とら×とら

篠瀬白子

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テスト 2

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とにかく風呂に入ってしまおうと、俺は台所に立つ兄貴の姿に慣れないまま着替えやらを準備して脱衣所に向かった。
お湯を張ろうかとも思ったが、面倒くさいのでシャワーにする。当然のんびりできるわけもないので普通に終えて上がってみれば、野菜炒めとご飯、味噌汁をがっつく兄貴がいた。


「……じゃ、先に寝るわ。おやすみ」


本当は、少し話したい。仲が改善されたからって、兄貴が帰ってくる日はまだ少ない。こうして一緒にいられる時間をもっと大切にしたい。兄としての姿を見れるのは、弟の俺だけなんだって実感したい。
だけどそんなことを素直に言えるほどまだ、俺は可愛げもない。


「おい」
「え?」


なのに急に呼び止められてしまった。嬉しい反面、やはり慌てる。ぎこちない表情をそのままに振り返れば、やはりやつは不機嫌そうな顔をしている。


「少し付き合え。座れ」
「……」


なんで、なのかな。
こうして、本当にたまにだけど、兄として接することがある。それが嬉しくて堪らないのに、素直になれない自分が歯がゆい。ゆっくりとした歩調で近づいて、恥ずかしさから冷蔵庫のほうへ向かう。コップを取り出してお茶を注ぎ、すでに食べ終えたやつの向かえ側に座った。


「……」
「……あー……なんか、さぁ」
「あ?」
「うん、だから……えーと、雄樹が、テストで赤点ばっかで」
「あぁ」


俺が座ったからといって兄貴が話を振る訳もない。ので口から出る言葉をなんでもいいから吐き出しておく。話題に乏しい俺にとって、正直辛い。


「だから俺が勉強見ることになって」
「へぇ、お前、他人の勉強見れるほど頭良いのか」
「なっ、赤点取らないくらいは、できる……し」
「へぇー。で?」
「う、……うん、で。なんか、雄樹が赤点免れたら、仁さんが遊園地の……」


あ、そっか。


「仁さんが遊園地の入場券くれるんだよ。だからさ、それ、兄貴にあげる」
「……はぁ?」


あぁ、なんだ。俺ってば閃いたぜ。自分で使う当てがないのなら、女にモテモテの兄貴にあげればいいのだ。そのほうが有効的じゃんか。


「それで泉ちゃんとデートでもしてきなよ。一応彼女なんだろ?」
「形だけだ。遊びに連れてく義理はねぇよ」
「じゃあ違う子でもいいからさ、連れてってあげればいいじゃん」
「なんで俺が女のためにわざわざ遊園地に行かなきゃなんねぇんだよ」
「……え……」


どうしよう。自分の兄とはいえ、コイツ最低だな。受け取る気配が感じられないので、また違う話題を振ろうと考える。が、なぜか雄樹のアホ面しか浮かばない。俺の日常はアホの世話しかないのか?


「てめぇが使えばいいだろ」
「え? ……あぁ、いや、はじめは雄樹と行こうかなって思ったんだけど、でもそれじゃあなんか癪だし。つーか俺、一緒に行くような人、他にいねぇし」
「……寂しいやつだな、お前」
「うっ、うるせー」


お前と違ってこちとら非モテなんじゃい。ダチだって雄樹しかいねーし。あぁ、なんか切なくなってきた。友達作ろうかな……。


「連れてってやろうか?」
「は?」


明らかに幻聴だろうがそうではない発言に、顔が思いっきり歪んだ。確かに一緒に出かけることは夢だったけど、なんつーか現実に言われてみれば……とてつもなく胡散臭い。


「なに、どうしたの突然……変」
「言うようになったじゃねぇか」
「いや、だって女の子のために動かない兄貴が一緒に行こうかって、すげー胡散臭いもん」
「へぇ?」


どこかニヤニヤとした、あくどい笑みを浮かべる兄貴がこのときばかりはキモかった。なんというか、信じた瞬間に頭から食いちぎられそう。


「俺はどっちでもいいぜ? お前がどうしても俺に着いてきて欲しいっつーなら行ってやる。どーする?」
「……」


胡散臭い。胡散臭い、けど。
なんか今の兄貴はすげー上機嫌だし、明日になって「やっぱり連れてって」なんて言ったところで一蹴されるのがオチだろうし。つーか兄弟とは言え遊園地って……。あぁ! もう!

