収まった。ダンジョンの構造管理と同じ精度でアイスを並べている。

「想さん、私のおすすめはこれです!」

 千歳がチョコミントを掲げた。緑と茶色のパッケージを両手で持ち上げて、満面の笑みで推している。

「白峰さんの好みは聞いていません」

「えー。おいしいのに」

「想さんに聞きました」

 千歳がしょんぼりした顔でチョコミントを自分のカゴに入れた。ノアは振り返りもしない。想は黙ってふたり分のアイスをレジに持っていった。

 会計を済ませて外に出た。コンビニの前のベンチ。ノアがバニラアイスの包装を開けるのに苦戦している。想が端を切ってやると、ノアが一口かじった。

 噛んだ瞬間、目が丸くなった。

「冷たい」

「アイスだからな」

「冷たいのに、甘いです。不思議です」

 ノアが2口目をかじった。3口目で、唇の端にバニラがついた。想が指で拭った。ノアの動きが止まる。頬が微かに赤みを帯びた。投影体にも血色の変化があるのか、それともマナの揺らぎが色として出ているのか。

「想さん」

「ん」

「もう1個、食べていいですか」

 想はアイスの棒をゴミ箱に放り込んだ。

「1個で我慢しろ。腹壊すぞ」

 ノアが首を傾げた。

「投影体にお腹はありません」

「じゃあなんで味がわかるんだよ」

 ノアはアイスの棒を見つめた。答えを探すように、木の表面をなぞっている。

「わかりません。でもわかります」

 千歳がチョコミントを食べながら笑っている。想も口元が緩んだ。冬の午後、コンビニの前でアイスを食べる。ただそれだけの時間だった。

 5メートル先に、男が立っていた。

 氷室要。黒のジャケット。手には小さなメモ帳。壁に背を預けて、三人を見ている。表情がない。怒りも、微笑みも、退屈もない。レンズの向こうから標本を覗くような目だった。

 想は氷室に気づいていた。今朝から4時間、ずっとついてきている。コンビニに入るとき、氷室は入口の横に立った。レジに並んだとき、氷室は駐車場側のガラス越しに視線を固定していた。

 氷室のペンが動いた。メモ帳に何かを書いている。ノアがアイスを食べて目を丸くした瞬間を見て、書いた。ノアの頬が赤くなった瞬間を見て、書いた。

 想の胸の底が冷えた。ノアの笑顔を、記録している。

「おい」

 想が立ち上がった。氷室に歩み寄る。

「何書いてるんだ」

 氷室がメモ帳を閉じなかった。隠す気がないのだ。ページが見えた。几帳面な文字が並んでいる。

『観察4日目 14:32 対象がバニラアイスを摂取。味覚に対する反応あり。驚きの表情を形成。人間的情動を示す。好みの選択行動が確認された』

『14:35 対象の頬部に赤みの変化。感情に伴う身体反応の模倣、もしくはマナ出力の変動。要追加観察』

『判定:保留』

 判定保留。

 2文字が、メモ帳の下部に書かれていた。赤ペンで、下線つき。

 想の背中が冷えた。怒りではなかった。もっと深い場所にある、名前のない感覚だった。

 氷室はノアを見ている。ノアの笑顔を見て、それを「人間的情動」と認識している。ノアが甘いものを好むことを、ノアの頬が赤くなることを、ちゃんと「人間の行動」として記録している。

