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第一章 舞台の幕が上がるまで

6話 初めてのお客様

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「うあぁ……きんちょうするぅ……」

 私が初めて魔術を行使した日から、ひと月が経った。
 あの後、屋敷内は騒然とした。散歩から帰ってきたお嬢様の土まみれな姿に驚き、当主のピリピリとした雰囲気に驚き、屋敷内の者達からすればさぞ心臓に悪かったことだろう。いつも穏やかな笑顔を浮かべるアンナが、血相変えて近づいてきたくらいだ。相当異様な姿だったに違いない。

 お風呂に入り身体を綺麗にした後は、医師の問診が待っていた。
 幸い身体に異常はなく、運が良かったと医師は笑っていた。立ち会っていた父はずっと難しい顔をしていたが、身体に異常がないことが分かると安堵の表情を浮かべた。本当に心配をかけてしまったのだと知り、申し訳なさと同時に嬉しさがこみ上げてきたのは私だけの秘密だ。

 それからひと月が経った今日、アクランド子爵家にお客様が来ることになった。いらっしゃるのは父の兄である、アルフィー・レイ・ペイリン伯爵だ。
 実のところ、私は屋敷以外の人と会ったことがない。たまに外部からお客様が来ることはあったようだが、そのどれもが父の仕事に関わる人だ。幼子が会うような相手ではなく、私がお客様を出迎えるのは初めてのことだった。

 「大丈夫ですよ、お嬢様! ご挨拶の練習は完璧でしたし、ペイリン伯爵はとても気さくなお人柄ですから心配ございません」

 そう言って笑うアンナは、叔父であるペイリン伯爵を知っていた。元々ペイリン伯爵家と繋がりのある商家の出だからか、顔見知りであったようだ。
 その上、アクランド子爵家で務めることになったのは、叔父の口添えがあったからだとか。おかげでいい職場に出会えましたと嬉しそうに言うアンナに、こちらも嬉しくなったのを覚えている。

 「さぁ、お嬢様。これで最後の仕上げも終了です! せっかくですから鏡で確認してみませんか?」

 お客様をお迎えするにあたり、朝からアンナは張り切っていた。今まで私がお客様を迎えることはなかったため、それほど着飾る必要がなく仕事が少なかったからだ。
 私の感覚からすれば、ドレスを着ている時点で十分着飾っていると思うのだが。それでも貴族令嬢ならばもっとおめかしするのが普通らしい。やっとお役に立てると、髪飾りやドレスを選ぶアンナはとても楽しそうだった。

 髪のセットが終わり、アンナに促されて全身鏡へ向かう。その中に映る姿は、まるで小さなプリンセスのようだった。

 「わぁ……!」

 アイボリーを基調とした可愛らしいドレスに、自然と感嘆の声が漏れた。サテン生地で作られたドレスは、上からアイボリーのオーガンジーが重ねられている。オーガンジーには刺繡が施されており、黄色や水色の小花がちりばめられていた。袖のパフスリーブは子どもの可愛らしいイメージにぴったりだ。ドレスは胸下から切り替えられ、ふんわりとしたスカートが膝下まで伸びている。

 桜色の髪はハーフアップにし、毛先は緩く巻かれている。アイボリーのドレスに桜色の髪はよく映えた。束ねられた部分にはドレスと同色のレースリボン。蝶結びにしたリボンは存在感があり、後ろ姿も愛らしく見えるようにしてくれたみたいだ。
 前世で成人済みだった身としては、可愛らしすぎるチョイスではと思うが、この身体は幼児だ。客観的にみればよく似合っているだろうと納得した。

 顔には少しだけお化粧をしている。濃いメイクは子どもには合わないためほんの少しだが、小さな子どもがおめかしをしているのは何だかほほえましく見えた。

 「すごい……アンナすごいね!」

 この姿が自分だというのは違和感があるものの、とてもよく似合っていた。初めて外の人に会うことで緊張していたが、その緊張もほぐれていく。可愛らしい子どもに厳しいことを言う人間はそういないだろう、とほっと胸を撫でおろした。

 アンナに手を引かれ、玄関ホールまで歩いて行く。
 屋敷の玄関ホールには二階へ向かう大階段が二つある。私の部屋から近いのはホールからみて左側の階段だ。階段上に差し掛かり、そっと階下を見下ろす。
 広々としたホールには既に使用人たちが控えていた。白い大理石の床にライトブラウンの絨毯が敷かれたホールは、落ち着いた色合いながらどこか暖かさを感じる。絨毯は汚れ一つなく、手入れが行き届いているのが感じられた。

 ホールの中心部を見ると、父とカーターが話し込んでいた。おそらくお客様を迎える前の最終打ち合わせだろう。真剣そうな顔で話し合う2人を見ると、声をかけていいものかと悩んでしまう。どうしたものかと二人を見ていると、カーターがこちらに気づいた。父もカーターの視線が動いたことに気が付いたのだろう。話を止め、こちらへと振り向いた。

 「……シャーリー、」

 こちらを見た父は、数拍遅れてから私の名を呼んだ。
 どうしたことか。今までの父を思えば、きっと驚くほどの語彙を使って褒めてくれるだろうと思っていた。天使だの華の妖精だのと口にしていた父だ。テンションが上がって暴走することは考えていたが、この反応は予想していなかった。

 私個人としては結構似合っていると思ったのだが、父には不評だったのだろうか。どうしたものかとアンナを見上げると、アンナも困ったようにこちらを見ていた。
 そうだよね、この反応は予想外だったよね! とアンナに内心で同意し、父へ改めて視線を向ける。
 そこには、静かに涙を流す父の姿があった。

 ――なんでだよ。

 そう思った私をどうか許してほしい。最近心の声が荒れているが、大体はこの予想できない行動をする父のせいだ。決して元から口が悪かったわけではない。……そうだよね?

