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3章 顕現編
第21話「暴走」
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スライムの核を砕いた瞬間、足元が割れた。
想の体が沈んだ。左足がくるぶしまで床にめり込んでいる。ダンジョンの床面に亀裂が走っていた。砕けたスライムのマナが霧散するより早く、壁面の光苔が赤く点滅し始めた。
「想さん!」
千歳が想の腕を掴んで引き上げた。床の亀裂が広がっている。中層の通路全体にひびが走り、壁面から青白いマナの粒子が吹き出していた。
「これ、前と同じだ」
前にも同じことがあった。千歳が重傷を負ったあの崩壊だ。だが今回は規模が違う。足元だけでなく、天井も、壁も、通路全体が振動している。ダンジョンそのものが痙攣しているような揺れだった。
ノアの投影体が揺らいだ。輪郭が砂粒のように散り始めている。
「想さん。これは、わたしじゃない」
ノアの声が割れていた。電波が途切れるように、言葉の断片が途切れ途切れに響く。
「外から、わたしのシステムに、何かが」
前回の崩壊のときと同じ言葉だ。だが今回は想も、配信を見ている視聴者も、聞き逃さなかった。
「ノア。戻れ。投影体を維持してる場合じゃない」
「でも、想さんのそばに」
「戻れ」
想の声が低かった。ノアの投影体がさらに揺らぐ。指先から透けて、マナの粒子が宙に散っている。ノアが想の顔を見た。青白い目が揺れていた。
「想さん。逃げて、ください」
ノアの姿が消えた。投影体が崩壊して、マナの奔流がダンジョンの壁面に吸い込まれていく。ノアの意識がコアに引き戻された。
同時に、想のスマホが振動した。画面にメッセージが表示されている。
「逃げてください」
ノアからの自動送信だった。投影体が消滅した瞬間に、スマホに直接送られてきた。想の安全を最優先にするシステムが、ノアの意思とは別に作動している。
「想さん、上!」
千歳の声。天井の一部が崩落した。想が横に飛んで回避する。千歳が身体強化スキルで瓦礫を蹴り飛ばした。二人で走った。中層から浅層へ、崩れる通路を抜けて地上を目指す。
地上に出た。
ダンジョンの入口から、マナが目に見える密度で噴出していた。青白い霧が地面を這って、駐車場のアスファルトにひびを入れている。周辺の建物の窓ガラスが震えていた。
入口の横に、亀裂が開いた。中からモンスターが這い出してきた。低級のスライムが3体。通路を塞いでいたはずの壁が崩れて、外への道ができてしまったのだ。
住民が悲鳴を上げた。公園で遊んでいた親子が、スライムを見て走り出す。車のクラクションが鳴った。
千歳が前に出た。
「想さん、下がって!」
千歳の拳がスライムの核を貫いた。身体強化スキルで腕をコーティングし、核を直接粉砕する戦法。1体目。振り向きざまに2体目の核にも肘を叩き込む。
3体目が住宅街の方向に転がっていく。千歳が追いかけようとした瞬間、横から刃が走った。
一閃。音がなかった。スライムの核が真っ二つに割れて、マナに還元されて消えた。
氷室要が立っていた。右手に短剣。刃にマナが薄く纏わりついている。S級の戦闘を、想は初めて見た。千歳の動きは速い。だが氷室の動きは見えなかった。速いのではなく、無駄がない。必要な距離を必要な速度で詰めて、必要な箇所だけを斬っている。
氷室が短剣を納めた。スライムの残滓が空気に溶けていく。
「柊。ダンジョンの状況は」
「ノアが制御できてない。外から何かがシステムに干渉してるって言ってた」
氷室の目が変わった。
これまでの一週間、氷室の目は観察者の目だった。記録し、分析し、判断を保留する目。それが消えていた。代わりに浮かんだのは、想が一度も見たことのない表情だった。
「判定:脅威」
2文字が、冬の空気を裂いた。
想の足が止まった。判定保留ではない。脅威。氷室がノアを脅威と判定した。
「待てよ。ノアのせいじゃないって今言っただろ」
「暴走の原因が何であれ、結果として市街地にモンスターが流出した。住民が危険にさらされた。これは事実だ」
「だから原因を調べてからにしろよ!」
氷室は想に向き直った。感情を排した目だった。怒っているのではない。手順を踏んでいるだけの目だ。
「柊。俺は公正に判断すると言った。判定基準は明確だ。ダンジョンから人類への脅威が確認された時点で、排除の検討に入る」
想は氷室の前に立った。体が震えている。怒りだけじゃない。氷室の言葉が正しいことを、体がわかっている。モンスターが流出した。人が逃げた。子供が泣いていた。その事実はノアの善意では消せない。
───────────────────
草:え、なに今の
†漆黒の剣†:ダンジョンからモンスター出てきたぞ
しろくま_22:氷室さんが一瞬で倒した
DJケンタ_B級:これはやばい。マナ暴走だ。前に崩壊あったのと同じパターンだが規模が段違い
深層好き_A:街に被害出てるぞ。配信どころじゃない
推しが重い:ノアちゃん大丈夫なの
草:氷室が「判定:脅威」って言った
†漆黒の剣†:終わった
しろくま_22:ノアちゃんが殺されるってこと?
