松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第29章 青少年と病院と。

1 嫌われモノの病院。

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 全く、何を過信しているのか。
 病院に行けば必ず治る、などと謂う神話を信じ人々がやって来るが。

 祈祷であれ何であれ、必ず叶う、なんぞは有りはせんと謂うのに。
 何故か、病に限っては須らく治して貰える、などと盲信しておる。

「先生、どうかこの子を治して下さい」

 治すべきは、寧ろこの母親なんだが。
 見えぬ病とは、非常に自覚し難く。

 時に、不治の病でも有る。

『分かりました、お預かり致しましょう』

 私宅監置には、良い面と悪い面が有る。

 周囲がおかしいか。
 本人が本当におかしいか。

 それ1つで、良い面と悪い面とが分かれてくる。



《先生、私はおかしいのでしょうか》

 こう尋ねて来る者の大半は、外的要因。
 つまりは誰かに何かを言われたから、とココへ来る者が殆ど。

『ふむ、ご家族へはご連絡出来ますかな』
《それは困ります、先生、何故その様な》

『君はもう、暫くは外には出せないのでね』
《そんな》

『自身を害する事は勿論、他者を害する可能性の有る者を、何も無しに外へは出せませんからな』
《そんな、私は正気です》

『おや、おかしいのでは、そうココへと来たのでは』
《確かにそうお伺いに来ましたけれど、私は》

『正気のお墨付きなんぞ、何か事が起こり、致し方無く下されるモノ。本来は、どちらで有るか分からないが、少なくとも無害である。それが、本来の人々の有り様なんですよ』
《御託は分かりました、ですから》

『あぁ、余計な一言が多い、そう叱責されアナタは寧ろ更に憤った。そうして口論となり、正気の証明をしに来た、違いますかな』

《はい》
『ふむ、他害の疑い有り、と』

《そんな》
『突発的に手が出る者の多くは、何も害そうとして手を出す者は少ない。大半は、気が付いたら手が出ている、そう言う事なのですよ』

 無意識に無自覚に、何かをする事は多い。

 だが、大抵の者は他者を傷付けぬが。
 こうした者の多くは、無意識に無自覚に、他者を傷付ける。

《お願いします、勘弁して下さい、まさか入院だなんて》
『皆さん、そう仰いますが、手酷い状態ともなれば病院から出すワケにはいかんのですよ。手足が捥げているが、問題無い、そう仰る患者さんを留め置くのも病院の義務ですから』

《そんな、私は正気です》
『大概の方は、どんな方も、そう仰られますね』

《違うの、そんな》

『まぁ、病院の判断だけで留め置く事は出来ません、先ずは警察の方が来るまで』
《警察なんて困ります、大事にしないで下さい》

『では、もう1度お伺いします、一体アナタは何をしに来られたのか。正確にお答え頂ければ、それ次第で、ココで終わりとしましょう』

 長い長い沈黙は、如何に自己便宜を図るかの算段。
 若しくは、如何に言い逃れをするか。

《私は、私が、正気だと、証明して頂きたく、ココへお伺いしました》
『では、まさか、おかしいなどと言われる筈も無い。そう言う事ですかな』

《はい》

『アナタが、この専門の医者で無い限り、博士号を持っていない限り。アナタの考えはあくまでも素人考え、だが自らの考えが正しいだろう、その前提で来られた。コレは、正気では有りませんよ』