俺は席を立ち、自分の部屋から紙とペンを持って戻った。それを兄貴の前に置いて一言。


「じゃあ連れてって。んで嘘じゃないって、書いて」
「……くっ、了解」


喉を鳴らしながら笑う兄貴に、俺は顔を赤くしつつ走るペンに胸を躍らせた。これであとから「やっぱなし」とか、絶対言わせない。

言わせたりしない。だから――、


「うわーん! 意味分かんないー!」
「うっせぇ! 甘えんじゃねぇよ!」


だから雄樹、今日からみっちりテストまで、スパルタで行くぜ!

翌日の調理室にて俺は雄樹にスパルタ教育を徹底していた。
時間のかかる問題は諦めるとして、最初の数式だけでも点を稼げるようにまずは因数分解から。なのに雄樹よ、なぜお前はまったく解けないんだ。


「だからな、いいか? 15って数があったら、3×5 っていう素因数に分解されんだよ。これは分かるだろ?」
「うん。分かる」
「で、たとえば2a+6だったら、まずは2aと6に分けるだろ、そしたらそれぞれの素因数はなんだと思う?」
「……2a=2×aと、6=2×3?」
「そう! となれば、答えは……?」
「……えぇ?」
「2a+6=2(a×3)だよっ!」


なんでだ、なんで分かんないんだコイツは。
やばい、俺のほうがおかしくなりそうだ……。
あーあー、雄樹のレベルに合わせるんだ、そう、俺、落ち着け。


「なんでカッコで閉じるの~?」
「それは……そう、そうなんだよ雄樹、実はだな。この2(a×3)の2はお姫様なんだ」
「…………はい?」


なんだろう、惨めな気分になってきたぞ。


「んでカッコの中はお姫様を狙う悪党で、雄樹、お前はそのお姫様を悪党から守るためにカッコで悪党を閉じ込めるんだよ」
「……」


ゲーム好きの雄樹に合わせて妙な教えを説いてみるも、どうしてだろう、こんなに切ない気持ちになるのは。わなわな震える雄樹を見ながら「あ、これ無理だわ」なんて悟るも数秒後、やつはバッと顔を上げ、


「つまり俺は騎士なんだねっ!」
「……は?」


とか、なんか叫んじゃったんですけど。

って俺、そうじゃあない。今だ。今がチャンスだ。


「そう! お前は騎士……うん、まぁ騎士なんだよ! だからお姫様を悪党から守らなきゃなんねぇんだよ!」
「つまりお姫様奪還の方式! なんだね!?」
「だっ……あぁ、うん! そうだ!」


なに言ってんだ俺。つーか奪還ってなんだよ。そしてなんでその理解で問題が解けちゃうんですかアホ山アホ樹くん。どうしよう、こいつの頭の中を一度でいいから見てみたい。

などと思う俺をよそに、雄樹は教科書と睨めっこをしたと思えば「お姫様救出の方式!」とか「悪党排除の方式!」とかなんとか叫んでは、信じられないほどスラスラ問題を解いていた。
俺からしてみれば「お姫様奪還」も「お姫様救出」も「悪党排除」も結局は同じもんだと思うのだが、アホの脳内ではきちんと区別されているのだろう。アホだな。

そして信じられないことに、雄樹はそのままテスト範囲の問題を全て理解しやがったのである。えぇー……。

正直言いたいことは山ほどある。が、そこはあえてスルーして、俺は他の科目に移行した。あとは大体暗記物だし、国語を教えるとか無理だ。直感でいけ。漢字は覚えろ。

なんて投げやりになりつつもバイトと勉強を両立させて帰れば、なぜか兄貴が飯を作っておいてくれていたりする。
雄樹に感謝しつつ一人で食べる夕飯だが、寂しくはない。どこかで女と遊んでいるのか不良と喧嘩しているのか、まぁどちらでもいいが、この場にはいない兄貴が近くに感じられた。