DJケンタ_B級:氷室の排除執行率は100%だ。判定が変わらなければ
N_o_a:想さん。逃げてください。
推しが重い:ノアちゃんのコメント怖い
草:これ自動送信っぽくないか。タイムスタンプが暴走と同時だ
───────────────────
梶原が車で駆けつけた。後部座席から降りて、ダンジョンの入口に走ってくる。手にはケース。中に計測機材が詰まっている。
「柊さん! 大丈夫ですか」
「俺は大丈夫だ。ノアが」
「ノアさんのシステムに外部干渉があったんですね。前回と同じタイプの事象です」
梶原がケースを開いた。計測機材を取り出して、ダンジョンの入口に設置し始める。
「事故調査用の機材です。マナ波形を記録すれば、干渉の発信源を特定できるかもしれません。調査させてください」
前回と同じだった。千歳が怪我をしたあの崩壊のとき、梶原は同じ言葉を使った。「事故です」「調査させてください」。同じ手順で、同じ種類の機材を、同じ場所に設置しようとしている。
想は気づかなかった。今はそれどころではなかった。
氷室がダンジョンの入口に向かって歩き出した。短剣の柄に手をかけている。
「氷室。何するつもりだ」
「任務を遂行する」
「待てよ!」
氷室は止まらなかった。想が追いかけた。ダンジョンの入口が、マナの霧に煙っている。壁面の光苔は赤い点滅を繰り返していた。ノアが苦しんでいる色だ。
千歳が想の横に並んだ。肋骨がまだ痛むはずだが、走る速度は落ちていない。
「想さん。私も行きます」
「千歳。お前は地上に」
「行きます」
千歳の声に迷いがなかった。想は言い返さなかった。三人でダンジョンに入った。氷室が先頭。想と千歳がその背中を追う。
崩れた通路を走る。壁面の光苔が赤と消灯を交互に繰り返している。ノアの悲鳴が、光になって壁に映っている。
氷室の足が速い。S級の身体能力は千歳のB級をさらに上回る。想は全力で走っていた。
ノアのコアがある最深部へ。氷室が向かっている。たどり着けば、コアを破壊する力を持っている。
想は走りながら気づいた。自分がダンジョンの中に入ってから、壁面の振動が微かに収まっている。赤い点滅の間隔が、少しだけ長くなっている。
ノアの制御が、ほんの少しだけ戻っている。
なぜだ。何も変わっていない。変わったのは、想がダンジョンの中に入ったことだけだ。E級の探索者がひとり中に入っただけで、コアの制御が改善する理由はないはずだった。
氷室も気づいていた。走りながら、一度だけ壁面を見た。赤い点滅が弱まっている。メモ帳を取り出す余裕はない。だが氷室の目は、事実を記録していた。
考える暇はなかった。最深部が近い。氷室の背中が、暗い通路の奥に見えている。
想のポケットの中で、スマホが何度も振動していた。ノアからの自動送信が繰り返されている。同じ文面が、何通も。
「逃げてください」
「逃げてください」
「逃げてください」
想は一度もポケットに手を入れなかった。逃げない。ノアがどれだけ送っても、走る足は止まらなかった。
想の体が沈んだ。左足がくるぶしまで床にめり込んでいる。ダンジョンの床面に亀裂が走っていた。砕けたスライムのマナが霧散するより早く、壁面の光苔が赤く点滅し始めた。
「想さん!」
千歳が想の腕を掴んで引き上げた。床の亀裂が広がっている。中層の通路全体にひびが走り、壁面から青白いマナの粒子が吹き出していた。
「これ、前と同じだ」
前にも同じことがあった。千歳が重傷を負ったあの崩壊だ。だが今回は規模が違う。足元だけでなく、天井も、壁も、通路全体が振動している。ダンジョンそのものが痙攣しているような揺れだった。
ノアの投影体が揺らいだ。輪郭が砂粒のように散り始めている。
「想さん。これは、わたしじゃない」
ノアの声が割れていた。電波が途切れるように、言葉の断片が途切れ途切れに響く。
「外から、わたしのシステムに、何かが」
前回の崩壊のときと同じ言葉だ。だが今回は想も、配信を見ている視聴者も、聞き逃さなかった。