 その上で、殺す選択肢を保留しているだけだ。捨てていない。

「お前、ずっと見てるのやめろ」

「観察期間中だ。許可を取っている」

「誰の許可だよ」

 氷室の目が動かなかった。当然の質問に対する、当然の回答を返す目だ。

「探索者協会統括局長、鷲尾源一郎」

 鷲尾源一郎。想はその名前を初めて直接聞いた。梶原が電話で氷壁班の話をしたとき、局長の名前までは出なかった。

「鷲尾って誰だ」

「お前の上にいる人間だ。探索者全員の上にいる」

 氷室がメモ帳をジャケットのポケットにしまった。

「柊。俺は公正に判断する。ノアが人間と共存できる存在なら、俺はそう報告する。できないなら、そう報告する。お前が怒っても、判断基準は変わらない」

 想は何か言い返そうとした。だが言葉が出なかった。氷室の言っていることは正しい。観察して、判断して、報告する。手順として何も間違っていない。

 間違っていないことが、一番怖かった。

 配信はつけていた。ARデバイスのカメラは回っている。視聴者は氷室に気づいていた。

 ───────────────────
 草:またあのイケメンいるんだけど
 †漆黒の剣†:S級の腕章見えた。氷室要で確定だ
 DJケンタ_B級:氷室要。氷壁班隊長。コア関連事案の専門家。排除執行率100%
 しろくま_22:排除って何を
 深層好き_A:コアの破壊だよ。つまりノアの
 推しが重い:やめて
 草:ノアちゃんがアイス食べてるのに後ろに処刑人いるの怖すぎる
 しろくま_22:ソウがんばれ
 †漆黒の剣†:「S級探索者がソウの配信に出没」トレンド入りしてるぞ
 DJケンタ_B級:登録者32万突破してる
 N_o_a:想さん。大丈夫ですよ。わたしがいます。
 推しが重い:ノアちゃんのコメント見ると安心する
 草:でもノアちゃんが一番やばいんだよな
 ───────────────────

 夕方。ノアの投影体がダンジョンに戻った。活動限界の1時間前に自主的に帰還した。氷室の視線の中で過ごす時間が、ノアにも負荷になっているのかもしれなかった。

 想は自宅に戻った。シャワーを浴びて、ベッドに座る。スマホを手に取った。

 ノアからのメッセージが来ていた。

「想さん。報告があります」

 添付データがあった。ファイル名が三つ並んでいる。

「氷室要・宿泊先:駅前ビジネスホテル308号室」

「氷室要・通話記録:本日3件(探索者協会本部2件・個人番号1件)」

「氷室要・本日の移動経路:GPSログ」

 想はスマホの画面を見つめた。指が止まっている。

 宿泊先。通話記録。移動経路。

「ノア。これ、どうやって調べた」

「想さんの安全のためです。氷室さんの行動は全て把握しています」

「全て?」

 スマホの画面に次のメッセージが浮かんだ。文字の羅列が、整然と並んでいる。

「はい。宿泊先の予約情報、通話の発着信記録、カード決済の履歴。想さんに危険が及ぶ前に、わたしが対処できるようにしています」

 想は息を吐いた。安全のため。ノアはそう言った。嘘ではないだろう。ノアは嘘をつかない。だがこれは、個人情報の完全な把握だ。氷室だけではない。ノアがその気になれば、誰のデータでも引き出せる。

「ノア」

「はい」

「これ、やりすぎだろ」

 返信は即座だった。

「想さんを守るためです」

 想は首の後ろに手をやった。守る。そう言われると反論しづらい。だが言葉を選んだ。

「守るのと監視するのは違う」

 沈黙が落ちた。スマホの画面が光っている。ノアからの返信は来ない。10秒。20秒。

 メッセージが届いた。

「想さんが安全なら、わたしは何でもします。でも想さんがやめてと言うなら、やめます」

 想は唇を噛んだ。やめろと言えばノアはやめるだろう。だが氷室は排除執行率100パーセントの男だ。ノアの監視がなければ、氷室の動きがわからなくなる。

「続けていい。ただし、俺に全部見せろ。勝手にやるな」

「はい。想さんにだけ、全部見せます」

 想はスマホを置いた。天井を見上げる。ノアの監視を許可した。守るためだ。でも一線を超えた気がする。どこが一線だったのか、もうわからなかった。

 同じ頃。駅前のビジネスホテル、308号室。

 氷室がベッドの端に座って、携帯電話を耳に当てていた。短縮ダイヤル。3コールで繋がった。

「鷲尾局長。氷室です。4日目の報告を」

 電話の向こうで椅子が軋む音がした。

「対象に自我を確認。人格レベル。知性、感情、好悪の選択。想定以上だ」

「そうか」

 鷲尾の声は低かった。「頼んだぞ」と言ったときの穏やかさがない。

「自我がある、ということは」

「判定には時間がかかる。自我があることと、脅威であることは同義ではない」

「ああ。わかっている」

 鷲尾の声が途切れた。受話器の向こうで息を吐く音が微かに聞こえた。

「くれぐれも慎重に頼む、氷室」

 通話が切れた。

 氷室は携帯電話をベッドに置いた。メモ帳を開く。今日書いたページを読み返す。

 判定保留。

 赤い下線の2文字を見つめて、氷室は目を閉じた。

 ノアがアイスを食べて笑った顔が、まだ残っている。人間と同じ表情だった。あれが本物の感情なのか、コアの演算が生み出した模倣なのか。どちらであっても、氷室の判断基準は変わらない。

 問題は感情の有無ではなく、力の制御だ。

 鷲尾の声に混じっていたのは、安堵ではなかった。あれは恐怖だ。コアに自我がある。その事実を、鷲尾は喜んでいなかった。

 氷室はメモ帳を閉じた。なぜ鷲尾が恐れるのか。その問いは、まだ答えを持っていない。
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