《どうしても不安で》
『いや、いらした時点でアナタの目には怒りが燃えていた、不安なんぞ殆ど有りませんでしたよ』

《ですけど》
『入院まではいきませんが、アナタはどちらかと言えば正気では無い方だ。どうしますか、そのままにしますか、それとも少しでも矯正してみますか』

《帰ります》
『そうですか、では、お大事に』

 いずれ害するであろう者を、放逐せねばならない苦悩よ。

 だが、必ず線引きは必要とされる。
 そして下を切り上げれば切り上げる程、世は生き辛くなってしまう。

 ある程度、周囲が、世が致し方無い傷だと看做すかどうか。
 その線を越えぬのなら、見過ごすしか無い。

 だがもし、その線を超える者が現れたなら。



「先生、僕はおかしいのでしょうか」

 こう尋ねて来る者が多いが。
 大半はおかしくない、と言われたい事が殆ど。

 だが、稀に悪戯心から来る者も居る。

 なんと嘆かわしい時代の移ろいだろうか。
 なんと愚かな行為だろうか。

『ふむ、結果を見るに、そうだろうね』
「ですけど先生、中には詐病、誤診と言った」

『あぁ、偽る病も有る事は確かだが、そうした事も汲んでの事。とは思わないだろうか』

「確かに嘘は幾つか付きましたが、僕は正気です」

 正気とは、何か。
 一体、どうした状態が正気なのか。

 是れには幾ばくか要項が有るのだが。

 少なくとも彼は、正気であって正気では無い。
 所謂、狂気に満ちている。

『では、君の要望は何だろうか』
「僕は正気ですが、入院させて下さい。穏やかで静かな場所で、幾ばくか過ごしたいのです、どうかお願いします先生」

『そうか』
「はい」

『では先ず、君の誤解を解く事から、始めるとしよう』



 病院とは、特に神経に関する病院は、静かだろう。

 それは誤解だ。
 酷い誤解だ。

《ぎゃぁああああああー!!人殺しー!!》
「あぁ、大丈夫よ、大丈夫。あの方は新しい患者さん、アナタを殺しに来た者じゃないわ」

《私を睨んだわ!!》
「後ろを見て、眩しいでしょう、きっと眩しかったのよ」

《あの光は、仏様の後光》
「そうね、私にもそう見えるわ」

 病院とは、かくも騒々しい所。
 急患が駆け込む外科病院も、ココも、所詮は同じ戦場。

「ふむ、彼が新しい患者かね」
『そうなのだよ、東条君。だが君に見せる前に、先ずは院内を見回って頂こうかと思っていてね、なんせ初めてだそうだから』

「成程、君は実に気が利く男だ」
『ありがとう、では東条君には、引き続き患者の記録を。いつもご苦労様で御座います、さぞ大変でしょう、ココ1番の難しい仕事ですから』

「だからこそ、私が勤め上げるべき事。君は気にせず、いつも通りの仕事をしたまえ」
『はい、では、失礼致します』

「うむ」

 自身を医師だと思い込む者。
 猫の忍者に殺されてしまう、そう妄想する者、と様々な者がココには居る。

「嘘がお上手なんですね」
『患者の為なら、私は大概の事はする男、なのだよ』

 もし、彼ら彼女達が私宅監置されたままで居たなら。
 ご家族はさぞ、辛い思いをしていただろう。

 素人は患者の言う事を、つい否定してしまう。
 だが、そうした事は双方に何の益も齎さない。

 患者は憤り、もう一方の相手も、何故理解せぬのかと憤る。

 コレは、霊媒師と依頼者とすれば、如何に損かが分かるだろう。
 片方には見えぬ者が、もう片方には見え、分かっている。

 そうした、少し浮世とは違う場所に生きる者に、そう見える者と。
 ただ見えている事を話しては、決して相通じる事などは無いのだから。



「何故、さっきの方は暴れていたのでしょうか」
『彼には蟲が見えているのだよ、すっかり女嫌いになった父親に、女に触れれば毒蟲が穴と言う穴から入り込み。瞬く間に取り憑かれ、もう決して、体から追い出す事は出来ぬ。そう言われ、すっかり蟲が見える様になってしまったのだよ』

「患者の情報を、そうバラしても良いのですか」
『コレが嘘か真実か、君に判断が出来る、若しくは分かると言うのだろうか』

「では嘘なんですね」
『かも知れない、若しくは違うかも知れないが、君は誰にも君の事を知られたく無いのだろうか』

「当たり前じゃないですか、見ず知らずの者に、僕の許可無しに僕を知られる何て真っ平御免です」
『国にも、君の思う事が知られたく無い、そう言う事だろうか』

「一体、何を仰りたいんですか」
『松書房には手紙を出していないのだから、大丈夫だろう、そう思ってやしないかね』

「まさか」
『蛇の道は蛇、いや実に大変な時期だったよ、お陰で助手を雇わなくてはならない程。だがお陰で後代を育てる事が出来た、その事には非常に感謝しているよ』

「何を知ってるって言うんだ!」
『君は、命令され仕方無く、あの手紙を出したのだろう』

「違う」
『この手紙は君が出した、違うかね』

「違う!」
『では、誰が出したんだい』

《私よ》
『やぁ、君が美月君かね』

《はい》
『残念だが、君達が言う通り、この国は遅れていてね。その体で行われた事は、その体に償って貰う事になっているのだよ』

《だからこそ、私は記者として》
『ココへ潜入し記事を書こうとしている、違うかね』

《そうよ、この悪しき》
『君に幾つの人格が有るのか知らないが、この手紙に見覚えは無いだろうか』

《無いわ》
『だが、君の体が出したもの』

《有り得ないわ!こんな、脅迫文を》
『だが、指紋は君のもの、しかも連続殺人事件の指紋と同一だ』

《でっち上げよ!捏造だわ!》
『では君の中に有ると言う人格がでっち上げでも捏造でも無い証拠は、何処に有るのだろうか』

《こんなモノを書いた記憶が無いのが》
『自称、美月君が書いていないのなら、当然だろう事。だが、何故、君がこの様な脅迫文は書かない、と言い切れるのかね』

《私は透を守る為に》
『その体の真の持ち主に危害を加える事は、決してしない』

《そうよ》
『何が害となり何が有益となるか、正常かつ正当に判断出来る、と言うのかね』

《そうよ》
『迷いも不安も無い、そう言うのかね』

《勿論よ》
『何かしら事件を起こした場合、心神喪失状態だった、と明らかに判断される者をココは外に出せぬのだよ。だからこそ、君は正常である、と示さなければならない』