「ノア。戻れ。投影体を維持してる場合じゃない」
「でも、想さんのそばに」
「戻れ」
想の声が低かった。ノアの投影体がさらに揺らぐ。指先から透けて、マナの粒子が宙に散っている。ノアが想の顔を見た。青白い目が揺れていた。
「想さん。逃げて、ください」
ノアの姿が消えた。投影体が崩壊して、マナの奔流がダンジョンの壁面に吸い込まれていく。ノアの意識がコアに引き戻された。
同時に、想のスマホが振動した。画面にメッセージが表示されている。
「逃げてください」
ノアからの自動送信だった。投影体が消滅した瞬間に、スマホに直接送られてきた。想の安全を最優先にするシステムが、ノアの意思とは別に作動している。
「想さん、上!」
千歳の声。天井の一部が崩落した。想が横に飛んで回避する。千歳が身体強化スキルで瓦礫を蹴り飛ばした。二人で走った。中層から浅層へ、崩れる通路を抜けて地上を目指す。
地上に出た。
ダンジョンの入口から、マナが目に見える密度で噴出していた。青白い霧が地面を這って、駐車場のアスファルトにひびを入れている。周辺の建物の窓ガラスが震えていた。
入口の横に、亀裂が開いた。中からモンスターが這い出してきた。低級のスライムが3体。通路を塞いでいたはずの壁が崩れて、外への道ができてしまったのだ。
住民が悲鳴を上げた。公園で遊んでいた親子が、スライムを見て走り出す。車のクラクションが鳴った。
千歳が前に出た。
「想さん、下がって!」
千歳の拳がスライムの核を貫いた。身体強化スキルで腕をコーティングし、核を直接粉砕する戦法。1体目。振り向きざまに2体目の核にも肘を叩き込む。
3体目が住宅街の方向に転がっていく。千歳が追いかけようとした瞬間、横から刃が走った。
一閃。音がなかった。スライムの核が真っ二つに割れて、マナに還元されて消えた。
氷室要が立っていた。右手に短剣。刃にマナが薄く纏わりついている。S級の戦闘を、想は初めて見た。千歳の動きは速い。だが氷室の動きは見えなかった。速いのではなく、無駄がない。必要な距離を必要な速度で詰めて、必要な箇所だけを斬っている。
氷室が短剣を納めた。スライムの残滓が空気に溶けていく。
「柊。ダンジョンの状況は」
「ノアが制御できてない。外から何かがシステムに干渉してるって言ってた」
氷室の目が変わった。
これまでの一週間、氷室の目は観察者の目だった。記録し、分析し、判断を保留する目。それが消えていた。代わりに浮かんだのは、想が一度も見たことのない表情だった。
「判定:脅威」
2文字が、冬の空気を裂いた。
想の足が止まった。判定保留ではない。脅威。氷室がノアを脅威と判定した。
「待てよ。ノアのせいじゃないって今言っただろ」
「暴走の原因が何であれ、結果として市街地にモンスターが流出した。住民が危険にさらされた。これは事実だ」
「だから原因を調べてからにしろよ!」
氷室は想に向き直った。感情を排した目だった。怒っているのではない。手順を踏んでいるだけの目だ。
「柊。俺は公正に判断すると言った。判定基準は明確だ。ダンジョンから人類への脅威が確認された時点で、排除の検討に入る」
想は氷室の前に立った。体が震えている。怒りだけじゃない。氷室の言葉が正しいことを、体がわかっている。モンスターが流出した。人が逃げた。子供が泣いていた。その事実はノアの善意では消せない。
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草:え、なに今の
†漆黒の剣†:ダンジョンからモンスター出てきたぞ
しろくま_22:氷室さんが一瞬で倒した
DJケンタ_B級:これはやばい。マナ暴走だ。前に崩壊あったのと同じパターンだが規模が段違い
深層好き_A:街に被害出てるぞ。配信どころじゃない
推しが重い:ノアちゃん大丈夫なの
草:氷室が「判定:脅威」って言った
†漆黒の剣†:終わった
しろくま_22:ノアちゃんが殺されるってこと?