 とりあえず動かなければ始まらないと、慌てて父に駆け寄る。私の後からついて来るアンナの表情は困惑でいっぱいだ。

 「シャーリー、ダメだよ……」
 「え?ええっと……どこかおかしいですか?」

 父の前に立ってその顔を見上げると、未だにぽろぽろと涙が流れている。眉は弱ったように下がっており、成人男性に使う言葉ではないがどこか庇護欲が煽られる表情をしていた。まるで幼い子どものように泣く父に、首を傾げる。

 「ずっと天使のようだと思っていたけど、違った。君は天使そのものだったんだ。きっと神様は君を奪った僕に怒っているに違いない。お願いだから置いていかないで。天国ほどここはいい場所ではないかもしれないけれど、僕を一人にしないでほしい。君の望む物はなんでも用意するよ。ドレスも宝石も地位も、必要なら奴隷だって、」
 「「落ち着いてください」」

 カーターと同時に父を制止する。この前もこんなことあったなぁ、と遠い目をしてしまった。というか奴隷ってなんだ。辞めてくれ。私は悪事などできない善良な市民です。

 暴走する父に心の中でため息を吐く。私は何を懇願されているんだ、まあ、ある意味では予想通りの行動ではあったか。さすがに泣くとまでは思わなかったが、褒められるのは想定の範囲内だ。

 少々気になるのは、この歳でそこまで溺愛されていると、私の結婚は大丈夫なのかということ。貴族令嬢だし結婚は義務だろうが、この人は私を送り出せるのだろうか。

 ……天使だから人間との結婚はできないとか言い出さないよね?

 あり得なくもない自分の想像に嫌な予感が走る。多分、言うだろうな。絶対言う。例え誰を連れてこようとも一筋縄ではいかなそうな父に、今から頭を抱えてしまった。

 「全く、出迎えもないからどうしたものかと思ったが、お前は何をしてるんだ」

 突然聞こえた低い声に、はっと意識を戻す。両開きの玄関扉は開け放たれ、そこには呆れたような顔で父を見る男がいた。
 ダークブラウンの髪にグレーの瞳をした男は、ため息交じりにこちらを見ている。背は190くらいだろうか。全身は鍛え上げられ、ジャケットの上からでもしっかりと筋肉があるのがわかる。厚い胸板に適度に引き締まった腰が、上質なダークグレーのスーツを着こなしていた。

 父は身長こそあるが細身の体型だ。男性らしく筋肉はあるものの、決して鍛え上げたようなものではない。その点、男と父は対照的な体格をしていた。

 ウェーブがかった髪は後ろへ流し、その整った顔立ちを惜しげもなく晒している。肌は少し日焼けをしており、それがまた男の雰囲気によく合っていた。

 「おいカーター、俺の可愛い弟はいつになったら泣き虫が治るんだ?」

 くつりとその顔に笑みを浮かべ、カーターを見る。からかうような言葉だが、しかし、その声には深い愛情が感じられた。どうやら仲のいい兄弟のようだ。

 「さて、私としても困っていることではありますが、こればかりは」

 旦那様次第ですから、と告げるカーターの顔は全く困っているようには見えない。それどころかいい笑顔を浮かべている。微笑まし気な笑顔ではないのがポイントだ。完全に楽しんでいる。薄々分かってはいたものの、この男、完全にお腹の色が真っ黒だ。

 「さて、俺は愛しい我が姪に会いに来たわけだが、君がそうだな?」

 そう言って男――叔父は私に視線を移す。ぐっと顎を引き叔父へにっこりと笑顔を浮かべた。

 「おはつにおめにかかります。シャーロット・ベハティ・アクランドです。おあいできてうれしいです!」

 そう言って慣れないカーテシーを披露する。正直子どもにはきつい。それでも極力背筋を伸ばして笑みを浮かべた。挨拶の言葉も子どもらしさをプラスしたつもりだ。完成された挨拶では子どもらしくないだろうと、今日のために必死に言葉を考えてきた。
 それが功を奏したのか、男は目を開きほぉ、と感心したような声を上げる。そして立派な挨拶だと笑みを浮かべ、私の手の甲へ軽くキスを落とした。

 「お初にお目にかかる、レディ。今まで会いに来なかったことが悔やまれるようだな。これからは折に触れ、会いに来る時間をとるつもりだ。薄情な叔父だと思われるかもしれないが、お付き合いいただけるかな?」

