いきなり有能になった俺の主人は、人生を何度も繰り返しているらしい

一花みえる

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2章

2-12

 領民全員を招いた祝勝会は、今までにない規模で行われた。誰一人として怪我をせずに領土を守り切ったことに領民は喜び、伯爵様は盃を片手に一人ずつ労いの言葉をかけていた。俺はノア様の隣に控えていたが、領民の喜びに反して伯爵様と父上の表情はどこか暗い。やはり、己の信仰心や忠誠心を拭い去ることができていないのだろう。

 この戦いで得るものはあった。しかし、失ったものも多い。今後、王都からの援助は期待できないだろう。再び軍隊を向かわせることも考えられる。それに領土には大聖堂や修道院が存在している。領民の信仰心も篤く、戦いと自分の信仰を切り離せる人はそう多くはないはずだ。

「修道院に連れて行かれた人間は、いわば人質ということだろうね」
「私たちが簡単に攻め込めないようにするため……」
「もちろん、食料の関係もあるから完全に敵対するかどうかはわからない。ただ、今までのようにのんびりとは暮らしていけないのは事実だ」

 琥珀色のとろりとした蜂蜜酒をペロリと舐めて、ノア様は舌先で唇を拭う。今日は無礼講ということで、俺も同じように酒を手にしていた。蜂蜜酒を蒸留した酒はこの地域で好んで飲まれるものだ。ほんのりと甘く、しかし度数は高いため体を温めるために使われることが多い。

 一口飲み込むと熱の塊が喉を滑り落ちていく。蒸留酒は度数が高い分アルコールが抜けるのも早い。この後もノア様の寝る支度が残っているから、そこまで飲みすぎなければ仕事に支障はない。酒は問題ない、が。

「先手を打たないと簡単に攻め込まれる。とはいえ、ベルリアン単独では勝てるわけがない。そうなるとやっぱり……ジョシュア、さっきから僕のことをずっと見ているけど、どうしたの?」
「うぇ!? あ、いいえ、なんでもない、です」
「そう? まあ疲れているだろうから今日は早めに抜けさせてもらおうね」
「疲れてはいません! いや、全く疲れているわけではありませんが、ノア様の方が大変だったんじゃないかと」

 ゴニョゴニョ言い訳がましいことを呟くが、ノア様は半分くらい聞き流している。私室でのことは、果たして夢だったんだろうか。俺がノア様にされたことは、疲れによって見せられた幻覚だったのだろうか。それにしては感覚があまりにもリアルで、どこか体がスッキリしているから、多分現実だ。

 だとしたらなんでノア様は平然としているんだ! 俺ばっかりソワソワして、気になってしまって、なんなら「あの口で俺のを……」とか思ってつい唇ばかり見てしまう。俺にとっては初めの性的な行為だったから、意識してしまってもしょうがない。だがノア様は気にしていないようだし、もしかしたら経験があるのだろうか。

 俺に仕事を任せている間に誰かとそんなことを……。

「それはそれで、嫌だな……」
「なにが?」
「いえ、こちらの話です!」
「そっか。ふふ、ジョシュア、顔が真っ赤だよ。もう酔ったの?」

 そう言って笑うノア様に、俺はこれ以上なにを言っても敵わないと観念した。きっと今みたいにうまくはぐらかされるだろう。そうなったら自分でその話題を口にしないといけない。

 お互い、なにもなかったと言い切るためには俺も気づかないふりをしなくては。あえて深掘りしたところで、どうせノア様は気にしていない。俺ばかりが慌てふためいていて、振り回されるだけだ。

 おまけに俺がそういうことに経験がないと暴露してしまう可能性もある。それだけは避けたい。なんとなく、男としてのプライドがそれを拒んでいる。ここはなにも言わず、なにも気づかず、平穏無事に事を進めたい。一人でジタバタするのは自室に戻ってからでも遅くはないだろう。

「明日からまた忙しくなるんだ。そろそろ部屋に戻ろうか」
「よろしいのですか? まだ宴会が」
「僕も流石に疲れたよ。慣れないことばっかりだったからさ」

 慣れないというのは、十中八九戦いのことだと思う。少し前まで剣術の訓練すらまともにしていなかったのだ。しかも大量の水魔法を使っている。いくら魔力の多いノア様といえど疲れは隠し切れないだろう。
 それに、あんなこともしていたし。

 俺は経験がないからわからないが、やっぱり大変だよな。顎とか痛くなりそうだし、ずっと口に咥えているから喉にも悪そうだし。

 だから俺は何を考えているんだ!

「明日からもよろしくね、ジョシュア」
「も、もちろんです!」
「あはは、頼りになるなぁ」

 俺の気持ちを知ってか知らずか、ノア様は楽しそうに笑った。こんなんじゃ従者失格だ。例のことはもう忘れよう。きっと戦いの高揚感でおかしな気持ちになってしまっただけだ。たまたま近くにいて、何も言わずとも割り切ってくれそうと思って俺を選んだだけで。だから明日の朝までに俺も気持ちを整理しないと。いつまでも引きずっていてはいけない。

 と、強く誓ってノア様の寝る支度をし、さっさとベッドに潜り込んで眠ろうとした。だが、結局明け方まで寝付くことができなかった。それでも朝は残酷に訪れる。寝不足の頭のまま重たい体を引きずり、ノア様の部屋へと向かう。そういえば昨日、宴会の時に何か話していたような。

 正直、冷静な気持ちではなかったからよく覚えていない。

「おはようございます、ノア様」
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「あー……はい、そうですね」

 嘘だ。全く眠れていない。今だって自分が何を話しているかよくわかっていないのだ。ノア様がこちらを見るたびに心臓が跳ね上がる。だと言うのにノア様はいつもと何も変わらない。表情はいつも通りだし、昨日のことなんか何もなかったかのように振る舞っている。

 もしかしてあれは全て俺の夢だったのか? 戦いの後で興奮しており、うっかり見てしまった白昼夢だったのだろうか。いや、だとしたら俺の方がよほどおかしくなっている。どうして主人であるノア様にあんなことをさせるような夢を見てしまったんだろう。

 わからない。何もかも。

「これから父上のところに行く。ジョシュアもついてきて」
「わかりました」
「それと、昨日のことは誰にも言わないように」
「はい……はい!?」

 やっぱり。やっぱり夢じゃなかったんだ! 俺の勘違いでも、妄想でもなかった。あれは現実だったんだ。そしてノア様もしっかりと覚えている。

 それならどうして、尚更いつも通りの表情をしているんだよ。まさか本当に今まで誰かとこういう経験があったのか? そう考えないと理解が追いつかない。よし、とりあえず考えるのをやめよう。これ以上は業務に差し支える。

「着替えたらすぐに行こう。あまり時間がないんだ」
「かしこまりました」

 ノア様に言われた通り、服の用意をする。ネイビーのジャケットにリネンのシャツ、それからシルクで作られたシルバーのタイを結んで完成だ。最後に香水を吹きかける時、不意に昨日のことを思い出した。この香りは変わらないのに、施されることはあまりに非日常だった。

 どうしてあんなことを……。

(いやいや、忘れるんだろ! もうあれっきりだ、あんなこと)

 頬に力を入れて表情が崩れないようにする。誰にも気づかれないようゆっくりと忘れていこう。きっと時間が解決してくれる。そう思って、香水瓶の蓋をギュッと強く締めた。
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