とら×とら

篠瀬白子

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終幕 1

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まるで茶番のような厄介事は、意外にもあっけなく幕が下りた。


一昨日、玲央を見送ったあと、またも俺の知らぬところで物事は展開を見せたらしく、いつも通りの飄々とした司さんが新山さんと仙堂さんを引き連れた昨日の夜から、俺は豹牙先輩と二人きりとなった。
玲央が戻ってきただけでこうも早く動き出すとは思ってもなく、ちょっと肩透かしを食らった気分である。
そんな俺はカシストにて今日もお粥を作っていたが、ひょっこりと現れたその人物にまた肩透かしを、いや狐につままれた気分だ。


「卵味噌のお粥、お願いします」
「え?」


突然の登場に固まっていた俺の前のカウンター席に座る彼は、以前とは違う大人しい雰囲気を漂わせながら微笑む。
茫然とする俺を不審に思った仁さんに肩を叩かれ、慌ててお粥の準備をはじめると、雄樹とは違うエプロンをつけた志狼が彼に話しかけた。


「アンタ、今回の騒動の原因?」
「え? ……あぁ、うん、元凶です」
「ふーん」


と、冷えた視線で一瞥しながら、志狼は彼の隣に座る。なぜかその逆隣りには雄樹まで座っている。そんな二人を見た仁さんに至っては、ため息をついて自分で料理を運びに行った。

事前に浸水させていた米の入った鍋を取り出し、中を確認してから火にかける。ふぅ、と息を一つ吐く。気がつくと、俺は手に汗を握っていた。


「どうしてここに来たんですか、ノアさん」
「野暮な質問だね。僕はコトラのお粥を食べに来たんだ」


と、笑う彼に苦笑する。

なぜかライトブラウンの革で出来たトランクケースを傍らに置き、どこかすっきりとした好感の持てる服をまとった彼、ノアさんとの再会は驚くほど呆気なかった。


「この二人はコトラの友人かな?」
「そうですよ。怒らせると手が付けられないんで、遊ばないでくださいね?」
「あはは。信用ないなぁ~、ま、トーゼンか」
「はい、当然です」


ふつふつ沸くお粥を確認する。そんな俺をただ黙って見ていたノアさんは、それでもニコニコと胡散臭い笑みを解くことはない。


「なにも聞かないの?」


けれど俺を揺することは避けず、人の悪い質問に俺はまた苦笑を浮かべた。


「ノアさん、貴方が今回の事で俺に罪悪感の一つでも感じていたのなら、そんなことは聞かずに自分から話すべきです。違いますか?」
「……コトラ、なんだか君……変わったね?」
「そりゃあこれだけあれば、変わりますよ」


今にも暴れ出しそうな俺の友人二人に挟まれながら、少し驚くノアさんは苦笑した。


「コトラは……どこまで知ってるの?」
「俺はなにも知りませんよ。誰にもなんにも聞いてません」
「じゃあ色々吹き込むなら今がチャンスだ」
「しませんよ。貴方はそんなこと、もうしない」


静かに沸いているお粥の隣で、味噌を溶かしていた鍋に溶いた卵を敷く。ゆっくりとかき混ぜると、戻ってきた仁さんが動こうとしない雄樹と志狼の頭を叩いた。


「いい加減仕事しろ、給料泥棒ども」
「「……」」


じとりと、自分の頭を叩いた仁さんを見る二人の目は不満げだ。くるりと振り返った雄樹がこちらを見てくる。その瞳は、怒っていると言うよりも寂しそうだった。

たまにはあいつらにも頼ってやれ。と以前言われた仁さんの言葉が甦る。

頼っているからこそ今、俺はこうしてお粥を作っていることをきっと雄樹も志狼も分かっているんだろうなぁ。でもそれ以上に力になりたいって思ってくれる友人二人が、俺はやっぱり好きなんだよなぁ。


「雄樹、志狼。終わったらダーツ行かね?」


微笑みながらそう言うと、二人は焦ったように口を開き、しかし肯定の返事を呟くと仕事に戻った。
離れる二人の背中を見送ったノアさんは、こちらに向き直ると拍手をする。


「扱い慣れてるんだね。見事だったよ」
「そりゃどーも」


嫌味くさい台詞に肩をすくめ、お粥作りを再開する。卵味噌を作る俺の手元を見つめながら、ノアさんは口を開いた。


「コトラはもう、気づいてるの?」
「なにをですか?」
「僕がこの街を発つことさ」
「それは気づく云々の前に、ノアさんがそう主張してますからね」


トランクケースを抱えてなにを言い出すんだと苦笑する。


「……僕がもういなくなるから、コトラはそんなに冷静なの?」
「いいえ、違いますよ」
「じゃあ、レオのおかげ?」
「いえ、それも違います。まぁ玲央に久しぶりに会って、充電はできましたけど」