《例え人格が幾つ有っても、私は》
『では君が全権を担っている、そう言う事かね』

《そうよ、けれど油断すると》
『正常、そう仕分けされる者に、そうした事は起こり得ない。狐憑き、犬神憑きならまだしも、さも正常に見え内実が異質と有っては外には出せませんよ』

《誰かを》
『絶対に傷付けない、その意思が有ろうとも、不意に病から気を失い事故を起こしてしまう者が居る。そうした者は正常の範囲内、だが君は、絶対に傷付けない。そう言い切るのかね』

《そんなの、屁理屈だわ》
『いや、実際に、他者から正常だろうと思われる者から導き出された答えなのだよ』

《そ、ソイツらが》
『正常な者には、違う者は異常に見える、君はどちらかだろうかね』

《正常よ!》
『では治療の必要が無く、これから先結婚し、子を産み育てられると言うのかね』

《この体では産めないけれど作れるわ!》
『君の子供が君の事を知り、理解しなかったらどうするのだね』

《それは、何も結婚や子作りは》
『義務では無い、だが貢献する気も無い、そう言う事だろうか』

《そもそも、こんな国に》
『では何処に生まれれば良かった、そう思っているのだろうか』

《欧州では》
『魔女狩りと言う蛮行が近代まで行われ、何処かで必ず肌の色や髪の色で区別する者が現れ、宗教戦争が未だに続く欧州こそ。この国が見本とすべき、素晴らしい土地だ、と』

《女性は虐げられ》
『同性愛には何処も厳しく、懸想されただけで女性が悪となる、そんな国が本気で進んでいると言うのかね』

《勿論よ!》

『君は、そう生きて、本当に幸せになると信じているのかね』

《また、揚げ足を取る気ね》
『いや、君も患者だ、患者で有る限りは真摯に対応するよ』

《なら、私はもう帰るわ、バレてしまったのだし》
『生憎だが、警察、及び公安の方の面談を受けて貰わなければならない。そこで許可が出るまで、出せないのだよ』

《横暴だわ!》
『私はあくまでも組織の一柱、もしかすれば危険を見逃すかも知れない、そして大勢の被害者を出してしまうかも知れない。と言うワケにはいかないのだよ』

《分かったわ、悪くは書かないから》
『単なる狐憑きなら、ココまでの事にはならなかったんだが、残念だよ』

《ちょっと!離しなさいよ!》
『逃亡し被害を出されては困るからね』

《だから害は!》
「先生、後は私が」

《何より、アナタ》
「少なくとも、大多数の正常な者とは違う、その事実が有る限り国民と国家を守る為には仕方の無い事なんですよ」

《横暴よ!》
「あぁ、因みに、今回の費用は全て税金からとなりますのでご了承下さいね。尚、ご自身が払えない場合ですと、ご家族や御親戚、お育ちになった地区の負担となりますから」

《な、何もしてないじゃない!》
「犯罪を未然に防ぐ事は罪でしょうか」

《人権侵害よ!》
「国家転覆を目論むのは罪ですよ」

《そんなの》
『公安の木嶋と申します、ご同行を』
『あぁ、どうも、お早いですな』

『近くに用が有りましたので』
『ふむ、では』
「待ってくれ先生!これは一体」

『残念ですが以降は公安の扱いとなりますので、大人しくご同行を』
「何故ですか!僕は何も」

『ご同行先でお伺い致します。尚、弁護士を呼ばれる場合、国政又は……』

 やはり、彼は正常だった。
 いや、確かに幾ばくか常軌を逸してはいるが、正常範囲内。

『ふむ、すまんね八重子君』
『いえ、国家の秩序を保つ、それが仕事ですから』

 件の男は、実際にも雑誌記者だった。
 元から国家分断の気配の有る、そうした雑誌社に勤めており。

 今回、批判記事を書く為に潜入したが。

 各社へ出していた苦情の手紙の存在を示され、どうしてか本来は極秘である筈の病。
 解離性同一性障害なる病を装い、煙に巻こうとした。

『もう、火元は分かっておるんだろうか』

『いえ、申し訳御座いません』

 嘘か真か、八重子君の表情は全く読み取れん。
 だが、いずれココへと来るか、八重子君の所に来るだろう。

 必ず。

『ふむ、どちらに流れ着くか、賭けてみよう』
『ふふふ、そうですね』
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