 そう言って茶目っ気のある笑顔を見せる叔父に、私は笑顔で頷く。
 どうやらどこまでも真逆な兄弟のようだ。外見だけでなく、社交性の有無も兄弟で分かれたらしい。
 とはいえ、父親がよその子どもの手にキスをするのは、挨拶だとしても複雑な気持ちになるだろう。私の感覚は生粋の日本人だ、正直見慣れるとは思えない。そう考えれば、父の性格は私にとって有り難いことでもある。

 ちらりと父に視線を向けると、随分と複雑そうな顔をしていた。涙は止まったらしい。その目は叔父に握られている私の手を見ており、先ほどの挨拶に思うところがあるようだ。

 「兄上……社交的なのはいいことですが、少々接触が多いのでは?」
 「何を言っているんだ。やっと会えた可愛い姪だぞ? これくらいは許してくれ。そもそも、お前は何年もこの可愛いお姫様を独り占めしてきただろうが」

 その言葉に、内心首を傾げる。独り占めとは。叔父は忙しく会う機会が作れなかったと言っていたが、実際は違うのだろうか。

 まぁ、父なら私の独り占めとやらを実行しても可笑しくないな、と内心納得する。兄弟は仲良く言い合いをしているが、私の思考は明後日の方に向いていた。挨拶が無事に終わりホッとしていたのだ。初めて会う人に粗相はできないと必死に練習した甲斐があった。

 仕事は終わったと肩の力を抜いていると、突然、私の身体が宙を浮いた。
 慌てて視線を動かすと、叔父が明るい笑顔でこちらを見ていた。どうやら叔父に抱き上げられたらしい。父はそれを見て慌てたように近づいてくる。

 「シャーリー! 大丈夫かい? 突然大男に抱き上げられて怖くはないかい? 僕が変わろうか?」
 「お前、俺のことを何だと思ってるんだ」

 父の言葉に叔父は苦虫を噛み潰したような顔をした。私は私でそのやりとりに少し驚いていた。案外遠慮のない言葉を使う父と雑に返す叔父。男兄弟とはこういうものなのか。

 「だいじょうぶです、おとうさま。おじさまはおおきいから、だっこもこわくないです」

 筋肉ムキムキで安定感抜群! 全然怖くないよ! 
 と言いたいところだが、そんな言葉を言う幼女とかドン引きだ。筋肉ムキムキとかパワーワードすぎるだろう。天使(父談)のような幼女が口にする言葉ではない。これが少年であれば微笑ましく見えるだろうが、何分幼女なもので。

 私の言葉を受けて父は愕然とし、叔父は大きな声で笑いだした。何事かと思ったが、叔父が父に告げた言葉で納得した。悔しければ身体を鍛えろ。細身の父には難しい話だ。そもそも鍛える前に目元のクマをなくせ。

 ひとしきり談笑した後、私達は応接間へと移動した。お客様の来訪時に利用されるこの部屋は、とても広い造りだ。室内はおよそ二つのスペースに分かれていて、用途によって座る場所を変えている。

 一つは10人掛けのダイニングテーブルがあるスペース。マホガニー材で作られた家具はアンティーク調の彫刻が彫られており、格式高さを感じさせる。
 貴族ゆえだろうか。大きなテーブルが当然のようにあり、初めて見たときはとても驚いた。会議室にあるような大きさの机が、あきらかに高級なデザインだったのだ。この大きさのテーブルで真っ先に思いつくのは折り畳み式。間違っても高級素材を使い彫刻を入れるようなテーブルではない。

 もう一つのスペースはその奥だ。
 この部屋は、入り口から一番遠い場所に大きな窓がある。その近くに窓へ背を向けるようソファーが並べられ、半円形を描いている。ソファーは一人掛けの物を複数つなげており、角になる部分は少し大きく設計されていた。
 今日はこちらのスペースを使うようだ。ソファーの前には小さなラウンドテーブルが3つ置かれていて、メイド達はその傍に控えていた。父、私、叔父の順で並んで座ると、メイド達はお茶の準備を始めた。

 「やっぱりこの部屋はいいな、窓が大きくて見晴らしが良い!」

 叔父の言うとおり、この部屋はとても見晴らしがいい。大きな窓からは美しい庭が一望できる。薔薇園も見えるようになっており、その一角はひと際色鮮やかだ。

 薔薇園を見ると、ひと月前のことを思い出す。無意識に魔術を行使したのだと父から説明を受けた。そのおかげで怪我はしなくて済んだのだが、父の顔が酷く青褪めていたことを思い出す。
 確かその直後に、父は叔父へ連絡をとっていたはずだ。その連絡は何だったのか、そしてそうしなければならなかった理由は何なのか。それが今日、わかるのではないかと思っていた。

 メイド達の手でお茶やスイーツが給仕されると、彼女たちは部屋に控えることはなく、一礼して出て行った。残ったのは私たち三人と、カーターのみである。

 「それじゃあ、本題に入るとするか」

 そう言って不敵に笑った叔父に、緊張を抑えながら私はこくりと頷いた。

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