充電? と小首を傾げるノアさんの前に、仁さんがモスコミュールを置く。そのチョイスが仁さんらしくて、俺はくすりと笑みをこぼした。
目の前に置かれた注文もしていないモスコミュールを見つめていたノアさんが、ぱち、ぱちと瞬きをしてから仁さんを見るが、彼はもう違うカクテルを作りはじめているせいか、微妙に罰の悪い顔をしたノアさんは、そっとグラスを指でつついた。


「この店は、とても良いところだね」
「ここには来てなかったんですか?」
「そりゃあね、そもそもこの街に来るのも初めてだし」
「へぇ……え?」


聞き捨てならない台詞に驚く俺を、今度は逆にノアさんがくすりと笑った。


「ノアっていうのは僕の弟の名前。双子だからとっても似てるみたいで、動きやすかったよ」
「……それ、は」
「うん、ツカサは知ってるよ。そもそもコトラ、君は僕とツカサが敵対関係じゃあないことを、もう気づいてるんだよね?」


しばらく考えてから、ノアさんの問いに頷く。
隣にいた仁さんはそんな俺をまじまじと見つめていたが、がしゃんっと物音がしてそちらを向くと、


「……どういうことだ、それ」
「豹牙先輩……」


仁さんに買い出しを頼まれていた豹牙先輩が、呆然と立ち尽くしていた。
なんだか頼りない視線でノアさんを見る豹牙先輩だが、俺の方を見てくしゃりと顔をしかめた。


「豹牙先輩」


俺は苦笑を浮かべながら彼の名前を呼ぶ。しばらく黙っていたままの豹牙先輩が、落とした買い物袋を拾ってこちらへ寄ってくる。


「仁さん、これ買い出しモン。多分……割れてはいねぇと思う」
「おー、ありがとよ」


カウンター内へやって来た豹牙先輩は、仁さんに買い出しの商品を渡すと俺の隣に立ち、手を洗う。そんな豹牙先輩を見ていたノアさんが、ぽかんと呆けた顔のまま口を開いた。


「……怒らないの?」
「なに、怒られてぇの?」
「……殴られるかと思ったんだけど」
「いくらでも殴ってやるよ。言い訳聞いたあとにな」


キュッ。蛇口を閉めてハンドタオルで手を拭いた豹牙先輩が、カウンター内にある注文書に目を向け、すぐさまカクテルを作りはじめるとノアさんが口を閉じた。


「お待たせしました」


俺はそんなノアさんの前にお粥と卵味噌を起き、微笑む。
ちょうど接客から戻ってきた雄樹と志狼にもそれぞれお粥を渡すと、二人はすぐさま運びに行った。


「……いただき、ます」
「はい、召し上がれ」


固く閉じていた口から漏れ出て声はひどく非力で、頼りない。
ノアさんの白い手が蓋を開けると、中からたっぷりの湯気が空中に舞った。
ふつふつと沸くお米の音を聞きながら、しばらくその様子を眺めていたノアさんは次に卵味噌の蓋を開ける。同じように湯気が舞っていくと、険のある彼の顔が少しだけ和らいだ。
一緒に置かれた小皿にレンゲでお粥をすくい、またじっくりとその様子を眺めていたかと思うと、彼はついに口へと運び、熱さに驚いて跳ね上がる。


「ふー、ふーって息を吹きかけて冷ませば、熱くないですよ」
「……ん」


見かねて声をかけると、彼は頷いてから息を吹きかけ、また一口。
ゆっくり時間をかけて噛んでいるノアさんに微笑んでから、俺は違うお粥を作り始める。


「……おい、しい……ね……っ」
「ありがとうございます」


涙声にはあえて触れず、お礼を言うと彼の鼻をすする音が聞こえた。


「……怒られに、来たのかな」


それからしばらくお粥と卵味噌を咀嚼していたノアさんが、ぽつりと呟く。
その声が聞こえていた俺と豹牙先輩は顔を見合わせ、俺は苦笑して、豹牙先輩は顔をしかめた。


「僕、には弟がいて……ノアは、ノアは少しやんちゃで、麻薬なんかに手を出して、二年前、そんなノアが死んだと報せが届いたんだ」


俯いて残り少ないお粥を眺めながら、彼はたどたどしく言葉を吐きだす。
俺も豹牙先輩も、もちろん仁さんもただ黙ったまま、いつもの仕事をこなしながらその話に耳を傾けた。


「僕は兄として、ノアを止められなかった。麻薬に手を出したときも、売人と親しくなったときも、家を出て行くときも……僕は、なにもできなかった。しなかった。だから死んだと聞いて、その手紙をくれた人に会いに来たんだ」


空に近いグラスを片付け、二杯目を彼の前に置いた仁さんが俺に微笑む。


「会って、多分……話がしたかった、と思う。ノアは、どんな風に成長してましたか、ノアは貴方にとってどんな人でしたか、ノアは……最期、なんて言ってましたか、そんなことを聞きたかったんだと思う」


