このたび、小さな龍神様のお世話係になりました

一花みえる

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春の雨【3月長編】

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    あんなにたくさんの料理で埋め尽くされていた重箱も、あっという間に空になった。たくさん食べてご機嫌なおみは、持ってきたボールでちびすけと遊んでいる。イネとマイもそこに加わり、途端に賑やかになった。
    俺たち大人組はのんびりとお酒を飲む。小さなお猪口に注がれた日本酒は、少し甘くて優しい味がした。
「やっぱり花見と言えば酒だよなァ」
「ロゼでしょ、ロゼ」
「そんなの桜を入れたらなんだってロゼだろ」
「だから風情がないって言われるのよ!」
    この二人も楽しそうに桜とお酒を楽しんでいる。軽口はいつものことで、あの恵比寿様に「風情がない」と言えるのはこの場ではお稲荷様くらいだろう。一升瓶に並々注がれた日本酒を、三人でちびちび飲んでいく。やっぱりちくわはつまみとして正解だったな。普段はおみの世話でほとんど酒を飲まないけれど、昔はほぼ毎晩一人で晩酌をしていた。でも、やっぱりこうやって何人かと一緒に飲む方が楽しくて美味しい。ちなみに織田さんはちゃっかり自分用にロゼワインを持ってきていた。神様だから、やっぱりおお神酒は清酒かと思っていたのに。どうやら好きなものを好きなように飲むらしい。
 遠くでは、おみがえいやとボールを投げている。イネとマイがそれを追いかけて、ちびすけは近くに寝そべりながらそれを眺めている。本当に、平和な世界だ。
「こんな風に花見をするなんて、何年振りだろうな」
「そうねぇ。百年、くらい前になるのかしら」
「そんなにですか」
 もっと頻繁にしていたと思っていたのに。意外にもお花見をする機会が少なかったようだ。しかもこういうイベントが大好きな織田さんが、百年もしていたなかったなんて。
「実家にいたときは嫌でも桜は見ていたんだけどね。こんな風にみんなと集まって、のんびり過ごすのは本当に久しぶりなの」
「ご実家の桜はきっとすごいんでしょうね」
「そうね。でも、ここの桜も素敵よ」
 京都にある織田さんのご実家は、世界中から多くの観光客が訪れる。たくさんの鳥居が並び、それはそれは幻想的な景色なんだとか。きっと桜も綺麗なんだろうに。
 織田さんは、少し寂しそうな顔で舞い散る桜を見ていた。
「坂口はずっとこの山にいるけど、アタシは一度実家に戻ったのよ。戦争があってね」
「戦争……」
「だから、お花見なんてできなかった。ここに戻ってきたら坂口しかいないし」
「悪かったな」
 そうか、戦争。今から百年前といえば、ちょうど戦争がひどくなる前のことだ。その時はまだ日本は平和だったんだろう。俺は、戦争を知らない世代だ。祖父母に話を聞くこともあったけれど、どこか遠いものと感じていた。でも、この二人は違う。実際にその時代に生きて、生き抜いてきたのだ。
 もちろん、おみも。
「織田が山を降りてからも、何回かはしたんだ。俺と、おみ坊と、室生の三人で」
「じいちゃんもですか?」
「そうそう。あの時も室生のやつ、でっかい重箱いっぱいに詰め込んでな。おみ坊が喜んで食べてたよ」
 じいちゃんもこの桜を見たのか。俺は実際に会ったことがないし、血も繋がっていない。それでも俺の人生を大きく変えてくれた人。
 もしかしたら俺と同じ、甘い卵焼きを作ったのかな。おみが喜ぶものをたくさん作って、重箱を持って。ここで、この桜を見たのかな。
「なあ、室生の坊よ」
「え?」
 坂口さんが、ちびりと酒を飲む。雪のように舞う桜が視界を掠めた。
「ありがとな」
「な、何を急に」
 噛み締めるように呟かれた感謝の言葉に、思わず戸惑ってしまう。俺は別に何もしていない。じいちゃんの方がずっと長くおみと一緒にいた。明確な使命を抱き、尊厳を持ってこの世を去った。
 そして、死んでもなお、おみのことを愛している。
 俺はじいちゃんと比べて、まだ、何もしてやれていないのに。
「お前さんがここに来てくれて、おみ坊と一緒に暮らしてくれて。ようやくこの山に春が来たみてぇだ」
「そうね。なんだか明るくなったもの」
「毎日雨が降るのに?」
「違いねェ! でも、雨の後には虹が出る。そういうもんさ」
 そうか。そうなのかな。俺はおみに、何かしてやれているんだろうか。そうだったらいいな。
「りょーたー! ぼーるなげてー!」
「今行く!」
「はやくー!」
 ああ、確かに。
 確かにこの山には毎日雨が降る。
 それでもその後には。
「りょーた!」
「はい、ぎゅー」
「きゃー!」
 虹のように眩しいおみの笑顔が溢れている。それは、間違いのない事実なんだ。
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