あぁ、どうしよう。俺、今人生の絶頂期かも。


「それではテストを開始します。…………はじめっ」


そして一週間なんてあっという間に過ぎてしまえば、久しぶりの教室で俺と雄樹はテストを受けていた。そう、受けていたんだ。カリカリと爽快なペンの走りなんてほんの数人しかいないけれど、問題の内容からして雄樹が赤点を免れることは確実だ。
なのに、なぜ。

そっと、俺は手を上げる。


「ん? 朝日向どうした?」
「……先生、すみません」


なのに、なぜなんだ、雄樹。


「そこで寝てるアホを起こしてください」


どうしてお前は寝ようとしてるんだよ!

嫌々ながらも担任が雄樹を起こすが、やつは船をこきながら問題を解いていた。あぁ、もう無理かもしれない。
それが今日一日つづいたとき、俺はもう絶望も呆れもなにも感じてはいなかった。だってアホだもんな、雄樹は。

しかし雄樹はそんな俺の心情を察することはできなかったのだろう。いや、その前に裏で遊園地の入場券が掛けられているなんて知らないのだろう。だから俺はそんな雄樹とさっさと別れ、バイトもないので家へと帰る。
当然、兄貴の姿もない家に帰ってすぐ冷蔵庫を開け、黙々と料理をしつづけた。

あ、なんかタマネギが沁みて涙が……。


「おい」
「……ん……?」


くっきりとした明りが瞼を射す。まだ覚醒しきれてはいない脳を回転させて、俺は上半身を起こした。ふいに隣を見れば、怪訝な顔をした兄貴がいる。あれ、俺……ずいぶん寝てた?


「なんだよ、あれ」
「え? ……あー……うん、まぁ」
「全部食えっつーんじゃねぇよな?」
「いやいや。兄貴、俺の料理食べれないじゃん。ちゃんと全部食うから、大丈夫」
「……はぁ?」


ぐーっと背伸びをして、取り忘れていたエプロンを外し、ラップを巻いた大量の料理の前に立つ。どうしよう、作りすぎたかもしれない。何日持つかなぁ……つーか弁当とかにも詰めて……。


「どうしたんだよ、これ」
「え、あー……いや、別に。なんか突然、たくさん作りたいって衝動に襲われて……」


我ながらひどい言い訳だ。兄貴もそう思っているのだろう。やはりまだ怪訝な顔で俺を見ている。

それでも正直に話してやるほど子供でもないので、俺はさっさと料理の一つに手を伸ばす。とにかく食べるか、うん。
しかし兄貴が大人しく引いてくれるはずもなく、料理を持つ俺の手首をがっしりと掴んできた。驚いて一瞬肩が揺れた。


「言え。なんだこれは、どうして作った」
「……」
「おい」
「……笑うから、やだ」
「はぁ? 笑わねぇから言え」
「……」


いや、兄貴のことだ、絶対に馬鹿にする。「はっ、ばっかじゃねぇの」とか言うに決まってる。
言い淀む俺に舌打ちをこぼす兄貴が、無理やり料理から手を離させた。そのまま手首を上へと引っ張られ、バランスの崩れた体がぐらりと揺れる。
かと思えば抱えられていて、恥ずかしさで顔を赤くしている間もなくソファーの上に座らされた。


「なに……」
「こっちのセリフだろうが。おら、言え」
「……なんで」
「なんで? 無駄に作って一人で食うとか言ってる馬鹿が、正当な理由で食費使ってんのかどうか調べるために決まってんだろうが」


ぐさり。真っ当な意見が俺のこめかみを打ち抜いた。


「……」
「……」
「……」
「おい、いい加減にしろ」
「……う」


だって、絶対馬鹿にする。別に馬鹿にされるのはいい。散々虐げられてきたんだ、それくらいまだ可愛いものだ。でも、言えない理由はそこじゃない。


「俺に、だって、プライドあるんだからな」
「なんの話だよ。意味分かんねぇ」
「だからっ、全部食べるからいいじゃんかっ」
「それを決めんのは世話してやってる俺だ。だから言え」
「……」


あぁ、どうしてこう、神様は俺に優しくないのだろうか。
もっと俺に優しくてもいいと思うんだ。なぁ、神様?