本人も気づいていない涙を拭かせたかったのか、熱めのお手拭を彼の前に置いた豹牙先輩が視線を逸らしながら後頭部を掻く。


「でもその人は、ノアの罪を被って捕まっていたんだ」
「それが、巴さんだったんですね?」
「……うん」


静かに流れる涙が歪んだ頬を伝って落ちる。俺は卵味噌の鍋を混ぜながら、少しだけ目を伏せた。


「……そのとき、ツカサに声をかけられた」


伏せていた目を開け、そうですか、と答える。そんな俺の声に彼はごめんと謝るが、それは違うと首を横に振る。


「ツカサは、ノアが死んだ経緯を教えてくれた。そのうえで協力してくれないかって、話を持ちかけられて……」
「司らしいやり口だな」


黙っていた仁さんが舌打ちをこぼすと、豹牙先輩が拳を握る。俺はそんな豹牙先輩の手に自分の手を重ねながら、お粥作りをゆっくりと続ける。


「……コトラは、いつから気づいてたの?」
「え? んー……そうですねぇ、司さんがね、俺たちに巴さんがカーデの男に拷問まがいなことをしてる映像を見せてきまして、それを見たときから違和感があったんです」
「違和感?」
「あ、でも新山さんが出てきた時点で不信感はありましたよ? だって新山さん、すっごい怪しいですから」


違いねぇな、と今度はくつくつ笑う仁さんに苦笑を浮かべると、いつのまにか豹牙先輩が俺の手を握っていた。


「え、俺ってそんなに怪しいの? ねぇ仙堂どう思う? 俺こんなに優しいおじさんオーラだしてるのに若い子には理解してもら、ぶっ!? ちょ!? なんで殴った!?」
「あれ、新山さん居たんですか。さっきそこに煩いハエが飛んでましたけど、見ませんでしたか?」
「それ俺のこと言ってんの?」


と、のっけから漫才をして現れた新山さんと仙堂さんに視線を向けるが、新山さんはそんな俺にウィンクしてきた。隣の豹牙先輩が思いっきり舌打ちをこぼす。


「ま、そんなことより小虎くん、デリバリーお願いしまーす。てことでノア、アンタもう帰っていーわ。飛行機の時間大丈夫?」
「……ニイヤマ、センドウ……」
「新山仙堂って続けて言うと地名みたいだねー、なぁせんどぉうっ!?」


ケラケラ笑う新山さんに仙堂さんの一発が入るが、この緩い空気に周りの客も若干呆れ顔である。
反して顔色の悪くなった目の前の彼に、コホンと咳払いをしてから手を伸ばす。


「俺、全然似てねぇけど朝日向玲央の弟で、小虎って言います」


そんな俺の行動に、先ほどまで煩かった新山さんたちも口を閉ざし、辺りはシンと静まり返った。
俺を見つめる彼は青い瞳を丸く見開いて、そこからぼろぼろと涙を溢しながらごめんと呟く。それでも俺が伸ばし続けるその手に、指先を重ねてから、笑った。


「僕……はっ、よく、弟のノアに間違え……られるけど、兄の、ノエルって言い……ますっ」


右手には豹牙先輩の手を、左手にはノエルさんの手を重ねて、俺は「ぜひまたお粥食べに来てください」と声をかけると、ノエルさんは何度も何度も頷いた。隣にいる豹牙先輩が、なんだか照れ隠しのような舌打ちをこぼした。

それから泣き止めずにいたノエルさんは、持っていたトランクケースをとても大切に扱いながらカシストを発った。
俺と豹牙先輩はお粥を持って、新山さんと仙堂さんも一緒にデスリカへデリバリーである。
先を歩く二人の背中の大きさに、ちょっと歳の違いを感じながら手に持ったお粥を持ち直すと、扉を開いて中へ促す二人が俺を見ていた。

オーナールーム。

以前一度だけお邪魔したことのある部屋の中をぼんやり思い出しながら、俺は中へ足を踏み入れた。
中は相変わらず閉鎖的で、唯一変わったとしたら玲央が壊したソファーが新調されているくらいだろうか。
そんなソファーには司さんと巴さんが座っており、一人掛けソファーには眉間にしわを寄せた玲央が座っている。


「やっほー、小虎くん。元気?」
「どうも、司さん。めちゃくちゃ元気ですよ」
「あはは、そう。じゃあまぁ、座ってよ」
「はい、失礼します」


ガラステーブルを挟んで、三人掛けソファーの端に腰を下ろす。とくに意味はないのだが、出入口に近い一人掛けソファーに腰を下ろす玲央の一番近くにしておいた。そんな俺の隣に豹牙先輩が座り、その隣には仙堂さんが、そして新山さんは一人だけ背もたれもない丸イスである。


「俺の扱いひどくない?」


そう呟く新山さんの言葉に、当然とばかりに誰も反応しなかった。さて、と空気を変えるように手を叩いた司さんが笑う。


「小虎くんは誰に説明して欲しい?」


無邪気さの裏から覗く人の悪い彼の性根に呆れながら、俺も同じように無邪気な笑みを浮かべてみせる。


「お粥、デリバリーしに来ました」
「は?」


座っておいて説明聞かないの? と顔にかかれた司さんの間抜けな面に笑みを浮かべつづけたまま、俺は持って来たお粥を彼の前に置いた。

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