DJケンタ_B級:氷室の排除執行率は100%だ。判定が変わらなければ
N_o_a:想さん。逃げてください。
推しが重い:ノアちゃんのコメント怖い
草:これ自動送信っぽくないか。タイムスタンプが暴走と同時だ
───────────────────
梶原が車で駆けつけた。後部座席から降りて、ダンジョンの入口に走ってくる。手にはケース。中に計測機材が詰まっている。
「柊さん! 大丈夫ですか」
「俺は大丈夫だ。ノアが」
「ノアさんのシステムに外部干渉があったんですね。前回と同じタイプの事象です」
梶原がケースを開いた。計測機材を取り出して、ダンジョンの入口に設置し始める。
「事故調査用の機材です。マナ波形を記録すれば、干渉の発信源を特定できるかもしれません。調査させてください」
前回と同じだった。千歳が怪我をしたあの崩壊のとき、梶原は同じ言葉を使った。「事故です」「調査させてください」。同じ手順で、同じ種類の機材を、同じ場所に設置しようとしている。
想は気づかなかった。今はそれどころではなかった。
氷室がダンジョンの入口に向かって歩き出した。短剣の柄に手をかけている。
「氷室。何するつもりだ」
「任務を遂行する」
「待てよ!」
氷室は止まらなかった。想が追いかけた。ダンジョンの入口が、マナの霧に煙っている。壁面の光苔は赤い点滅を繰り返していた。ノアが苦しんでいる色だ。
千歳が想の横に並んだ。肋骨がまだ痛むはずだが、走る速度は落ちていない。
「想さん。私も行きます」
「千歳。お前は地上に」
「行きます」
千歳の声に迷いがなかった。想は言い返さなかった。三人でダンジョンに入った。氷室が先頭。想と千歳がその背中を追う。
崩れた通路を走る。壁面の光苔が赤と消灯を交互に繰り返している。ノアの悲鳴が、光になって壁に映っている。
氷室の足が速い。S級の身体能力は千歳のB級をさらに上回る。想は全力で走っていた。
ノアのコアがある最深部へ。氷室が向かっている。たどり着けば、コアを破壊する力を持っている。
想は走りながら気づいた。自分がダンジョンの中に入ってから、壁面の振動が微かに収まっている。赤い点滅の間隔が、少しだけ長くなっている。
ノアの制御が、ほんの少しだけ戻っている。
なぜだ。何も変わっていない。変わったのは、想がダンジョンの中に入ったことだけだ。E級の探索者がひとり中に入っただけで、コアの制御が改善する理由はないはずだった。
氷室も気づいていた。走りながら、一度だけ壁面を見た。赤い点滅が弱まっている。メモ帳を取り出す余裕はない。だが氷室の目は、事実を記録していた。
考える暇はなかった。最深部が近い。氷室の背中が、暗い通路の奥に見えている。
想のポケットの中で、スマホが何度も振動していた。ノアからの自動送信が繰り返されている。同じ文面が、何通も。
「逃げてください」
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