「……だって、雄樹が」
「雄樹?」
「雄樹がテストんとき……寝るから……言って起こさせたけど、船こいでたし」
「全然分かんねぇ」


くそっ、もうこうなりゃどうとでもなれ!


「だから、雄樹が赤点取れば兄貴と遊園地行けないじゃんっ! アイツ今日のテストでずっと寝ぼけてたし、もうそれ、入場券貰えないだろ!? だから、だから……なんか悔しくて、それで料理、作りました」
「……はぁ?」


言っているうちに惨めになって、最後のほうは体を縮めた。隣に座る兄貴がどんな表情をしているとか、もうそんなんどうでもいい。とにかく穴があったら埋まって潜りたい。


「そんなに俺と遊園地行きてぇのか、てめぇは」
「……そっ、りゃ……そうです、けど?」


なのに返してきた言葉の論点が妙にズレていて、やけに上ずった声が出てしまう。微かに笑った声が兄貴のほうからしたが、やはりまだ、そちらを見る気にはなれなかった。


「なぁ、じゃあなんでタマネギばっかなんだよ、あれ」
「――……え゛?」


あぁ、なんでだろう。なんでこういうときに限ってそこに気づくんですか、お兄さま。


「あれ、は……たまたま、タマネギが多かったから、つーか目に入ったからで」


言い訳を口にすれば、伸びてきた筋張った指が俺の顎を強引に掴み、そのまま兄貴のほうへ顔を向かせられた。なんか口から心臓とか出そう。
なのに兄貴のやつ、いつもの無表情が少し崩れて口角が上がってやがる。


「泣いたんだろ? 目ぇ真っ赤なんだよ」
「――っ!」
「タマネギ理由にして泣くとか、ちっちぇプライド」
「うっ、うるさいっ!」


顎を掴まれたまま叫んでみるが、きっと真っ赤に染まった顔でなにを言っても迫力なんて欠片もないだろう。現に兄貴は愉快そうに口角を上げつづけてやがる。


「まだ結果も分かってねぇんだから泣くんじゃねぇよ。雄樹が赤点免れたときは、約束通り連れてってやる」
「……でも、もう絶望的じゃんか」
「だからそう簡単に諦めてゴタゴタ言ってんじゃねぇよ、うぜぇな。もし赤点だったときはそんときでそんときだろうが」
「え? ……なに、どういうこと?」


フンッと笑った兄貴が、どこか得意げに見える。一体なにがそんなに自慢げなのか、まったくもって分からない。


「もし雄樹が赤点だったそんときは、惨めな弟のために買い物に連れてってやるよ、この俺がな」
「……え」


なに、それ。嘘、じゃない?
ゆっくり自分の頬をつねる。痛い。普通に痛い。


「えっ、なんっ、なっ」
「てめぇよ、こっちに来たときから荷物少ねぇだろ? つーか私服もあんま持ってねぇしよ。だから服でも買ってやる、それで満足だろ?」
「まん……ぞく、です」


満足どころじゃねぇよ。なんだコイツ。やっぱ俺の兄貴じゃないかも。自分の頬をつねったまま、さらに力を込めてみるがやはり痛い。あぁ、夢じゃない。


「兄貴……ありがと」
「あ? 礼を言うのはまだ先だろうが、変なやつ」


愉快そうに上がる口元が目にくっきりと残っていく。きっと俺は兄貴のそれ以上に心弾ませ快然たる表情を作っていただろう。
この場にはいない雄樹に感謝をしつつ、このさいもう赤点でもそうじゃなくても、テストが帰ってきたら思いっきり労ってやろう。俺は密かにそう決意した。

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